ベルリオーズ「幻想交響曲」のあれやこれや 〜次回76回の演奏曲

2016年 6月 10日 作成



横フィルの第76回定期では、ベルリオーズ「幻想交響曲」、サン・サーンス「死の舞踏」、ラヴェル「マ・メール・ロア」を演奏します。

ということで、演奏にあたってのトピックスをいくつか。

Hector Berlioz (1803〜1869)



1.幻想交響曲

 これは、前回演奏した2002年の48回に書いた記事がありますのでご参考まで。(ああ、そんな昔になってしまった!)

幻想交響曲の“HIP”

 ガーディナーが指揮した「初演当時のオリジナル楽器での演奏」の映像が面白いです。第5楽章の「怒りの日」のモチーフを演奏するのが、何故テューバ2本なのかが分かります。ガーディナーの演奏では、穴あき大型金管楽器「オフィクレイド」と、大蛇のような「セルパン」とで演奏しています。
 その他、第2楽章「舞踏会」でのハープ6台、コルネットのオブリガート、第3楽章「野の風景」の折れ曲がりコールアングレなど、見どころ満載です。当然バソン4本です。

 オリジナル楽器も、最近では20世紀初頭の「春の祭典」まで来ました。今後はどんな方向に進むのか興味津々です。

 そこには書いていないトピックスをいくつか。

(1)続編「レリオ、あるいは生への復帰」

 幻想交響曲は失恋してアヘンを飲んだ「ある芸術家」の物語。幻想交響曲の中で、恋人を殺し、断頭台の露と消え、終楽章では自分の葬式と魔女たちの大宴会に参加します。そのどんちゃん騒ぎの中で曲は華々しく終わります。
 でも、芸術家はそのまま昇天して物語は終わり? 作曲家の企画としては、そうではなかったようです。芸術家(要するにベルリオーズ本人)は生きてこの世に蘇らなくてはなりません。
 ということで、「幻想交響曲」だけで完結しているのではなく、ちゃんと続編があります。それが「レリオ、あるいは生への復帰」作品14bです。
 1830年に初演された「幻想交響曲」作品14を1832年に再演するにあたり、ベルリオーズは続編である「叙情的モノドラマ『レリオ、あるいは生への復帰』作品14bを追加し、2部構成の曲としているのです。

 シェイクスピア女優のハリエット・スミッソンとの失恋が「幻想交響曲」を生み出したとすれば、その後ローマ大賞受賞者としてローマ留学中に婚約者マリー・モークに婚約を破棄されて逆上した経験が「レリオ」を生み出したようです。(このマリー・モークはピアノ製作者プレイエルの息子カミーユと結婚)
 まあ、感情の起伏の激しい人生と、何でもぶっ飛んだ作品に仕立て上げる「興業家魂」がこの作曲家の真骨頂なのでしょう。

Harriet Smithson (1800〜1854)

 この「レリオ」は、次の内容で構成されます。音楽だけでなく、「語り」が入ります。練り上げた構想に基づいて作った一貫性のある内容というよりは、その当時に作曲したものを寄せ集めたという感が強いです。

(1)モノローグ
(2)第1曲「漁師」(ゲーテの詩によるバラード。ピアノ伴奏によるテノール独唱)
(3)モノローグ
(4)第2曲「亡霊の合唱」(管弦楽と合唱)
(5)モノローグ
(6)第3曲「山賊の歌」(管弦楽とバリトン独唱、合唱)
(7)モノローグ
(8)第4曲「幸福の歌」(ハープ、管弦楽とテノール独唱)
(9)モノローグ
(10)第5曲「エオリアン・ハープ−思い出」(ハープと管弦楽)
(11)モノローグ
(12)第6曲 シェイクスピアの「テンペスト」にもとづく幻想曲(管弦楽と合唱)
(13)モノローグ(最後の場面に、幻想の「固定楽想」が登場する)

 舞台上演に当たっては、第6曲の開始までは、主人公レリオの空想上の物語ということで、舞台はカーテンで隠されて音だけが聞こえてくるように指示されています。
 こういう特殊な舞台演出であること、語りが入ることから、実演で演奏されることは極めてまれで、「録音」もあまり存在しませんでした。比較的古くから存在した録音は次のものでしょうか。

コリン・ディヴィス指揮ロンドン交響楽団 (音楽部分のみ)

マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団 (語りまで含む完全版)

 ただし、21世紀になってから、 二部構成での全曲演奏が増えているようです

 最近では、ムーティがシカゴ交響楽団を指揮して2010年に「幻想+レリオ」の二部構成で全曲をライブ録音しています。

ムーティ/シカゴ交響楽団

(2)第5楽章での「怒りの日」

 第5楽章で、弔いの鐘が鳴った後、テューバ2本で強奏されるモチーフが、グレゴリオ聖歌「Dies Irae:怒りの日」です。「怒りの日」とは、「レクイエム」にも用いられる典礼文で、要するに最後の審判、神による生前の行いの審判です。幻想交響曲に登場するこのモチーフは、その一節を歌うグレゴリオ聖歌のメロディであり、「死」を象徴します。

YouTube のグレゴリオ聖歌「怒りの日」の例

 このモチーフは、古今の作曲家がいろいろな場所で使っており、ベルリオーズの専売特許ではありません。
 有名なところでは、
  ・ラフマニノフ作曲「パガニーニの主題による狂詩曲」
  ・ラフマニノフ作曲「死の島」
  ・リスト作曲「死の舞踏〜怒りの日によるパラフレーズ」S.126
などがありますが、聞いてショックを受けるのが、
  ・イザイ作曲「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ」第2番A-moll
です。この曲は、「ジャック・ティボーに」と題されて献呈されていますが、第1曲の冒頭にバッハが出てきたかと思うと、突然「怒りの日」が挿入されます。「第1曲:妄想」「第2曲:憂鬱」「第3曲:亡霊たちの踊り」「第4曲:復讐の女神たち」の全楽章にこの「怒りの日」のモチーフが登場し、気味が悪いほどです。この曲を贈られてしまったジャック・ティボーは、1953年に飛行機事故で、愛器のストラディヴァリウスとともにアルプスの山中に散ることになります。この曲とは関係ないと信じますが。

イザイ作曲/無伴奏ヴァイオリンソナタ集(加藤知子さん)

 また、直接的ではありませんが、ショスタコーヴィチ「交響曲第14番」の第1曲「深き淵より」(スペインの詩人ガルシア・ロルカによる)の冒頭のコントラバスのモチーフ(第10曲「詩人の死」(リルケの詩による)で再現する)や、交響曲第13番「バービイ・ヤール」の第3楽章「商店にて」で、ソ連時代の国営商店のレジ係が重さをごまかそうとする場面に登場したりします。
 お気づきと思いますが、サン・サーンスの「死の舞踏」にもちゃんと登場しますね。(練習番号「D」のあたり)

(3)第2楽章のコルネットのオブリガート

 幻想交響曲の初演(1830年)、「レリオ」を追加しての二部構成での再演(1832年)後も、ベルリオーズは曲の改訂や演奏に熱を入れています。
 1844年の演奏時には、第2楽章の「舞踏会」の場面に、オブリガートのコルネットを追加し、1845年の初めての出版時にはコルネットが入ったものであったとのことです。(その意味で、幻想の「初演」を再現したというガーディナーの演奏に、このコルネットパートが含まれているのは実はおかしい)
 しかし、その後の1855年の最終稿の出版では、このコルネットは削除されたため、現在演奏されるもののほとんどは「コルネットなし」となっています。

 コルネットが入っている演奏には、上記のガーディナーのほかに、「レリオ」で紹介したマルティノン、コリン・ディヴィスなどがあります。

(4)第1楽章、第4楽章の繰り返し

 楽譜を見れば分かりますが、この曲には、第1楽章の交響曲でいう「提示部」と、第4楽章「断頭台への行進」の前半の部分に「繰り返し」が指定されています。
 ところが、交響曲の提示部の繰り返しを省略する傾向(レコードの録音時間がその発端らしい)から、一昔前までは繰り返しを省略した演奏が一般的でした。名盤とされているミュンシュやカラヤンの演奏は繰り返しが省略されています。

 それに対して、1980年代以降の「ピリオド・アプローチ」や「作曲家の意図」「初演当時の演奏習慣の踏襲」などの流れから、昨今では「作曲科の指定した繰り返しは行うべき」という演奏が増えているようです。
 第4楽章の「断頭台への行進」が盛り上がったところで、突然冒頭に戻るのは、なかなか劇的な効果があります。この楽章を一種の「スケルツォ」と考えると(冒頭以降のティンパニは6連符)、冒頭に戻って繰り返すのは妥当なように思えます。

(5)第5楽章「ワルプルギスの夜」

 第5楽章では、恋人殺しによる「断頭台」での処刑で地獄に落ちた主人公が、ワルプルギスの夜の魔女たちの宴に参加して、そこでおどろおどろしい姿に変わっ恋人と再会する情景が描かれます。
 この「ワルプルギスの夜」とは、古代ケルトの発祥で主に北欧で行われる「春の祭り」(5月1日)の前夜に、魔女たちが山に集まって大宴会を開く、との言い伝えに基づくもののようです。キリスト教以前からの土着の風習に基づくものでしょうか。

 中プロのサン・サーンス「死の舞踏」も、このワルプルギスの魔女たち宴会を描いています。

(ご参考) 「ワルプルギスの夜」Wikipedia
  
 

2.サン・サーンス「死の舞踏」

Camille Saint-Saens (1835〜1921)

 「死の舞踏 Danse Macabre 」とは、中世ヨーロッパ以降に伝わる寓話で、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという、「死は万人に共通、生前は王族、貴族、僧侶、農民など身分が違っても、身分や貧富の差なくある日死が訪れて消滅する」という死生観なのでしょう。キリスト教は「復活」を説きますが、貧富によらずやはり「死は怖い」という自然な庶民感情なのでしょう。

 「死の舞踏」は、美術の分野でも題材としてよく取り上げられ、ハンス・ホルバイン(1497〜1543)の絵が有名です。「死の舞踏」の詳細はこちらでご覧ください。




 ちなみに、サン・サーンスの交響詩「死の舞踏」の楽譜で、まさしくこのホルバインの絵を使っているものがありました。(Dover のピアノ独奏用の楽譜です)



 サン・サーンスの交響詩「死の舞踏」作品40は、1872年にまず歌曲として作曲され、1874年に交響詩として改作、1875年に初演されたようです。

歌曲「死の舞踏」のインターネット上にある演奏例

 その歌曲の詩は、次のようなものだそうです。

  ジグ、ジグ、ジグ、墓石の上
  かかとで拍子を取りながら
  真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ
  ジグ、ジグ、ジグ、ヴァイオリンで

  冬の風は吹きすさび、夜は深い
  菩提樹から漏れる呻き声
  青白い骸骨が闇から舞い出で
  屍衣を纏いて跳ね回る

  ジグ、ジグ、ジグ、体を捩らせ
  踊る者どもの骨がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえよう

  静かに! 突然踊りは止み、押しあいへしあい逃げていく
  暁を告げる鶏が鳴いたのだ

 交響詩全体は、4分の3拍子の「スケルツォ」のリズムで書かれています。
 冒頭のハープの単音12個は、真夜中の12時の時報です。そこから、夜が明けて鶏が鳴くまでが、幻想交響曲の第5楽章と同じ「ワルプルギスの夜」の魔女たちの大宴会です。

 最初のフルートで提示される踊りが墓場から飛び出した骸骨たちの踊りです。

 「死神」「悪魔」はなぜかヴァイオリン(フィドルと呼ぶべきか)を弾きます。この曲の独奏ヴァイオリンも死神の弾くものでしょう。
 そういえばマーラーの交響曲第4番の第2楽章も死神のヴァイオリンでした。
 パガニーニも、その風貌から「死神」「悪魔」のイメージがあったようです。

 ラフマニノフなどにインスピレーションを与えた「死の島」の連作を描いた画家アルノルト・ベックリンに「ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像」という絵があります。ここでも死神がヴァイオリンを弾いています。

ベックリン「ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像」(1872)

 さらには、「シロフォン」の音は、乾いた木の音なので「骸骨」のカタカタいう音とのイメージがあるようです。
 こう考えると、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の第2楽章の裏に隠れたパロディーが見えてくる? ショスタコーヴィチはあちこちでシロフォンを使っています。

 「死の舞踏」のモチーフは、サン・サーンス自身が後年の「動物の謝肉祭」の「化石」として使わっていて、シロフォンで登場します。「地層の中から出てきた化石の骨」ということなのでしょうね。

 このサン・サーンスの曲は、よほど評判で有名になったのでしょうか、かのフランツ・リストがピアノ用に編曲しています(S.555)。これをさらにホロヴィッツが編曲した超絶技巧版もあるようです。

 また、何故かエリック・サティが「家具の音楽」の中のひとつである「サロン」という曲が、「死の舞踏」のパロディです。クラリネット、トロンボーン、ピアノで演奏され、30秒程度の曲を延々と繰り返します。「特に意識されることなく、何となくそこにある音楽」ですから。
インターネット上にある演奏例

 リスト自身にも、ピアノと管弦楽のための「死の舞踏〜怒りの日によるパラフレーズ」という曲があるのは、上の「幻想」のところに書いたとおりです。まさしく「怒りの日」に基づいています



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