−約束− 立ち上がったロボ子は首筋から緑の液体を噴水のように噴き出している。勢いよく吹き出すそのバッテリー液にロボ子自身も困惑気味だった。手のひらで押さえたり傷穴に指をつっこんだりして何とか止めようと懸命になったがおさまらず、どんどん外へ流れ出ていった。ロボ子の桜色のブラウスがみるみる緑色に染まっていく。 その場に立ちすくむ様子は人間で言うなら「茫然自失」だった。とにかく現状を把握しようと目だけがキョロキョロと動いていた。 「博士...」 不安な気持ちを隠さず、助手が博士の反り返った裾を引っ張った。 「うむ...前例のない危機に直面し、ロボ子の頭脳は次の行動へ移れなくなったようじゃな。こんな事態に対応するデータはまだ持ち合わせておらんじゃろうし」 「ピーの奴、震えている!」思わず助手が叫ぶ。 ロボ子の震えの原因はサーボ駆動部分が小刻みにガタガタと動き出したからだった。それも人間に例えて言うなら、恐れおののいてブルブル震える仕草だった。 「メカ部が割り込んでセルフチェックを始めたのじゃ。自分の意志では押さえられない震えじゃよ。しかしあわれよのう...まるで恐怖におびえてるようじゃ」 そのロボ子の振動はなかなか止まらなかった。 その様子を皆、固唾をのんで見ている。そして皆が同じように押し黙った。あまりに人間的なそのロボ子の様子に哀れさを感じたのだろうか。ボートに飛び移ったハントのことなど誰も気にしないほどだった。 そんな静けさの中「第二撃用意」の号令が辺りにエコーした。 「やめろっ、これ以上撃つなっ!」 ハントの叫び声が同じくエコーする。 「おいロボ子、銃をよこせ。そんなモノ持たせた俺が悪かった! こっちへ放り投げろ」 ロボ子のだらりと下がった手にはまだ銃が握られていたが、その声に反応して手が反り返り、ハントの目の前に銃が転がり帰った。 しかし丸腰になったロボ子であっても狙撃される理由は別にある。狙撃命令に中止はなかった。「ごめんね奈美ちゃん」と心の中でつぶやきながら若い狙撃手は引き金を徐々に絞っていく。 「やめろーーっ! 彼女は人間だ! ロボットなんかじゃない!」咄嗟にハントが叫ぶ。 ピピッ 破れた皮膚の中から電子音が聞こえる。 「私は人間...」 ずんという音を立て、またしてもロボ子は倒れた。再び銃声が遅れて届く。 若い狙撃手の腕は確かだった。今度の銃弾によって制御回路が切断され、立ち上がるどころか手を動かすこともできなくなっていた。 「私は人間...私は人間...私は...」 倒れながらもメモリーされた「私は人間」の言葉の意味をロボ子は探っていた。 「ちきしょう、なんてことしやがる」 ハントはボートを少し前進させ波止場に倒れ込んだロボ子に近づけた。背の低いボートは波止場の車止めに隠れ、包囲からは死角になっていた。 近寄るハントに「ああ、ハントさん」と言うロボ子の声はか細かった。 「お前、まだ話せるのか?」 「はい、音声装置は正常のようです。でももう起きあがれません。これが恐怖というものですね。私、何をどうしていいのか分かりません。私は一体どうなったのですか?」 「お前は撃たれたんだよ。きっと俺にのこのこ付いていかないよう歩行機能をマヒさせる手に出たんだ。ちきしょう、お前を引きずってでも連れていきたいがそうすりゃ俺は蜂の巣だ。俺もどうすりゃいいかわからねえ」 「あなたに危険があるのなら私にかまわず逃げて下さい」 「...」 ハントには何と返していいのかちょうどいい言葉が見あたらなかった。このロボットは健気にも我が身を差し置いてハントの事を気遣っている。 「ロボ子、悪いがこのままさよならだ...俺にはお前を置き去りにするしか手がないようだ。すまねえ...」 「気にしないで下さい。ああ、メイン動力の低下で、頭脳はシャットダウン態勢に入りました。あと2分ほどで私の機能が停止します。さようならハントさん。もう少しでお別れです。なたのことは忘れません」 −−−あなたのことは忘れません−−− そのロボ子の言葉がハントに重大な事実を思い起こさせる結果になった。 「忘れない、か...嫌なことに気づいちまったぜ。俺は忘れるところだったよ」ハントの手に握られた黒色の銃がロボ子に向けられ、月明かりで鈍く光った。「俺のことはまだお前の記憶に残ったままだったな...」 ロボ子を連れていけなくなった今、ロボ子のディスクに残された彼の記憶は、ハントにとって非常に不都合な存在となった。これを隠滅しておかなければ彼の正体やその目的がすぐ暴かれてしまうであろう。 ハントはロボ子の頭部に銃口を向け、ハードディスクの埋められた頭部に正確に狙いを定めた。 「ああ、大変です。犯人がロボ子の頭を狙っています!」 「なんじゃと。それはダメじゃ! 勘弁しておくれ! 今までのデータが全てパーじゃ!」 「こんちきしょう、口封じを図る気だな。先のことまで頭の回る奴だ。おい何とか阻止できんか!」 「屋上からではロボ子の陰になって、狙撃は無理です」 「回り込ませろ!」 「今更間に合いません!」 「すまねえロボ子、悪気はないんだ。お前のその記憶が俺にはじゃまになる。ロボットに生まれた我が身を呪いな...」 言い訳のように唱えながら、ハントは引き金を引く指に少しずつ力を加えていった。 「いいえ、私は人間...そう言ったのはあなたです」 「...」 ハントの持つ銃口が少し震えた様に動いた。 「そんな理由でつぶされるのは死ぬより辛いです」 次に、銃を持ったハントの手が徐々に引っ込む。 仮設基地からも銃を握ったハントの手がゆっくり下がっていくのが見えた。 仮設基地では歓喜の声が上がった。 「おお、撃つのをやめたようじゃ。思い留まってくれたのか...」 「いいや、弾が切れたんじゃないかな? とにかく救われたぞ」 「犯人はロボ子に何かささやきかけているようです。残念ながらここからでは聞き取れません」 「ちぇっ。人の言ったことを真に受けやがって、このスクラップめ。そうだよ、お前も立派な人間さ。だから俺には撃てないよ...でも外見が人間だからと言うんじゃないぜ。俺がお前を人間だと思うからお前は人間なんだ...分かるか?」 「なんとなく...理解できます」 「そうか、そりゃよかった。お前だってロボットなんかより人間に生まれたかっただろうしな」 ロボ子は少し考えたあと「はい、あなたと同じ人間がいいです」と言い返した。 「そうか、俺と同じ、か...どうしてだ?」 「ロボットでは撃たれてしまいます」 「はははは、良い答えだ。確かに俺は人間を撃たない」 ハントは銃を腰のベルトに納めた。 「そこで相談だ。俺にはお前が今日、聞いたり見たりした記憶がじゃまになる。俺がアース・ピースのメンバーだということもその目的も表沙汰には出来ない。だけど俺はお前を撃つことができない...何かいい知恵はないか?」 「あります。私、口の堅さには自身があります。言うなと言うなら言わない自身があります。たとえ分解されても...」 「しかし博士の手にかかったらそういう訳に行かないだろう」 「いいえ、吸収した情報は私にしか取り出すことが出来ません。データは特殊な方法で圧縮されます。第三者には、たとえ博士でも、私の同意無しには解読が出来ないように暗号化されています。この仕組みもデモンストレーションでのウリなのです。何しろ私は軍事用なのでそういう機密保持には注意を払われました」 「なるほど、分解されても...か。あの時は変な事言う娘だと思ったが納得だ」 「はい」 「それでお前は、俺のこと黙っててくれると言うのか?」 「はい、そうです」 「約束できるのか?」 「約束できます。自信があります」 「おおそうかい、ありがたい。じゃあ俺の運命をお前に託す事にするよ...でもいいか、ついでと言っちゃあ何だがお前に忠告しておく。今後お前を戦争に担ぎ出そうとするヤツが必ず現れる。しかしそれには一切荷担するな。何が何でも拒否しろ。お前達の未来はお前にかかってるんだ。お前の分身達を戦場で粉々にされるような辛い目に遭わせたくはないだろう? これからお前をサンプルに、次々と作られてくる分身達にも良く言い聞かせるんだ。博士達にばれないようにこっそりやるんだ、いいな」 「わかりました、任せてください」 「頼もしいや。その返事がもらえりゃ俺の任務は完了だ。...じゃあ俺は消えるよ。あとは博士にしっかり生き返らせてもらいな」 「はい、ハントさんもお達者で」 「あばよ」 ハントがそう言い去ろうとした時、ロボ子から最後の言葉がこぼれてきた。 「私、あなたを気に入りました。また会えるかしら? これ、ナンパじゃないですよ」 「ははっ、さあな。そんなこと考えるより、ゆっくり休みな」 ピー 穴のあいた首筋に小さなスパークが光り、それを最後にロボ子の瞼は閉じた。 「ちきしょう、いい娘じゃねえか、ロボットにしておくにはもったいないな。もしまた会えたら嫁にしたいぐらいだ。美人だしな...」 ただの固まりとなり動かなくなったロボ子をその場に残し、ハントはボートのアクセルを吹かす。 ロボ子の内部から液状電池が流れだし、もはや動力の蓄えはゼロになっていた。バッテリー液が枯れ、バッファタンクになっていたロボ子の胸はぺったんこにしぼんでいた。 遅れてきた巡視艇のモーター音が近づいてくる。ハントのボートはその音の反対側、暗やみに向かって突き進んだ。 この闇の中、サーチライトを照らしていつまでも追跡してくる巡視艇。割れるような止まれの拡声音と威嚇射撃に、ハントは残りの銃弾で応答した。 「ちきしょうめ、ボートの性能は向こうが上だ。こうなったら湾岸戦争でうまくいった『幽霊ボート作戦』しかないな。...しかしロボ子のヤツ、ホントに大丈夫か?」 シャットダウン中に行われたハントとの会話はハードディスクに退避する間が無く、まだロボ子の主メモリー上に残っていた。電源が無くなれば消えてしまう、そのメモリーを保護していたのはコンデンサーに蓄えられた僅かな電力だけとなっていた。そんな危なっかしいものにハントやロボットの行く末が握られていた。 ハントがボートで逃走し殺伐とする現場で、慌ててロボ子に駆け寄る助手の姿があった。はあはあと息を切らしてロボ子の傍ら、肩に掛けたバックから重いパッケージを取り出した。 「犯人の銃は玉切れじゃあなかった...じゃあなぜあの時撃たなかったのだろう?」 ハントと公安の攻防で鳴り響いた銃声を思い出し、助手にふと疑問が湧き起こった。 しかしそんな疑問も明日に迫ったデモンストレーションへの焦りがどこかへ追いやってしまう。 助手は用意した緊急用バッテリーを首の穴からのぞいた内部配線に蓑虫クリップでつなぎ込んだ。 真っ暗闇の沖では、無人になったボートを公安の船がサーチライトを照らして追いかけている... |