バルトーク ちょっと寄り道 〜管弦楽のための協奏曲〜

初版作成:2004年3月15日
一部修正:2004年4月4日


 第51回定期で、バルトーク「舞踏組曲」を演奏しますので、普段あまり聴かないバルトークについて、ちょっと寄り道して他の曲も聴いてみましょう。



 バルトークでまず聴く曲といえば「管弦楽のための協奏曲」でしょう。アメリカ移住後の1943年の作品で、本来のバルトークらしさは影を潜め、大衆受けする分かりやすい曲となっています。バルトークの人間、作風が変わったのか、アメリカという音楽後進国に迎合したのか、その辺の事情はよく分かりません。
 アメリカで大衆の理解や支持を得られず生活に困窮していたバルトークを見かねて、当時ボストン交響楽団の指揮者であったクーセヴィツキーからの委嘱で作曲されました。クーセヴィツキー自身は、財政的な援助が目的の名目的な委嘱だったので、期限も設けず、曲が完成されることは期待していなかったようです。
 初演はクーセヴィツキーの指揮で行われています。

 「管弦楽のための協奏曲」とは変な題名ですが、「オーケストラの各楽器が、それぞれ独奏楽器としてオーケストラと共演する」という趣旨で、どの楽章も特定の楽器が主役ということはありません。この曲種はバルトークの発明というわけではなく、ヒンデミット(1925)あたりから始まり、コダーイ(1939)、その後もルトスワフスキー(1954)などが有名です。

 曲は、5つの楽章からなり、作曲者いわく、「おどけた第2楽章除き、第1楽章の厳格さ、第3楽章の死の歌から、終楽章の生の肯定に向かって推移していく」のだそうです。
 いずれにせよ、どの楽章もメロディーがはっきりしていて親しみやすく、バルトークには珍しい「こっけいさ」や「しっとり泣ける」といった要素もあって、バルトーク入門には最適でしょう。



 第1楽章は、低弦の弱音での厳かな「4度+2度」音形で開始。その上にフルートの「前口上」が登場し、トランペットに引継がれて盛り上がり、テンポの速い主部に入ります。この曲の中ではもっともバルトークらしい、がっちりと骨太な音楽です。
(「前口上」は、マジャール語特有の「音節の頭にアクセントがある」旋律だそうです。楽譜例が日フィルホームページの「演奏会の聴きどころ」に出ています)

 第2楽章は「対の遊び」。スケルツォ風のおどけた楽章です。木管楽器とトランペットが、それぞれ2本ずつセットの独奏楽器となって演奏しますが、楽器毎に2本の音程関係が異なります。まず、小太鼓の先導で2本のファゴットが6度音程で登場。次のオーボエが3度、クラリネットが7度、フルートが5度、最後の弱音器付トランペットは2度。この旋律を7度や2度音程で演奏させるとは、さすがバルトーク。
 中間部は落ち着いた金管楽器群のコラール。いい響きです。
 再び冒頭のスケルツォ風に戻って、同じ楽器の組合せで繰り返されます。
 バルトークにも、こんなユーモラスな一面があるのですね。ベートーベンの第8交響曲に匹敵する「大作曲家の遊び心」を感じます。

 第3楽章は、作曲者自身が「死の歌」と呼んだエレジー。木管に現れる不気味なアルペジオは、バルトーク初期のオペラ「青ひげ公の城」で、新妻の要求に押し切られて開いていく7つの秘密の扉のうちの、6番目の扉の中にある「涙の湖」のテーマと同じです。あきらめと、悲痛な叫びに満ちた楽章ですが、絶叫のようなテーマは第1楽章冒頭の「前口上」のテーマです。

 第4楽章は「中断された間奏曲」。ややおどけた調子で始まった曲が、突然ヴィオラの哀愁を帯びた旋律で中断されます。この旋律、個人的には20世紀を代表する「心をえぐる旋律」だと思います。(個人的に「バルトークの孤独」と名付けました)
 続いて、あれよあれよと思う間に曲調が変わり、クラリネットの下降音形のおどけた旋律が出て、これをトロンボーンのグリッサンドがあざ笑います。このクラリネットの下降音形は、ショスタコーヴィチの「レニングラード交響曲」(交響曲第7番)第1楽章でクレッシェンドしながらしつこく繰り返される「ナチスの行進」のパロディといわれています(「レニングラード交響曲」は1942年に初演され、反ナチスの音楽としてアメリカでもトスカニーニ指揮NBC交響楽団によって演奏されラジオ中継された。バルトークもラジオで聴いたという)。一般には、ラヴェルの「ボレロ」の手法をパクったショスタコーヴィチを皮肉ったものといわれていますが、私にはそんな単純なものとは思えません。バルトークは孤高の作曲家で、同時代の誰とも伍することも批判することもなく我が道を行く老大家であったわけで、単に批判するだけの意図で25歳も年下の後輩作曲家のパロディを取り込むとは思えません。もっと、何か深い意図があったのでは・・・。残念ながら、バルトーク自身は何も言及していないようです。
(注)おそらく、バルトークは、自分の硬派の音楽を理解せずに「分かりやすい」ショスタコーヴィチの交響曲群がるアメリカの聴衆やマスメディア、こともあろうに醜い初演権争いを演じたトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーなどの指揮者たちを皮肉っているのでしょう。

 このパロディのバカ騒ぎの後に、最弱音で登場する「バルトークの孤独」には、本当に凍りつきます・・・。(やはり、祖国にとどまって音楽でナチスに果敢に抵抗し、国際的な脚光を浴びているショスタコーヴィチに対する、バルトーク自身の複雑な心境があるのだろうか・・・)

 第5楽章は、うって変わって華やかなフィナーレ。底抜けに明るい(ように見える)音楽で、村のお祭りを思わせるほどで、前述のように、バルトーク自身「生への肯定」と言っています。英雄とか偉大な芸術家というのではなく、生身の一人の人間としての喜びが素直にあふれているように思えます。



予告編

 バルトークの寄り道として、代表作である「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」(通称「弦チェレ」)、上演機会はほとんどありませんが、バルトーク唯一のオペラである「青ひげ公の城」についても書いてみましたので、ご参照下さい。(2004年4月4日)



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