皇紀二千六百年 奉祝音楽 〜日本の1940年における祝典音楽〜

2018年 2月 11日 皇紀2678年 紀元節に初版作成

 日本では、国造り神話が「日本書紀」に記載され、神武天皇が初代天皇に即位したことになっています。
 これはどこの国、民族にもある「共同体の紀元」であり、それが「神話」「言い伝え」にすぎないことを皆が知っています。

 それを「万世一系の天皇」が統べしめる聖なる国と持ち上げたのが明治政府です。「日本書紀」には、神武天皇の即位が辛酉の年とあり、それを紀元前660年1月1日(旧暦)(新暦2月11日)と比定して「皇紀の紀元」とする日本固有の紀年法を創設しました。これを制定したのは、公式な暦として太陽暦に移行することを定めた1872年(明治5年)のことです。(2月11日は「紀元節」という国民の祝日になりました。これは太平洋戦争後廃止されましたが、1966年に「建国記念日」として復活されています)
 つまり「皇紀」という年の数え方が創設されたのは、明治になってからのことで、決して日本古来のことではありません。(日本で使われてきた年号は、あくまでその都度制定した「元号」で、最初の元号は「大化の改新」後の大化元年(645年)のようです)

 それが、国威発揚の手段として前面に立てて利用され始めたのが、天皇を「現人神」として絶対視する軍国主義ナショナリズムが台頭し、学問の世界では通説となっていた天皇機関説が「不敬罪」に問われた1935年(昭和10年)ごろからです。
 おりしも、1940年が「皇紀紀元2600年」となることから、この年を盛大に祝う動きが盛り上がりました。軍部では、意図的に「皇紀年号」を使う動きが活発になり、戦闘機「零戦」の「ゼロ」は「皇紀2600年」の末尾数字を用いた型式名の呼び方により命名されたものです。

皇紀二千六百年奉祝ポスター
「祝へ! 元気に 朗かに」
(大政翼賛会)


 そもそも1940年には、東京でオリンピックが開催される予定でした。1936年のベルリン・オリンピックをナチスが国威発揚の場としたように、日本も1940年のオリンピックを盛大に挙行する予定でしたが、日中戦争の悪化や1933年に国際連盟を脱退していたことなどもあり、1938年に返上・辞退します。
 代わりに、というわけでもないでしょうが、1940年の皇紀紀元2600年を祝う「奉祝曲」の委嘱を行うこととして、国内外に広く委嘱、募集を行います。
 そこに、国内外から多数の曲が寄せられました。

1940年に行なわれた「皇紀二千六百年奉祝楽曲演奏会」の録音CD

 この話題に最初に触れたのは、2013年のベンジャミン・ブリテン生誕100周年に向けて、2012年に書いたベンジャミン・ブリテンの記事のときでしょうか。ブリテンの代表作である「シンフォニア・ダ・レクイエム」(鎮魂交響曲)が、そもそも「皇紀二千六百年奉祝音楽」の委嘱先品として作曲されたことに関してでした。

 今回、横浜フィルの第79回定期演奏会の演奏曲目(交響詩「ドン・ファン」)に関連したリヒャルト・シュトラウスの記事を書いていて、再び「皇紀二千六百年奉祝音楽」に言及することになりました。R.シュトラウスが1940年に作曲した「皇紀二千六百年記念奉祝音楽」作品84です。

 ということで、ここで、あらためて「皇紀二千六百年奉祝音楽」の全体についてまとめておこうと思います。日本では太平洋戦争へと突き進む軍国主義のなせる業であったという経緯から正面から取り組まれることもなく、かつ世界からも日本の軍国主義とドイツのナチズムの協力の歴史であることから、論じられ演奏されることが忌避されてきたものと思われます。
 ここで、政治的にその正当性や歴史的な意義づけを論じるつもりはありませんが、純粋に音楽の歴史的一コマとして、そして当時の世界の、そして日本の音楽文化を知る上で、きちんと事実関係を認識しておくことが必要だと思います。

 ちなみに、墨田川の河口の、東京都心と月島とを結ぶ「かちどき橋」も、皇紀2600年を記念して1940年に竣工しています。

かちどき橋



1.「皇紀二千六百年記念奉祝音楽」とは

 上に書いたように、1940年の皇紀紀元2600年を盛大に祝うために、「皇紀二千六百年奉祝音楽」として、国際的に広く音楽作品が委嘱されるとともに、国内でも委嘱作品、記念事業用の作品が数多く作曲されました。

1.1 海外への委嘱作品

 海外への委嘱作品としては、下記のものでした。

ドイツ:リヒャルト・シュトラウス作曲「皇紀二千六百年記念奉祝音楽」作品84(管弦楽曲)
フランス:ジャック・イベール作曲「祝典序曲」(管弦楽曲)
イギリス:ベンジャミン・ブリテン作曲「シンフォニア・ダ・レクイエム」(管弦楽曲)
(締切に遅れたこと、および内容が祝典にふさわしくないとの理由で日本政府は受取り拒否。ただし委嘱料は支払われた)
イタリア:イルデブランド・ピツェッティ作曲「交響曲イ調」(管弦楽曲)
ハンガリー:シャーンドル・ヴェレシュ作曲「交響曲(第1番)『日本の皇紀2600年へのハンガリーからの贈り物』」(管弦楽曲)
アメリカ:時節柄、日本からの委嘱を断った。

1.2 国内の作品

 国内でもいろいろな奉祝音楽が作られました。必ずしも国からの委嘱や依頼ではなく、地方自治体や新聞社・マスコミ、民間の依頼や公募により、あるいは商業的、自主的に作られたものもあったようです。(Wikipediaより転載、一部追加)

 森義八郎・作曲/「紀元二千六百年」(内閣奉祝会・日本放送協会の公募曲、増田好生・作詞)
  「金鵄(きんし)輝く日本の」で始まり「紀元はにせーんろっぴゃくねん」と歌われる。
 信時潔・作曲/交声曲「海道東征」(北原白秋・詩)
 信時潔・作曲/「紀元二千六百年頌歌」(東京音楽学校作)
 伊福部昭・作曲/交響舞曲「越天楽」
 市川都志春・作曲/交響組曲「春苑」
 早坂文雄・作曲/「序曲二調」
 橋本國彦・作曲/交響曲第1番ニ調(1940年)(第3楽章は伊沢修二・作曲の歌曲「紀元節」の主題に基づく変奏曲)
 箕作秋吉・作曲(秋吉元作名義で発表)/序曲「大地を歩む」
 清瀬保二・作曲/「日本舞踊組曲」
 大木正夫・作曲/交響詩曲「羽衣」
 大沼哲・作曲/「大歓喜」
 斉藤丑松・作曲/大行進曲「大日本」、行進曲「紀元二千六百年」(森義八郎の「紀元二千六百年」をトリオに使った行進曲)
 陸軍戸山学校軍楽隊/行進曲「大日本」(斉藤丑松作曲の物とは別)
 山田耕筰・作曲/歌劇「黒船」(初演時は「夜明け」)、音詩「神風」
 市川都志春・作曲/交響組曲「春苑」
 宮城道雄・作曲/祝典箏協奏曲、寄櫻祝(さくらによせるいわい)、大和の春
 大澤壽人・作曲/交響曲第三番「建国の交響楽」(1937年)、交声曲「万民奉祝譜」、交声曲「海の夜明け」
 須賀田礒太郎・作曲/「興亜序曲(交響的序曲)」、「双龍交遊之舞」
 菅原明朗・作曲/紀元二六〇〇年の譜、交声曲「時宗」
 深井史郎・作曲/舞踊音楽「創造」
 江文也・作曲/舞踊音楽「東亜の歌」
 高木東六・作曲/舞踊音楽「前進の脈動」
 松平頼則・作曲/舞踊音楽「富士縁起」
 尾高尚忠・作曲/「ピアノ・ソナチネ」
 中山晋平・作曲/新民謡「建国音頭」
 柳田義勝・作曲/新民謡「建国舞踊」
 飯田信夫・作曲/舞踊曲「仏教東漸」
 山田一雄・作曲/序曲「荘厳なる祭典」(1939年)

 その他、「山口県民歌」(作詞・渡辺世祐、補作・高野辰之、作曲・信時潔、1940年)、尼崎市歌(作詞・土井晩翠、作曲・東京音楽学校、1940年)、北海道歌(公募による岡部二郎の応募作、山田耕筰・作曲)などが皇紀二千六百年記念事業として作成されたようですが、いずれも皇国、軍国主義を想起させる歌詞の内容のため、戦後は使われることはなかったようです。

2.海外委嘱作品

 海外への委嘱作品を、少し詳しく見ていきましょう。

2.1 リヒャルト・シュトラウス作曲「皇紀二千六百年記念奉祝音楽」作品84

 Richard Strauss : Festmusik zur Feier des 2600 jahringen Bestehens des Kaiserreichs Japan, Op.84

 約16分の管弦楽曲です。R.シュトラウス(1864〜1949)の作品の中では、およそ演奏されることのない曲で、意図的に忌避されているのでしょうね。でも、いかにもそれらしい華麗な曲ではあります。純粋に音楽的な評価がされてもよいのではないかと思います。
 R.シュトラウスはさすがに職人で、「祝典用の音楽」の委嘱に対して、それらしい堅固な作りの曲を送付してきました。R.シュトラウスが考える日本のイメージを音楽にしていますが、音楽の素材やモチーフとして「日本」を思わせるものはありません。唯一あるとすれば、冒頭の部分で使われる「ゴング」は日本の「梵鐘」をイメージしたといわれ、1940年の日本での初演時には、各地の寺から徴用した「鐘」の中から音程が合うものを選んで使用したようです。
 曲は、連続して演奏されますが、大きく5つの部分に分かれます。

 海の情景(Meerszene):「鐘」の鳴り響く中(何となくガムラン音楽)、ひねもすのたりと波が打ち寄せる。
 桜祭り(Kirschblutenfest):突然、アルプスの山々が現れたような華麗な光景。「花見の宴」なのでしょうね。可憐な花が咲き乱れます。「芸者」の姿も見えるような。
 火山の噴火(Vulkanausbruch):アルプスの雷雲のような黒い影と地響き。R.シュトラウスが考えたのは「富士山」でしょうか。
 サムライの突撃(Angriff der Samurai):噴火はすぐにおさまり、ドン・キホーテのような侍たちの登場。この時代にはあり得ませんが、やはりヨーロッパから見た日本は「フジヤマ、サクラ、ゲイシャ、サムライ」だったのでしょうね。
 天皇頌歌(Loblied auf den Kaiser):晴れ渡る壮大な光景と、天皇の高い徳の讃歌。いかにも「奉祝曲」にふさわしい壮麗なフィナーレ。

 公開初演は1940年(昭和15年)12月14日に歌舞伎座で行われ、東京音楽学校教授のヘルムート・フェルマーが臨時編成の紀元二千六百年奉祝交響楽団を指揮しました。

紀元二千六百年奉祝演奏会のプログラムとR.シュトラウス自筆の献辞(2014年に行われた東京藝大フィルハーモニアの「生誕150周年演奏会」プログラムより)

 冒頭にあげた、1940年の録音でも聞くことができますが、新しいよい音での演奏としては、アシュケナージ指揮チェコ・フィルの演奏があります。日本のエクストン・レコードが録音したものであり、日本からの依頼で録音されたのでしょう。この曲の実体を知る上では十分な内容の演奏です。

アシュケナージ指揮チェコ・フィルの演奏

 

2.2 ジャック・イベール作曲「祝典序曲」

 Jacques Ibert : Ouverture de fete

 ジャック・イベール(1890〜1962)は、言わずと知れたフランスの作曲科で、世代的にはフランス六人組と同世代で、「六人組」の中にいてもおかしくなかった存在です。エキゾティックな交響組曲「寄港地」や「ディヴェルティスマン」、木管五重奏のための「3つの小品」などが知られています。
 「祝典序曲」は約16分の管弦楽曲で、イベールの作品の中では比較的よく演奏される曲です。
 いかにも明るい機知に富んだ開始と、スケルツォ風のフーガ風モチーフの展開。
 やがて、金管に始まるコラール風モチーフ。  中間部は暗く沈んだ闇の中から、サキソフォンの素朴なテーマが浮かび上がります。(何となくビゼーの「アルルの女」を思わせる)
 再びスケルツォ風のモチーフとコラール風のモチーフで盛り上がって幕を閉じます。

 公開初演は1940年(昭和15年)12月14日に歌舞伎座で、山田耕筰指揮の紀元二千六百年奉祝交響楽団によって行われました。

 この曲の演奏や録音はたくさんあります。一例として佐渡裕指揮ラムルー管弦楽団マルティノン指揮フランス国立放送管(これは名演)など。

イベール「祝典序曲」他、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管

2.3 ベンジャミン・ブリテン作曲「シンフォニア・ダ・レクイエム」作品20

 Benjamin Britten : Sinfonia da Requiem, Op.20

 この曲は、ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)の代表作で、こちらのブリテンの記事にも書きました。

 この曲は、「皇紀二千六百年奉祝曲」として世界各国に委嘱した作品のひとつですが、締め切りに遅れたこと、祝賀音楽に「レクイエム」とは何たることか、ということで、日本政府が演奏を拒否したといういわく付きの曲です(でも、委嘱料は支払われた)。
 ブリテンが何故「レクイエム」などというタイトルの曲を書いたか、という真相は結局語られないままだったようですが、反戦主義者・平和主義者のブリテンが意図的にそうしたタイトルを選んだという説や、「初代・神武天皇の御霊(みたま)に捧げる」との解釈で作られたという説などがあって定説はないようです。

 「皇紀二千六百年奉祝曲」の委嘱は、作曲家個人に対してではなく、各国政府に斡旋を依頼する形で行われ、各国で作曲家を選んだり、国内でコンクールを行ったりして応えたようです。
 ブリテンは、当時ヨーロッパの戦火を避けてアメリカに移住しており、経済的に困窮していて、応募に手を挙げたようです。応募した1939年時点では、ブリテンはまだ26歳の駆け出し作曲家に過ぎず、国家の代表としての推薦を得るほどの実績はありませんでした。アメリカが委嘱を断ったということからして、イギリスも乗り気ではなかったところに、ブリテンが立候補したので「やらせとけ」ということになったのでしょうか。

 ちなみに、上記のイベールについては、「連合国側のフランスも応じた」という記述を見かけますが、第二次大戦開戦直後の1940年6月にフランスはドイツに降伏して休戦を受入れ、親ナチスのヴィシー政権が成立していますので、皇紀2600年奉祝音楽会の時点では、フランスは「枢軸国側」でした。日本からの委嘱を受けた1939年には、確かに「連合国」側でしたが、そのときには日本はまだ参戦していませんでした。

 さらにちなみに、上記の混乱の中で日本に送った「シンフォニア・ダ・レクイエム」の写譜スコアは、日本政府が受け入れを拒否して演奏もされなかったことから行方不明となり、1987年に東京芸大に保存されていることが分かって「発見」されたとか(本当か?)。ほとほとさように、音楽の「歴史」はいい加減で無責任なものです。

 なお、日本での演奏を断られたことから、この曲の初演は1941年にバルビローリ指揮のニューヨーク・フィルによって行われたそうです。(演奏者からすると、どうみても一流の扱いですね)
 日本初演は、戦後、訪日したブリテン自身の指揮するNHK交響楽団により、1956年に行なわれたそうです。

 曲は、第1楽章「涙の日(Lacrymosa)」、第2楽章「怒りの日(Dies Irae)」、第3楽章「永遠の安息(Requiem Aeternam)」からなります。確かに、祝典には不向きですね。
 「レクイエム」というタイトルで、各楽章もこのようにカトリックの典礼文によっていますが、声楽を含まない管弦楽曲です。演奏時間は約20分。

 第1楽章:涙の日 Lacrymosa:ティンパニーの激しい一撃で始まる、重苦しい、不安と懐疑に満ちた曲。
 第2楽章:怒りの日 Dies Irae:切れ目なしに続き、テンポが上がって不機嫌が駆け抜けます。サキソフォンが効果的に使われます。
 第3楽章:永遠の安息 Requiem Aeternam:怒りが収まったところから始まる、「あきらめ」にも似た安息。消え入るように終わります。

 この曲は非常にメジャーなので、演奏会でもよく取り上げられますし、録音もたくさん出ています。

「シンフォニア・ダ・レクイエム」他、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団

2.4 イルデブランド・ピツェッティ作曲「交響曲イ調」

 Ildebrando Pizzetti: Symphony in A

 イルデブランド・ピツェッティ(1880〜1968)は、イタリアの作曲家で、新古典主義あるいは新ロマン主義として、伝統的な調性や和声、教会旋法などに基づいて曲を作っています。イタリア・ルネサンス音楽の研究なども行ったようです。
 現在では、他の曲も含めて演奏される曲もなく、ほとんど忘れられた作曲家です。

 演奏時間は約45分の堂々たる風格の交響曲です。祝典的な華麗さというよりは、悲しみや内面的深みを持った芸術的・美学的志向のシリアスな曲です。

 第1楽章:序奏付きソナタ形式
 第2楽章:三部形式の緩徐楽章
 第3楽章:スケルツォ
 第4楽章:序奏付きの行進曲。古代ローマ軍の行進を思わせる堂々としたもので、最後は日暮れから夜に向かうように静かに幕を閉じます。

 初演は1940年(昭和15年)12月14日に歌舞伎座で、イタリアから来日して宮内省式部職楽部の教師を務めていたガエタノ・コメリ指揮の紀元二千六百年奉祝交響楽団が行いました。

 なお、日本人作曲家の作品を数多く手がけている「オーケストラ・ニッポニカ」では、2016年2月14日の第28回演奏会でこの曲を取り上げているようです。(私は、第27回と第29回は聞いているのですが、残念ながらこの第28回は聞いていません)

 録音に関しては、Naxos からダミアン・イオリア指揮イタリア放送協会(RAI)国立管弦楽団の演奏の録音が出ています。これがほとんど唯一の録音ですが、この曲の真価を知る上で十分な演奏です。

ダミアン・イオリア指揮イタリア放送協会国立管弦楽団(Naxos)

2.5 シャーンドル・ヴェレシュ作曲「交響曲(第1番)『日本の皇紀2600年へのハンガリーからの贈り物』」

 Sandor Veress : Symphony (No.1) : Hungarian greetings of the 2600th anniversary of the Japanese Dynasty

 シャーンドル・ヴェレシュ(ハンガリーでは、日本と同じ姓・名の順で呼ばれるので、ハンガリー的には「ヴェレシュ・シャーンドル」、1907〜1992)は、ハンガリーの作曲家で、ブダペスト音楽院でバルトークやコダーイに学んでいますが、第二次大戦後の1949年に共産政権を嫌ってスイスに亡命しており、祖国ハンガリーでは演奏が禁じられて抹殺されていました。ほとんど忘れられた作曲家でしたが、近年弟子のハインツ・ホリガー(オーボエ奏者で、指揮、作曲も行う)やピアニストのアンドラーシュ・シフが取り上げるようになって再評価され始めているようです。

 この「交響曲(第1番)『日本の皇紀2600年へのハンガリーからの贈り物』」については、ほとんど情報がありません。
 初演は1940年(昭和15年)12月14日に歌舞伎座で、橋本國彦指揮の紀元二千六百年奉祝交響楽団が行いました。

 この曲も含めて、私は残念ながらヴェレシュの作品の演奏を聞いたことがありません。
 この曲に関しては、残念ながら録音すら出ていないようです。
 ただし、Naxos のミュージック・ライブラリーにはタマーシュ・パル指揮サヴァリア交響楽団の演奏が掲載されていますので、機会があれば聞いてみたいと思います。

タマーシュ・パル指揮サヴァリア交響楽団の演奏(Naxos Music Library)

3.国内の作品

 国内の作品のうち、一部を少し詳しく見ていきましょう。

3.1 北原白秋・詩、信時潔・作曲による交声曲(カンタータ)「海道東征」

 信時潔(のぶとき きよし、1887〜1965)は、当時東京音楽学校の元教授であり、日本放送協会の依頼により1937年に『海ゆかば』を作曲したことで広く知られており、紀元二千六百年に際しても、日本文化中央聯盟より委嘱を受け詩人の北原白秋と共に奉祝楽曲を作ることとなりました。
 北原白秋の詩は、「古事記」「日本書紀」に書かれた日本神話を元にしたもので、天照8あまてらす)による天地開闢、国産み、九州高千穂への天孫降臨、即位前の神武が九州を発って瀬戸内の海道を大和まで東征し、大和に至って神武天皇として即位して日本国家を樹立までの物語を扱う雄大な叙事詩となっています。詩の言葉は「擬古体」で書かれ、古風でかなり分かりにくいものになっています。

 曲は以下の8章からなり、演奏時間は約50分です。

 第1章:高千穂(たかちほ):冒頭は雅楽調。すぐに「君が代」に似た旋律で国作りと天孫降臨が歌われる。
 第2章:大和思慕(やまとしぼ)九州高千穂から大和に思いをはせる。「古事記」のヤマトタケルの「国思(くにしのび)の歌」が引用される。
 第3章:御船出(みふなで):日向の地を船出して大和を目指す。
 第4章:御船謡(みふなうた):船出を祝い、航海の安全を祈る。船漕ぎたちの歌は「ヤアハレ」という掛け声の民謡調。
 第5章:速吸と菟狭(はやすい と うさ):潮流の速い海峡では、土地の神が亀に乗って水先案内。「浦島太郎」を思わせる童謡風の児童合唱。「うさ」(大分・宇佐)に都を造営。「都節」風(みやこぶし:半音を伴うの五音音階)。
 第6章:海道回顧(かいどうかいこ):年月を重ねて東に進み、皇軍の船数は増えていく。第一章が回顧される。いよいよ難波を目指す。
 第7章:白肩津上陸(しらかたのつ じょうりく):音楽は牧歌的だが、内容な戦闘の場面。難波に上陸。
 第8章:天業恢弘(てんぎょうかいこう):時間一足飛びして、大和を平定して神武天皇として即位する場面が歌われます。

 初演は、1940年(昭和15年)11月20日(21日?)に東京音楽学校奏楽堂で行われた演奏会において抜粋5曲が、11月26日に日比谷公会堂で行われた皇紀二千六百年奉祝演奏会で全曲が、木下保指揮、東京音楽学校管弦楽部、生徒合唱、上野児童音楽学園の児童合唱によって演奏されました。(なお、11月26日の日比谷公会堂での演奏会では、他に宮城道夫作曲「祝典箏協奏曲」、「寄櫻祝(さくらによせるいわい)」、山田耕筰作曲/音詩「神風」も演奏され、全国にラジオ中継された)

 戦後、演奏はほとんど行われなくなりましたが、21世紀になってから、2003年2月23日の本名徹次指揮/オーケストラ・ニッポニカ第2回演奏会(紀尾井ホール)、2014年2月11日の和田和樹指揮/横浜シンフォニエッタ(熊本県立劇場)、2015年11月20日、22日の北原幸男指揮/大阪フィルハーモニー(大阪、ザ・シンフォニーホール)、そして2015年11月28日の湯浅卓治指揮/藝大シンフォニーオーケストラ(東京藝術大学奏楽堂)と復活演奏されるようになったようです。
(ひょっとすると、右傾化する社会の動きと関係があるのかもしれません)

 録音は、2015年に藝大で行われた演奏会の実況録音(湯浅卓治指揮、藝大シンフォニーオーケストラ)と、2012年に熊本で行われた山田和樹指揮、横浜シンフォニエッタの実況録音が入手可能です。

湯浅卓治指揮、藝大シンフォニーオーケストラ

 この演奏は、作曲者の信時潔が東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の元教授であったこと、初演が東京音楽学校の学生たちによってなされたこと、自筆楽譜が東京藝術大学に保存されているといったことから、東京藝大がこの曲の再評価にかける思いを集大成した演奏で、2015年11月28日に東京藝術大学内にある現在の奏楽堂で行われた演奏会のライブ録音です。
 演奏にあたっては、スコアに「Klavir (arpa)」と書かれ、当時はハープの調達が難しかった事情からピアノで演奏された部分の一部を、作曲者の意向を考慮してハープに変えて演奏しています。また、当時東京音楽学校のテューバの先生が、本来のスコアにはないテューバで参加していたこと、作曲者の了解を得て作ったテューバの手書きパート譜が残っていることなどから、テューバも加えた演奏となっています。(あとは、出版譜にあるいくつかのミスを修正しているとのこと)

山田和樹指揮、横浜シンフォニエッタ

 これは、上記の藝大による演奏の前年に熊本で演奏されたもののライブ録音。この演奏会でこの曲が取り上げられることになった経緯はよく分かりません。(CD解説にも記載なし)。
 

3.2 橋本國彦・作曲/交響曲第1番ニ調

 橋本國彦(はしもと くにひこ、1904〜1949)は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の教授として、戦前の日本音楽アカデミズムを牽引した、日本の代表的な作曲家です。
 1904年に東京で生まれ、サラリーマンであった父の転勤で大阪で育ちました。
 1923年に東京音楽学校に入学し、当時は「作曲科」はなかったのでヴァイオリンと指揮を専攻しました。作曲は、東京音楽学校の信時潔に指導を受けるほかは独学で学んだようです。
 1933年には母校の教官に就任し、1934年には「皇太子殿下御生誕奉祝曲」(独唱、合唱、大管弦楽のためのカンタータ)を作曲しています(この皇太子殿下は現在の今上天皇)。  そして、1934〜37年には文部省から派遣されてヨーロッパに留学し、特にウィーンに長く滞在したようです。
 帰国してからは、日本の音楽界を代表する存在として、南京陥落を祝うカンタータや山本五十六提督を題材とするカンタータ、皇紀2600年奉祝曲である交響曲第1番などを作曲するとともに、戦時歌謡として「大日本の歌」「大東亜戦争海軍の歌」「学徒進軍歌」「勝ち抜く僕等少国民」などを作曲しました。
 また、指揮者としても活躍し、内外の作品を日本国内、朝鮮、中国で指揮しました。

 「交響曲第1番ニ調」は、皇紀2600年奉祝曲として1940年に作曲され、1940年6月11日に、作曲家自身の指揮、東京音楽学校オーケストラにより、日比谷公会堂で初演されました。
 国家的祝典曲にふさわしい、平明で明るい響きの曲となっています。
 演奏時間は約47分で、下記の楽章からなります。

  第1楽章:マエストーソ
  第2楽章:アレグレット〜スケルツァンド〜アレグレット
  第3楽章:主題と変奏曲とフーガ〜唱歌「紀元節」(伊沢修二作曲)の主題に基づく

沼尻竜典指揮 東京都交響楽団(Naxos、日本作曲家選輯)

3.3 大澤壽人・作曲/交響曲第三番「建国の交響楽」

 大澤壽人(おおざわ ひさと、1907〜1953)は、早世したこともあり、これまでの日本音楽界ではほとんど無名の存在でした。
 1907年に神戸で生まれた大澤は、実業家の裕福な家庭であったことから、神戸で外国人音楽家を含む多くの文化人と交流したりピアノを習ったりして音楽活動を行い、1930年からはアメリカにわたってボストン大学やニューイングランド音楽院で音楽の専門教育を受けました。ナチスを避けてアメリカに渡っていたシェーンベルクの講義にも参加したようです。
 1934年にアメリカでの学業を終えた後、パリでエコール・ノルマルに籍を置いてナディア・ブーランジュやポール・デュカのレッスンを受けるとともに、ルーセル、フローラン・シュミット、イベールなどとも交友関係を持ったようです。そして、1935年には、パリでコンセール・パドゥルー管弦楽団を指揮して自作の「交響曲第2番」「ピアノ協奏曲第2番」を発表しています。
 当時の本場ヨーロッパで、モダニズムや「前衛音楽」をも取り込んで「最先端」で活躍する若き作曲家だったわけです。
 不幸だったのは、そういった本場での成功をひっさげて帰国した日本が、あまりに保守的で閉鎖的であったこと、そして何よりもアメリカとの戦争に突入して国際的孤立状態に陥ったことでしょうか。
 6年間の海外留学を終え、大澤は1936年に帰国します。そこで、留学中に作曲した交響曲や協奏曲を新交響楽団(現在のNHK交響楽団)や大阪の宝塚交響楽団で演奏しますが、日本ではほとんど話題にならなかったようです。
 日本での活動を本格化させるべく、1937年に「交響曲第3番」を作曲します。日本でも受け入れられるものを目指し、来るべき1940年の皇紀2600年に向けて「建国の交響曲」と命名します。(CDに解説を書いている片山杜秀氏は、ヨーロッパで作曲した交響曲第2番と比較して「ショスタコーヴィチの4番と5番のような関係」と評しています)
 その後の戦争期、戦後の混乱期の中で、大澤はラジオ放送や映画の仕事で生計を立てていたようですが、1953年に47歳の若さで脳溢血で他界します。音楽教育を海外で受けたこともあり、日本の音楽界では孤高無縁だった大澤の楽譜は、片山杜秀氏らが2000年に「蔵開け」するまで、神戸の大澤家に眠り続けていたのだそうです。

 交響曲第3番は、下記の片山杜秀氏監修の「日本作曲家選輯」シリーズでの録音が、戦後初の全曲演奏なのだそうです。

ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団(Naxos、日本作曲家選輯)

3.4 その他

 日本の「紀元二千六百年奉祝曲」については、なかなか音源や情報を入手することが難しいようです。
 情報が入手できれば、適宜追加していきます。

 なお、Naxos の「日本作曲家選輯」シリーズは、慶応大学の片山杜秀氏が監修しているもので、日本人作曲家の作品を広めて再評価するのに大いに役に立っていると思います。
 上記の「紀元二千六百年奉祝曲」も含めて、代表的な20枚をまとめた「日本作曲家選輯〜片山杜秀エディション」というボックスも出ているようですので、興味があれば聞いてみてください。

日本作曲家選輯〜片山杜秀エディション(Naxos)


 



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