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  3.空飛ぶ二人

 「あのさあ...」
 30分ほど前の、この中途半端な言葉を最後に、ノッコとの会話は途切れたままだ。

 (あの男も素直に言えばいいのにな、君の魅力がそうさせた、とさ)

 (あの男も罪人だが、そうさせた君もまた罪なのさ)

 (彼にも自制心があったはず。君の魅力がその上をいってただけさ)

 色々と慰めの言葉を考えてみたがどれも見え透いて、ノッコには言い出せなかった。そして、雄弁で攻めるべきか沈黙で通すべきか、思い悩んでいると自動的に沈黙になってしまっていた。
 (雄弁は銀、沈黙は金。下手なこと言って墓穴を掘るより、そっとしとけばそのうち忘れちまうだろう)
 俺はノッコのあとを、ただ黙って付いていった。さっきから彼女は早足で歩き続けている。もうこの場にいるのが一瞬でもイヤと言わんばかりだった。

 そんなノッコも30分も歩いたら落ち着いたのか、また口を開き始めた。しかし地球の運命にとって風向きはどんどん悪くなっている。
 「...もう見放したわ。この惑星は耐えられないほど荒廃している。成敗してくれる!」
 「そんな、たったこれだけで地球を判断しないでさ」
 「たった! たったですって! そうよたった1日で私は信じられない経験をしたわ。私の星ではとても考えられないことよ。一体この星の道徳はどうなっているの! まだ蟻や蜜蜂の方が秩序正しいというものよ」
 「そこまで言わなくても...」
 俺は彼女の先に回り込んで説得しようと試みたがノッコは俺のディフェンスをスルリスルリとくぐり抜け早足を続けている。
 「どこへ行くんだ。この町は俺、来たことないからよく知らないぞ」
 「私もよ。どこか人気のない広場を見つけるの」
 「見つけてどうする」
 「宇宙船を呼ぶわ。わたし、自分の星へ帰るの。そして報告する。『地球は滅亡に値するほど荒廃してる』って」
 「何言ってんだよ、たかが痴漢だろ」
 「『たかが』ですって! 私をいやらしい手で触ったのよ。あの体験はわたしのトラウマになっちゃう」
 「地球の男は美人に弱いんだ。あいつだって君の魅力に負けた哀れな子羊だよ」
 「...」
 その時ノッコの早足が止まり、俺はまたも危なく追突しそうになった。
 「...ふん、見え透いてるわね」
 しかし、その見え透いたおべんちゃらはノッコの口元をすこしゆるませることに成功したようだ。ノッコの機嫌が少しだけ戻ってきたようだ。この時は、雄弁は沈黙に勝るのかも知れない、と俺は思った。
 「でもわたし、もうお嫁に行けないわ。だって傷物にされたのよ。あなた責任とってくれる」
 「おいおい、責任取らせるならあの痴漢にだろ」
 「あなたも同じ星の住人として同罪よ。認めない気?」
 「そ、それは...地球の滅亡がかかっているのなら、認めちゃおうかな...でも責任取るって、俺にどうしろと言うんだ?」
 「まあ、あなたは地球人の中では割とイイ男だから...そうね、泣いてお願いすれば考えないでもないわよ」
 「お願いって、何をだ?」
 「責任を取るというのは、責任を持って一生面倒を見ることじゃなくて? 一生の誓いと言えば限られるわよね」
 「おまえ、本気か。結婚でもしろと言いたそうだが」
 「イヤならいいのよ。さよなら、地球よ。もう来ることもないかしら」
 一度ご機嫌を損ねるとあとが大変だ。俺はなるべくノッコの期待してるであろう返事を選んでみた。
 「ま、待った! お嬢様、よろしければ私めの嫁になっていただけませんでしょうか。一生幸せにいたします」
 「本気?」
 「はい、不本意ながら...本気です」
 さっきまでの沈んだ表情はどこへ行ったのか、ノッコはいたずらなまなざしで俺をのぞき込んできた。
 「えへへっ、ごめんなさい。親がうるさくて、ハタチ前の結婚は許してくれないの。でもお友達としてなら構わないわ」
 「おいっ。俺をからかってるのか!」
 「あははははっ」
 一体この宇宙人のどこまでが本気で、どこまでが冗談なのか、俺には見極められなかった。
 こんな小娘に手玉に取られる自分自身が妙に情けなくなってきた俺だ。

 30分も歩き続け、もう隣の駅も通り過ぎたところだったが、いつの間にかノッコにとって都合のいい場所にたどり着いていた。
 この見知らぬ町の少し丘を上がった辺り。どこかの墓地なのか公園なのか、人気のないその場所でノッコはハンドバックから出したリモコンを操作して空を仰いでいた。
 もう陽も傾きかけ、西の空が少し赤みがかった空の下、何かが風を切るような音が近くに起こったが、発生源が見あたらない。
 「外から見るより、中は意外と広いのよ」
 「何言ってんだい。何も見えやしないぞ」
 「あらごめんなさい。門間君、もっとこっちへ寄ってみて」
 ノッコが手招きするので俺は彼女のすぐ側に寄った。すると、まん丸の球体がすぐ目の前の位置に出現した。
 「朝見た奴だな。相変わらずまん丸だ」
 「お皿のような円盤だなんて、エントロピーの高い形態は宇宙空間では不利なのよ。月だって地球だって丸いでしょ。それが宇宙に安定していられる理想的な形よ」
 「しかし、人気がないと言ってもここは町の中だ。いいのか、出しちゃって」
 「見えてるのは私達だけよ。この船には保護色機能があって、今、私達の方向以外からは見えないわ」
 俺はさっきまで立っていた左側の位置へ回り込んでみた。彼女が言う通り船はスッと消え、彼女の脇に戻るとその姿を再び現す。なんとも不思議な物体だ。
 「朝見たときもこうだったのか...一体どんな仕組みだ?」
 「理論的には簡単よ。無数の光ファイバーを張り巡らして背面から来る光線を船の外周を通してまた前面へ同じ方向に放射し直すの。そうすれば見えるのは船じゃなく空。それを全方向から可能なように作れば完全に透明化できる。私達が見えるのは、この方向だけ解除してあるからよ。この地球のように発展途上で野蛮な星の惑星探査に装備される機能なの」
 「つまりスパイ船だ」
 「人聞き悪いわね。こんな戦争に明け暮れる星で、巻き添え食わないための自衛手段よ」
 ノッコが例のリモコンで操作すると船の入り口がタラップのようにせり出し、彼女はその階段を上っていった。
 「どうぞあなたもいらっしゃい。今日のお礼にわたしの船へご招待するわ」
 ノッコが手招きして俺を呼ぶ。続いて俺もおそるおそる中へ足を踏み入れた。
 「ホントだ、中は広いや」
 「どうぞどうぞ、奥までどうぞ」
 「生体解剖はナシだろうな」
 「解剖だなんて、変なテレビで見たんでしょうけど、そんな野蛮はしないわよ」

 宇宙船の中は確かに広かった。しかし広いと言っても思ったより広いだけであって、実は狭い。
 円筒状の壁は出っ張りが無く、見たことのない計器が申し訳程度に埋められている。所々がピアノの鍵盤のように突き出ていて、これが操作パネルのようだが、俺には何がどういう仕組みなのかまるで分からない。
 壁の丸みに沿って大きめのソファーが4つ置かれている。船内は三層構造で、俺が立った場所は真ん中の操作室兼リビングらしい。床下と天井は機関室だと言うから寝るときはこのソファーにごろ寝だろうか。
 操作パネルの一箇所にレバーが突き出ていて、俺がちょっと触ろうとしたら「触っちゃダメ」とノッコが怒った。
 「じゃあ、飛んでみせてくれよ」
 「そう来ると思った。いいわよ、見納めにちょっと月にでも行ってみる?」
 「月? 月と言ったか? ちょっと月にでも、と言ったか?」
 「そうよ、ハネムーンだったらもってこいだったのにね」
 「人類が今世紀になってやっと到達した月へ、ちょっと行くのか?」
 「あのね、私は宇宙人よ。月なんかよりずっと遠くから来てるの。そっちには驚かないの?」
 「驚く以前に、そんなの想像つかねえよ」

 ただの壁だと思っていた部分がカーテンが開いたように大きな窓になった。ノッコがレバーを操作すると船は勢いよく上昇を始め、その窓にはものすごい勢いで遠ざかる地面が見えた。猛烈なGがかかるものと身構えた俺の姿が滑稽だったらしく、ノッコがクスクス笑っている。
 「この船の推進力は船体だけでなく、この船全体の空間に均一にかかるから、中にいる人間はGを感じないの」
 月まではあっという間だった。大気圏の突破までにかかった時間は約20秒。それでさえ十分驚くべきものであったのに、ノッコに言わせれば念のためゆっくりと飛行したらしい。それがひとたび大気圏を出るや、月への到達までにかかった時間は5分。完全に俺の想像を超えていた。
 アポロが何日もかけた道のりがこの船では分単位だ。
 「これが月の裏側か。地球人でここを見たのはそう何人もいないな」
 船の窓から宇宙の絶景に食い入る俺だった。
 「そしてあなたが最後の人になるのね」
 「なあ...やっぱり地球はダメだと報告するのか」
 「そうよ、残念ながら...悪いんだけど...」
 「そうか、この地球もついにおしまいか...」
 その窓から見える地球の一部は月の陰になって欠けていた。ピンポン玉のような地球を眺めていると、なんとも粗末な天体に思え、そんな地表に張り付いて右往左往する人間達がばかばかしく思えてきた。
 そんな地球も滅亡の秒読みに入っている。俺にも感傷的な感情はあるらしく、胸の奥から込み上げるものを抑え、ただずっと地球ばかり眺めていた。

 船の飛行に伴い地球のほとんどが月の陰に隠れようとしている。
 その時、ずっと凝視し続けていた俺の目は、その月の陰の部分で何かが光ったのを見た。
 「今、月で何か光ったぞ」
 「ホント、何かしら」

 その音は、部外者の俺でも何かの異常を知らせるアラームだと分かった。耳障りな電子音が船内に響き出したのだ。
 ノッコがそのアラームと共に赤く点灯した船内パネルを慌ててのぞき込んだ。
 「アワディーケグオック!!」
 この時ばかりは日本語で言う暇がなかったようだ。その意味不明なル・モア星の言葉を叫び、彼女はいきなり俺に体当たりしてきた。俺はその勢いで反対側までふっ飛び、ソファーと壁の間に挟まった。ノッコは勢いをそのままに、操作レバーに全体重を乗せて引っ張っていた。
 「いててて、どうした? どうかしたのか?」
 「伏せてっ! 来るわよ!」
 「何が?」と聞こうとしたその瞬間、猛烈な衝撃が船を襲った。そのおかげで「何が」が「ラリが」になり、俺は思いっきり舌をかんだ。
 ストロボを焚いた様な光が船内に閃いたと思ったら、ちょうどノッコが立っていた辺りに光線の柱が貫通した。その光は彼女の体が透けるほど強力で、俺はとても目を開けていられずに顔を伏せた。その瞬間に船内は細かな塵とガスとで真っ白に充填され、雷が直撃したような割れる大音響が耳を襲った。

 ミキサーにかき混ぜられたような振動がしばらく続いたが、隙間に挟まっていたおかげで俺にケガはない。その振動がおさまってから、俺は隙間から這い出した。船内にはゴムの焼けるようなイヤな臭いが立ちこめている。
 「ゲホッゲホッ...おい!」
 ノッコの姿が見あたらず、声を掛けてみたが返事もなかった。
 「ノッコ、どこに消えた? 俺一人で、どうすりゃあいいんだ?」
 「ちょっと...勝手に消さないで」
 彼女のか細い声がどこからか聞こえる。俺はその声を頼りにノッコの顔をがれきの中から掻き出した。
 「良かった、生きてたか!」
 「なんとか...でも、重傷を負っちゃった。わたしをソファーへ連れてって。ソファーの下は...」
 「緑色の水槽になってるぞ」
 振り向くとソファーだと思っていたものから中の装置が露出していた。さっきの衝撃で蓋が取れて外れていた。
 「そう、その水槽へ私を入れてちょうだい。そうしなければ私...本当に死んじゃう...」
 「わ、わかった、この棺桶みたいなケースだな!」
 ノッコを抱き上げて俺は愕然とした。抱え上げたノッコの、異常なほどの軽さに気づいたからだ。
 「おまえ、手と足が...」
 「光線の直撃をよけきれなかったわ。船体に穴が明いたとき、いっしょに蒸発しちゃったみたい...」
 苦痛のせいか、ノッコの顔は涙だらけになっていた。その彼女の瞳が俺の顔とは見当違いの所へ焦点を結んでいた。どうやらあの光線で目もやられたらしい。
 俺はそんなボロボロの彼女にもそうだが、すごい勢いで遠ざかる月と地球の映像にも驚ろいた。窓じゃない。彼女の視線を追ったとき、船体に開いた穴の向こうにそれが見えたからだ。
 「空気が抜けちまう!」

 

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