ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

2007年 1月27日 作成
2007年 2月 9日 映像リストなどの情報を追加 New


 横フィルの次回(第57回)定期演奏会で、ワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を演奏します。
 マイスタージンガーといえばオペラ、しかも舞台は行ったこともあるニュルンベルク。今回も、いろいろと無駄な知識を集めてみました。



1.舞台はニュルンベルク

 ニュルンベルクは、旧西ドイツの南部、バイエルン州の街です。ミュンヘンに次ぐバイエルン州第2の都市とのことですが、人口は50万人程度だと思います。日本でいえば、地方の県庁所在地ぐらいの規模です。(下の地図で位置を確認してください)

(1)ドイツにおけるニュルンベルクの位置づけ

 ドイツの古都であり、日本でいえば「京都」といった感じでしょうか。中世には、ハンザ同盟の自由都市国家として栄えた、古きよきドイツの象徴のような街です。

 ヒトラーがここでナチス党大会を開いたのは、そういった「ドイツの伝統」を誇示したかったからなのでしょう。
 ナチスと密接に結びついていたことから、第2次大戦中には逆に連合国側からの集中爆撃の対象となり(ドレスデンとニュルンベルク)、街は瓦礫の山となりました。日本と違って石でできた街なので、勤勉なドイツ人は、戦後、崩れた石を一つ一つ積み上げて、昔の街並みを再現したとのことです。
 また、ナチスを裁く軍事法廷が開かれたのもニュルンベルクでした。(日本では東京裁判、ドイツではニュルンベルク裁判)

 そんな訳で、ニュルンベルクという街は、ドイツ人にとっては特別な歴史的ルーツ意識があるようです。

(2)ニュルンベルクの思い出

 ニュルンベルクは、仕事で2度訪問したことがあります。もっとも、仕事はニュルンベルクそのものではなく、電車で約30分程度の近くの街でしたが。東京と横浜という感じでしょうか。

 当時は、まだベルリンの壁が存在し、ニュルンベルクは「西ドイツ」であり、地続きであってもそこからベルリンやライプツィヒ、ドレスデンへは普通では行けませんでした。また、ロシア(当時ソヴィエト)上空を飛行できなかったので、往復はアラスカのアンカレッジ経由でした・・・(時代を感じます・・。アンカレッジ空港の白熊の剥製やうどん屋を知っている人はほとんど化石か?)。

 ニュルンベルクは、石の建造物でできた街で、市街地は城壁の中にあります。
 ドイツ国鉄の駅は城壁の外側にあるので、駅を降りて、堀を渡って古い城壁の中に入ると、そこが古都ニュルンベルクの市街です。歩いて回れる程度の広さです。

ニュルンベルクへの入口 ニュルンベルク市街への入口

 中心部に向かって歩いていくと、途中に2本の塔を持つ聖ローレンツ教会があります。教会内部ではオルガンの練習をしていました。広い空間に、荘厳な音が響き渡っていました。

聖ローレンツ教会 聖ローレンツ教会(若き日の私も写っている・・・)

聖ローレンツ教会 聖ローレンツ教会

 街の中央を流れるペグニッツ川を渡ると、中央広場とフラウエン教会があります。最初に行ったときは、12月中旬のクリスマス直前だったので、この広場でクリスマス市が開かれていました。クリスマス飾り、ろうそく、兵隊の形をしたくるみ割り人形など、日本では見られないような豊富なクリスマス用品がずらりと並んでいました。寒いときの日本の甘酒ならぬ、ホットワインの露店も出ていました。ニュルンベルクのクリスマス市はとても有名だそうで、偶然めぐり合うことができてラッキーでした。

クリスマス市 教会前広場でのクリスマス市

 さらに進むと、街の奥の小高い丘に、カイザーブルクと呼ばれる城(というよりこじんまりした砦といった感じ)があります。ここから眺めると、街全体がよく見えます。
 また、カイザーブルクの近くに、画家アルブレヒト・デューラー(1471〜1528)の住んでいた家があります(デューラー・ハウス)。デューラーの絵は、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークや、パリのルーヴル美術館で見られます。(オペラの中でも、「デューラーの描いたデーヴィット(ダビデ)の絵に似ている」という言葉が出てきます)

カイザーブルク カイザーブルク。城壁の上が展望台。

  カイザーブルク、デューラーハウスの入場券
カイザーブルクのチケット

カイザーブルクからの眺望
カイザーブルクからの眺望 カイザーブルクからの眺望

 ニュルンベルクは、日本でいえば中規模の街ですが、市立歌劇場があります。また、歌劇場とは別に、コンサート専用ホールがあります。コンサート用のホールは「マイスタージンガー・ハレ」Meistersinger Halleと呼ばれています。
 私は、仕事で行ったのですが、何とか時間をやりくりして、オペラを1晩だけ見ました(コンサートは残念ながら聴けませんでした)。オペラは、フロトー(Friedrich von Flotow)作曲/歌劇「マルタ」(Martha)(こちらの記事を参照下さい)。歌手もオーケストラもなかなかのレベルでした。別記事にも書きましたが、「マルタ」というとてもマイナーなオペラを聴きながら、隣のおばあさんは鼻歌で一緒にアリアを歌っていました。ドイツの(そしてヨーロッパの)文化って、ものすごく底辺が広いということがよく分かりました。(おそるべし、ドイツのおばあちゃん!)

ニュルンベルク市立歌劇場のチケット ニュルンベルク市立歌劇場のチケット(当時はDM:ドイツマルク。30DMは約\2,500)



2.ワーグナーの歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

 前奏曲は、ハ長調の明るい響きで健全に始まります。品行方正な健康優良児のイメージです。
 この前奏曲のほとんどのモチーフは、ほぼそのままの形で歌劇の最終の場(第3幕第2場)の歌合戦の場面に出てきます。前奏曲冒頭の「マイスタージンガー」(親方歌手)のモチーフ、金管による行進曲風の「マイスタージンガーの行進」のモチーフ(40小節目)、マイスタージンガーの芸術のモチーフ(59小節目)、半音階的進行の主人公ワルターが歌う愛のモチーフ(94小節目)などなど。あとは、これらが相互に絡み合って進行していきます。
 特徴的なのは、これらのモチーフがすべて長調であること。そういえば、短調のモチーフは一つも登場しませんね。

 これがこの当時のワーグナーの特徴かというと、そうではありません。この時代、ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」を作曲しています。こちらは、いわゆる「トリスタン和音」で始まる、調性破壊のルーツと言われている曲です。調性のはっきりしない、半音階的動きの多い、もやもや・うねうね・じとーっという湿度の高い官能的な響きとでもいいましょうか。
 この、正反対の2つの性格のオペラが、同時並行的に作曲されたのでした。
(ちなみに、マイスタージンガーの第3幕第1場で、靴職人の親方ハンス・ザックスが若いエファに対するほのかな恋心を振り払う場面で、「トリスタンとイゾルデのような悲劇にはしないぞ」と独白してトリスタンのイゾルデの前奏曲のモチーフが登場します。ワーグナーにはあまり見られない遊び心です・・・)

 「トリスタンとイゾルデ」の官能的・背徳的・悲劇的な内容に対する、「マイスタージンガー」の健全で喜劇的な内容にふさわしい音楽、ということなのでしょう。

 ということで、オペラの内容ですが、いろいろなサイトにあらすじや解説が記載されていますので、そちらを参照下さい。

(あらすじのサイト)たとえば:
リヒャルト・ワーグナー(Wikipedia)
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(Wikipedia)

 正味の上演時間だけでも4時間ほどかかる長大なオペラですので、なかなか全3幕を通して聴く(観る)のは骨が折れます。ですが、最後の第3幕第2場の歌合戦の場面は、前奏曲に出てくるモチーフのオンパレードですので、全曲を聴き通す時間がないなら、せめてこの場だけでも聴く(観る)ことをお勧めします。(ヒトラーに限らず、ドイツ人なら思わず気分が高揚するのではないかと思います)

 オペラの映像を観てみようと思われた方は、下記のサイトなどを参考にしてください。

(ご参考)「マイスタージンガーの映像リスト」のサイト

 私は、この中では次の2つを観て(聴いて)います。

(1)オトマール・スウィトナー/ベルリン国立歌劇場(旧東ベルリン)日本公演(1987)
 これは、当時テレビとFMで同時放送されたときに録画したもの。一般には発売されていないお宝映像です。上の「映像リスト」にもあるように、なかなか風格のあるよい演奏だと思います。(最近、NHKも昔の映像や録音をCD/DVDで売り出すようになったので、そのうちDVDで発売されるかも・・・)

(2)ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮/ベルリン・ドイツ・オペラ(1995)
 DVDが出ています。上の「映像リスト」評にもあるように、若い娘エファがちっとも可愛くないのと、舞台の合唱がずれまくっていて、ちょっとお勧めするのは気が引けます。

 市販のDVDの中では、私は聴いて(観て)いませんが、ホルスト・シュタイン/バイロイト(1984)のものが、最初の映像としてはよいのかもしれません(演出は作曲者の孫のヴォルフガング・ワーグナー)。ただし、現在国内盤は出ていないようです・・・。輸入盤の場合、日本語字幕が付いているかどうかに注意して購入ください。(輸入盤でも日本語字幕の付いているものもあります)

 なお、オペラでは、前奏曲は終止せずにそのまま第1幕の教会の場面のオルガンの響きに続きます。(「序曲」が独立したエンディングを持つ曲であるのに対して、「前奏曲」はそのまま幕が開いて音楽が続くというのが本来の定義だそうです。なお、ピアノ曲としての「前奏曲」はこちらを参照ください)
 演奏会で単独で演奏される場合には、オペラの最終場面のエンディングを1小節端折ってくっつけているようです(ティンパニのロールも省略)。指揮者によっては、オペラのエンディングと同じ形にして、最後から2小節目を2回繰り返したり、そこにティンパニのロールを加えることもあるようです。



3.歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のキーワード

(1)マイスタージンガーとは?

 マイスタージンガーとは、本職は職人の親方(マイスター)で、教養として詩を作り旋律に乗せて歌うことにも長けている、という、日本でいえば「文武両道」を極めた存在で、王侯や貴族の存在しない「自由都市」における上流階級として尊敬される人達だったようです。(教養を示すものとして「歌」が選ばれているのは、中世の吟遊詩人にルーツがあるようですが、詳しいことは分かりません)
 このオペラには、靴職人のハンス・ザックスを含むマイスタージンガー達が審査員となる歌合戦が出てきます。このような歌合戦は、ワーグナー初期の「タンホイザー」にも出てきます。ドイツ中世には、このような歌合戦が一種の伝統として存在したのでしょうか。
 マイスタージンガーとして登場する人達の本職は、靴職人、金細工師(この金持ちの娘が、歌合戦の賞品として求婚の権利が与えられるエファ)、市の書記官、パン職人、毛皮職人、ブリキ職人・・・その他まちまちです。

(2)ワーグナーの宿敵ハンスリックへのあてつけ

 オペラには、規則にうるさく物知り顔のマイスタージンガーである、ベックメッサー(市の書記官で中年の独身者)が登場します。これは、当時ワーグナー批判の先頭に立っていた批評家のハンスリックをもじった人物といわれています。ハンスリックは、ブラームスの支持者として有名です。
 規則、規則とやかましく、肝心な音楽の心や感動が伴わない、というのが批評家ハンスリックに対するあてつけでした。そして、ハンス・ザックスが「規則のよいところは、時には例外も認めることです」と言って新しい創造的な歌を擁護し、それが聴衆にも支持されるというのが、ワーグナー自身の音楽への価値観でもあるわけです。その意味で、このオペラが、ワーグナーの芸術的立場の表明と言われる所以です。

 ちなみに、ブルックナーも、ハンスリックからはワーグナー陣営の人間とみなされ、厳しい批判を浴びていました。

 前奏曲の中間部で、マイスタージンガーのモチーフが倍速でせかせかと演奏されるのは、第3幕第2場の歌合戦で、このベックメッサーが、エファへの求婚権を得ようと、緊張して神経質に登場する場面に流れます。小粒で、落ち着かない、せかせかしたマイスタージンガー、ということでしょうか。



4.マイスタージンガーの歴史的悲劇

 街としてのニュルンベルクがナチスに利用されたように、このワーグナーのオペラもナチスに利用されました。

 リヒャルト・ワーグナーとコジマ(リストの娘でワーグナーの2人目の妻)の間には、「ジークフリート牧歌」で知られる息子ジークフリートが生まれました。リヒャルト没後は、コジマとジークフリートがワーグナー家当主としてバイロイトを維持しますが、2人とも1930年に相次いで亡くなります。その後にワーグナー家を取り仕切ったのが、ジークフリート夫人であったウィニフレートです。ウィニフレートはヒトラーと非常に親しい仲となり(一時は結婚の噂もあったとのこと)、バイロイトはナチスの支援を受け、舞台演出にもナチス色が濃くなっていったということです。(たとえば、この「マイスタージンガー」の歌合戦の場面にも、ナチスの旗がひるがえっていた・・・)
 オペラの最後で、歌合戦に勝ってエファを花嫁に射とめたワルターは、自身が騎士という身分だからか、マイスタージンガーとなることを拒否します。それを見て、マイスタージンガー達は侮辱されたと感じて憮然とします。そのワルターをハンス・ザックスはたしなめ、マイスタージンガー達が守り育ててきたドイツの伝統を高らかに歌い上げ、オペラは最高潮に達します。このドイツ万歳の部分が、ナチスのプロパガンダと見事に一致したのでしょう。

 このような背景から、ワーグナー本人の意図とは無関係に、ワーグナーとナチスの協力関係が形成され、その影響は現在でも糸を引いています。(現在でも、イスラエルではワーグナーを演奏することが困難で、2001年にバレンボイムがアンコールの中でワーグナーを取り上げたことに対しても、センセーションが巻き起こった)

(参照記事:こちらを参照ください)

 なお、戦後、バイロイトの運営はジークフリートの息子(リヒャルトの孫)である、ヴィーラントとヴォルフガングによって行われており、2007年現在ヴォルフガングがワーグナー家当主として健在のはずです。

 ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮/ベルリン・ドイツ・オペラのDVDでは、歌合戦の場面にユダヤ人達も来ていることを示す意味で、いわゆる「ダビデの星」の旗が見えます。このオペラの、ナチスとの不幸な結びつきを否定する意図での演出でしょうか?

 20世紀の音楽を考えるとき、音楽が純粋に芸術的良心だけに基づいて何の制約もなく作られ、演奏され、聴かれて来たのではないことに気付いて慄然とします。
 ナチスとワーグナーの関係にとどまらず、ナチスに追われてアメリカに亡命した作曲家・演奏家(シェーンベルク、バルトーク、ヒンデミット、ワルター、トスカニーニ・・・)、ナチスにガス室に送られたり抹殺されたりしたユダヤ人作曲家・演奏家、社会体制に翻弄された東欧の作曲家(ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、シュニトケ、ペルトなどのソヴィエト、それ以外にもルトスワフスキなど)・演奏家(M.ショスタコーヴィチ、コンドラシン、クーベリック、アシュケナージ、ロストロポーヴィチ、ムローヴァ、マイスキーなど)、などなど。特に、後世に名を残すこともなく抹殺されていった音楽には、復活の機会すら与えられない・・・。

 ちょっと悲観的になりましたが、しかし、そういった制約の中でもなお、音楽が、感動に基づいた希望・確信・信頼・共鳴・連帯といった人間のポジティブな面に働きかけ、未来に向かって前進する勇気を与えていることもまた、間違いないと思うのであります。(自分にとって音楽がそうであるとともに、自分の発信する音楽もまた、聴く人にとってそうでありたいと願う次第です)

(注:何を悲観的な、とお思いかもしれませんが、私がニュルンベルクを訪れた頃は、ベルリンの壁に象徴されるように、それがまだ現実として存在している時代でした・・・)



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