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  2.エイリアンといっしょ

 「ところで、やっぱり気になるんだけど、なぜ俺の所へ来たんだ? どうして俺なんだ?」
 その問いにノッコは「うーん」と少し悩む様子を見せた。「それはちょっと言えない秘密だけど、ランダムに選んだわけじゃないとだけ言っておくわ。あなたは、それなりに選ばれた人なのよ」
 「選ばれた...この俺が? それは身に余る光栄だと喜ぶべきか、荷が重いと嘆くべきか」
 「喜びなさいよ」
 「そうは言ってもなあ...せっかくの休暇に宇宙人に押し掛けられて...しかも俺本人には思い当たるフシが一つもないときた。でも宇宙人にも考えがあってのことだろうし、もしかして俺には隠れた超能力があって、それが見込まれた、とか、かな...」
 「まあ、そう思っていればいいわ。さあ、そんなことより視察開始。この地球がどれだけ立派な星か、じっくり拝見させてもらわなきゃ。門間君、案内して」
 「案内って、しなくたって君は何でも知ってるだろ、俺の知識が入ってるんだから...勝手に行けば?」
 「ダメよ、エスコートしてくれなきゃ。それも評価に入るんですからね」
 そう言うとノッコは肩に掛けたバックから手帳らしきものを取り出して何か書き込み始めた。
 「地球の男性は女性に優しくない...地球人の人間性は失格、と...」
 「わ、分かったよ...俺、本当は優しいんだが照れただけだ。案内させていただきます」
 「あらそうだったの。それならいいわ...消去、と」
 「その手帳みたいのはなんだ? 何を書いてる?」
 「この手帳は、ええっと、この地球上の言葉では何というのが当てはまるのかしら...うーん」
 「えんま帳か?」
 「うん、まあ、ニュアンスはそんなところね」
 「俺の日本語、ボキャブラリーが貧弱で悪かったな。文法もめちゃくちゃだしな」
 「あら、憶えてた? 記憶力はあるのね」

 強制のような、脅迫のような誘いを受けて、町へ繰り出すノッコに俺にもつき合わされる羽目になった。
 あんなすごいUFOがあるのだから、どこへでも行きたいところへひとっ飛びじゃないかと聞いたら、
 「いいえ、足を使った視察じゃなきゃ視察の意味が薄れてしまう。この星の生活に密着して調査しなきゃ視察にならないの。さあ、さっさと行きましょう」と返事が返ってきた。


 ノストラダムスが予言したと言われる「七の月」を来月に控え、今は6月。
 長雨でうっとおしい季節のはずが、今年はカラ梅雨らしく、特に今日は夏を思わせる暑さだった。
 ノッコの希望で、町まではバスを使わず歩くことになった。ノッコの視察とは、地球上のごく日常の観察とのことなので、ただブラブラとうろつき回ればいいらしい。言い換えれば遠出の散歩だ。

 俺の安アパートは山の上。町へ出るには坂を下る。
 このつづら折りの坂からは横浜の海が眺望できる。
 「あそこに見えるのがベイブリッジ。そしてその向こうが...」
 「観光じゃないからそんな説明は要らないわよ」
 「なんだい、ただ歩くだけじゃつまらないだろ。所々、会話をちりばめてだな...」
 「私は真剣に視察中なの。あなたは私がいいと言うまでだまってて!」
 「何を言う! 俺は、あらん限り、精一杯、尽くしてエスコートしようと...」
 「黙ってて!」

 確かに観光で散策するのとは趣が違っていた。ノッコは何かを見るたびに顔をしかめる。
 バス停で待つ人の列。その目の前には渋滞で動かない道路。真っ黒な排気ガスを立ち上げるトラック。いたる所に備えられた防犯カメラ。アダルトなポスター。NATO軍の空爆終了を伝える電光掲示板。ビルの隙間で残飯をめぐる野良猫とカラスの戦闘。刺激的な見出しで目を引く大衆雑誌の広告。
 それら、普段ならどうでもいいような事にばかり注目している。
 町に出てもノッコは裏道ばかりを選んだ。華やかな商店街は鼻っから興味ないようだった。

 どれだけ歩き回っただろう。彼女は使命に燃えているのか疲れを見せないが、つきあわされる俺はもうへとへとだった。何をするわけでもなく、ただ歩き回るだけなのでつまらないことこの上ない。
 そして太陽が頂点を通り越して3時頃になると、俺のおなかもグーと鳴った。その時ノッコが急に立ち止まるから、俺はノッコにぶつかりそうになった。
 「いいわよ...」
 「何が?」
 「話しかけても...いいわよ」
 「ふーん...」
 「ふーんってなによ。何か言いたいことがあるんじゃないの」
 「別にい」
 「こんなに長いこと歩き回って...どうにかならない?」
 「へとへとだよ。それに腹ぺこだ」
 「...それで」
 気が付けばそこはレストランの前だ。
 「?...おお、そうか。じゃあ飯でも食わないか、そこのレストランで」
 「いいわね! でも私、この国のお金なんて持ち合わせてないし...困ったわ」
 「それくらい大丈夫、俺に任せなよ。ようこそ地球へ。歓迎の意味を込めておごらせてもらうよ」
 「まあ、ありがとう。優しいのね」
 ノッコはわざとらしく、バックから出した手帳にメモを取った。
 俺にも手帳があったならこうメモするだろう。この宇宙人、自分から言い出しづらい事は男に言わせようとするずるい女だ、と。

 その店でサラダやパスタ、ドリンクなど頼み、それらがテーブルに並んだ。
 俺は「たらこスパゲッティー」にぱくつきながら聞いてみた。
 「この星の感想は?」
 「ひどいものね...あなたからもらった知識でおおよそ分かってはいたけれど」
 「俺には普通の光景だがな...何がそんなにひどいんだ?」
 「そうね...まず、この店の食べ物だって何から何まで薬づけ」
 「その割に食欲旺盛だな」
 「うるさいわね...」そう言ってノッコはフォークを持つ手を休めた。「何がひどいってやっぱり環境破壊は末期的ね。
 「この星の主な動力源は電気。電気そのものはクリーンなエネルギーでも、その大元は内燃機関。発電所だって走り回る自動車といっしょで煤煙をまき散らす。だけど温暖化ガスなどが取りざたされてから初めて対策を考える始末。気づいた頃にはもう手遅で、修復不能なほどの危機的状況。経済優先の思想が招いた自業自得。
 「でもこの星には自然環境以上に崩れたものがある。それは精神的な文化。
 「この星の文学の発展とは『エスカレーション』のみ。オリジナリティそっちのけで、より刺激的な題材を追求している。奇抜さを社会が求め、純粋なものへの評価は不当に低い。
 「その背景は、知名度がなければ良い評価が得られない社会の環境。だからみんな肩書きや社会的地位にこだわってばかりいる。
 「科学技術は商業ベースに乗るものか軍事産業だけが特化して成長する。企業のスローガンには必ず『社会に貢献』を掲げるくせに実際の指針は損得勘定。資本主義が悪いとは言わないけどあまりに露骨。
 「民主主義だって弊害があり、多数決の原理が少数派を間違いだと錯覚させ異端視さえする。この国で問題視されているいじめの根本はここにあるのかしら。
 「そして人間関係は...この星で言われる『愛』は見せかけ。言葉の意味が一人走りして中身を伴っていない。おおよそは『独占欲』と履き違えて使われる。愛にはお互いの理解が必要なはずなのに、利己主義を捨て切れないまま愛だと言い張っている。そして愛が理由なら何をやっても許される風潮。
 「中には『愛が無い』などと言って一生懸命探そうとするケースも。お笑いだわ。愛なんて探すものじゃなく、お互いに理解し合えば自ずと芽生えるものなのに...」

 ノッコの眼差しは、一点の曇りもなく澄んでいる。本当にこの地球を危惧して言っていると感じることができる。でも俺にはあら探しにしか聞こえない。
 「残念ながら、良い感触は得られなかったようだな。しかし確かにノッコの言うことは正論だ...俺も酔っぱらったときに、よくそんな話をするよ。しかし、よくそんな難しい言葉が次から次へと...俺のボキャブラリーもまんざらでもなかったということかな」
 「言葉はボキャブラリーの数じゃなく、想いがきちんと伝わるかどうかが問題よ」

 俺は何となく分かってきた。この子はきっと純粋培養されている。純真無垢で汚れを知らないのではないかと。
 それだけに批判が厳しい。地球の評価を判定するにはいささか手厳しい相手だ。点付けが辛いと思われる。

 彼女の皿が空になるのを待ち、次は何を言い出すか待ちかまえていたら、
 「もっと大きな町へ行きたいわ」
 と言い出してきた。
 「じゃあ、この国で一番大きな都市『東京』へ行こうじゃないか。そのためには駅に行って電車に乗ろう。歩いて行くなんて言うなよ、日が暮れちまうからな」

 乗り込んだ時点ではガラガラだった電車も五つ目の駅から急にぎゅうぎゅう詰めになった。
 次々に押し入る乗客でノッコと俺とは引き離されてしまった。
 「このまま、はぐれたフリしてフケちまおうか」
 などと考えていたら車内に事件が起こった。
 「きゃあ! 何するの!」
 電車の中、突然ノッコが悲鳴を上げたのだ。

 「痴漢よ!」
 車内がざわめく。そのノッコの叫ぶ声に野太い声が続いた。
 「なんだ姉ちゃん、俺が何したというんだ。ふざけるなよ」
 その男はノッコに捕まれた腕を振りほどいた。
 「ふざけてなんかないわ。間違いない、あなた触ったじゃない!」
 「なに言ってるんだ、この女。こんなに混んでるんだぞ、勘違いするなよ」
 俺は満員の中、人をかき分け押しのけ、ノッコの元へ辿り着いた。ほっておきたい気持ちもあったが、俺の「連れ」は地球の運命を握っている。この状況は地球にとって由々しき結末を招き兼ねないという危惧から体が勝手に進んでいた。
 「ノッコ、どうしたんだ」
 痴漢らしき男がギョッとして俺の方を睨んだ。
 「お兄ちゃんはこの女の彼氏か? お前らグルになって俺を犯罪人にする気だな。警察行くか? 証拠はあるのか? 俺がやったという証拠がよ!」
 男は拳を振り上げ「何もやってないぞ」と「やるのか」を同時にジェスチャーした。
 「いえいえ、私はただのつきそいで...犯罪人だなんて、そんなめっそうもない...何も言うことはありませんよ」
 ノッコが目をひんむいて俺の方へ振り返った。
 「そうか、じゃあ文句はないな。言いがかりはやめてくれよ」
 「ええ」
 「ちょっと、門間君!」
 ノッコの髪が逆立っているような錯覚を憶えた俺だ。何も言い返さない俺に、きっと激怒してるんだろう。でも俺だってその男に言ってやりたかったさ「あんたは地球の運命にとどめを刺したかもな」と。


 電車がホームに到着し、その男は悪びれる様子も見せずに電車に残っていた。
 「降りましょ!」
 駅名も憶えちゃいないが、その駅で俺達二人は降りた。すたすたと先に電車を降りたノッコはくるっと方向転換して仁王立ちになった。そして俺をにらみつけた。
 「ごめんよ。正直言ってあいつ、強そうだったからな...」
 「もう!」と言ったノッコが腕組みをした。「ねえ門間君、あなたにも失望したけど、どうして回りのみんなは私をニヤニヤ見るだけで助けようとしないの?」
 「さあ、どうしてでしょうね」
 「これじゃあ、まるでわたしの方が悪いことしたみたい。絶対触ったんだから。あいつが私のおしりを触ったんだから...」
 「ああ、そうかもしれない...」
 「そうかもって、あなたも信じないの。証拠がないから?」
 「そうじゃなくって、痴漢行為は警察でも捕まえるのが難しいんだ。俺はあんたを信じるけど、俺は目撃者じゃないし、あれ以上やりようがない。俺の記憶をコピーしたのなら分かってそうなもんだけど...そんなに触って欲しくなけりゃ、『私は宇宙人です』って背中に貼っておかなきゃ。でも地球人は無節操だからかえって狙われるかもな」
 「そんなこと言っても、こんな屈辱ってないわよ。それに...」
 彼女は視線を俺から逸らし、後ろを見せて俯いていた。その肩が時々小刻みに震えはじめたのは、もしかしたら泣いていたのだろうか。俺は宇宙人も泣くことはあるのだな、ということが分かって少し意外と言うか親近感を憶えた気がした。
 改札を出るとノッコは先頭を切って早足だったので、どんな表情をしていたのか俺には分からなかった。

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