美術館見てある記・その2〜ドイツ編

2001年5月5日

 その1・アメリカ編に続き、ヨーロッパ出張のときの美術館ぶらり見てある記のうち、ドイツ編です。

 ヨーロッパには、都合2回出張しました(プライベートで行くだけの経済的・時間的余裕はこれまでありませんでした・・・)。1回目は1984年に当時の西ドイツ、2回目は1987年にやはり西ドイツとフランス。

 1回目は、クリスマスの近い12月の出張で、タクシーの運転手に「こんなクリスマスの時期に外国まで仕事とは大変だね」と同情されました。12月のドイツは、日本では想像できない「寒さと暗闇の季節」で、朝は9時にならないと日が昇らないし、午後は3時には日が沈みます。ドイツ人が夏休みに太陽を求めてイタリアに出かけていく、という気持ちや、ブラームスのどんよりと重たい雰囲気が少しは理解できたような気がしました。この時の出張は、1週間ちょっとの強行軍で、美術館巡りどころではありませんでした。でも、ハンブルクで1泊した折りに、オペラを見ようと思ったらその晩はヘルマン・プライ独唱会で、残念ながら(といったら贅沢だけど)これを聞いてきました。レーヴェのリートだったのですが、周囲は歌詞を理解しているのに、私だけがチンプンカンプンで聴いていたのがとても情けなく感じました。

 2回目は、逆に真夏の7月の出張。ドイツで2週間、帰りにフランスに寄って2日間仕事をするという、比較的余裕のあった出張でした。
 7月のドイツ(フランスのパリもですが)は、これまた日本では想像できない夜の短い季節で、サマータイムのせいもあり、夜10時でもまだ日が射しており、本当に暗くなるのは11時を回ってから。それでも、朝は4時には明けてしまいます。子供は一体何時にお休みなさいをするの?という感じです。
 ドイツでは、ニュルンベルク近くで仕事をしていたのですが、週末が1回あったので、この時を利用してミュンヘン、ザルツブルクまで汽車の旅。ミュンヘンでは、土曜夜にオペラを見ることにして、昼間は美術館巡り。
 それでは、ドイツ編です。

<その他の美術館見てある記>
  その1・アメリカ編
  その3・フランス編
  その4・日本編
  その5・美術館2007


1.レンバッハ美術館(Staedt Galerie im Lenbachhaus)
 ミュンヘン駅から歩いてそう遠くはないところにあります。たまたま、アルテ・ピナコテークに歩いて行く途中にあったので偶然立ち寄りました。
 レンバッハという画家の名前は、それまで特に知りませんでしたが、肖像画の中に作曲家のワーグナーを描いたものがあり、これはワーグナーの肖像画としては教科書によく載っているものでした。ああ、この画家だったのか、と思いました。(下図参照)
 美術館には、レンバッハ以外の画家の作品もたくさん展示されており、特に抽象画の創始者であるカンディンスキーの絵がたくさん展示してありました。カンディンスキーが好きな人には、たまらないのではないでしょうか。

 この美術館は、大変こじんまりしていて、アットホームな美術館でした。展示を見終わった後、飲み物など飲みながら中庭に出ると、ここが大変美しく、心が洗われる思いがしました。

レンバッハ美術館のパンフレットレンバッハ美術館のパンフレット

レンバッハのワーグナーレンバッハの描いたワーグナーの肖像画

2.アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)
 ミュンヘンの有名な美術館ですが、私はミュンヘンに行くことにするまでその名前する知りませんでした。まあ、ミュンヘンでは有名な美術館らしいので、行ってみることにしました。
 隣のノイエ・ピナコテークに対し、アルテは18世紀以前の美術品を集めた美術館です。
 何の前知識もなかったのですが、行ってみて大感激。ダ・ヴィンチの絵も1枚ありました。でも、何と言っても感激なのは、ルーベンスの大コレクション。部屋いっぱいに、壁にずらりと大きなルーベンスが並んでいる様は、圧巻そのものでした。その他、ブリューゲル、ヴァン・ダイク、デューラーなどの絵もあり、大満足。

アルテ・ピナコテークのガイドリーフレット
アルテ・ピナコテークのガイドリーフレット アルテ・ピナコテークの見取図

3.ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)
 アルテ・ピナコテークの隣にあり、対をなしている美術館で、19世紀以降の美術品を展示しています。
 その程度の知識で行ったら、これまた大感激。素晴らしい名画があるはあるは。
 最大の感激は、ゴッホの「ひまわり」。何でも、ゴッホには「ひまわり」が3枚あり、うち1枚は日本に、もう1枚はオランダのゴッホ美術館にあり、このミュンヘンのものは残りの1枚なのだそうです。ガラス越しではなく、本当に目の前に生の「ひまわり」を見る感激は、ミーハー冥利に尽きるものでありました。
 その他、ゴヤ、ターナー、ミレー、ドラクロア、コロー、マネ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、ルノアール、ドガ、ロートレック・・・。こんなに間近に見てしまっていいんですか?というような絵ばかり。「アルテ」以上に大満足なのでありました。

ノイエ・ピナコテークのガイドリーフレット
ノイエ・ピナコテークのガイドリーフレット ノイエ・ピナコテークの見取図 ノイエ・ピナコテークのゴッホ「ひまわり」ノイエ・ピナコテークのゴッホ「ひまわり」

4.バイエルン国立歌劇場
 美術館巡りの後、バイエルン国立歌劇場でオペラを見ることにしました。その晩の出し物は、当時音楽監督をしていたサヴァリッシュの指揮するモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」。飛び込みで、前売り券を持っていたわけではないので、開演よりだいぶ前に当日券売場に並びました。
 当日券が手に入る保証は何もなかったが、運良くキャンセルが出て、正面バルコニー席のチケットをゲットできました。
 これに味をしめて、翌日日曜日の晩のR.シュトラウス「ばらの騎士」も聴こうと当日券売場に並びましたが、こちらは前売り完売、当日キャンセルも出ず、ゲットできませんでした。よくよく考えると、R.シュトラウスはミュンヘンが地元で、その時は交替していたがもともとカルロス・クライバーが振っていたオペラであり(伯爵夫人を歌っていたファスベンダーと喧嘩して降りてしまったとのこと)、モーツァルトのイタリア語オペラに比べて人気の高いのは当然といえば当然でした。
 とはいっても、「コジ」もなかなかのキャストで、女声陣がカリタ・マッティラ(当時は新進のソプラノ)、アン・マレー、ユリー・カウフマン、男声陣がペーター・シュライヤー、トーマス・ハンプソン、テオ・アダム、といった超豪華顔ぶれでした。これに、サヴァリッシュがチェンバロを弾きながら指揮するという趣向。超一級の「コジ」で、満足でした。

 なお、バイエルン国立歌劇場には日本語をしゃべるドアマンがいる、と人から聞いていたのですが、確かにいました。劇場に入るときに、突然「こんばんは」と言われ、きょとんとしていると、「ニーメンハオ、チャイニーズ?」と聞いてきたので、「ヤパーナー。ぐーてんあーべんと」というと、にっこりして再び「こんばんは」と返してきました。ああ、ここにも日本人がたくさん来ているのだなあ、と恥ずかしく思いました(自分もなのに・・・)。  この晩も、何人か日本人らしい人を見かけました。みんな、スーツなどを着ていたので安心しましたが、日本にいるときのつもりで、ジーンズなどで出かけていくと、ひんしゅくを買うことになります。ヨーロッパでは、オペラハウスは古典芸術鑑賞の場ではなく、現役の社交場ですので。(これだけは、日本を発つときに守るべきこととしてしつこく言われました。ですから、週末のミュンヘン、ザルツブルクの気楽な観光だったにもかかわらず、オペラを見るためにわざわざスーツを持参して、開演前に一度ホテルにチェックインして、着替えてから出かけたのでした。)

バイエルン国立歌劇場の「コシ・ファン・トゥッテ」プログラム
バイエルン国立歌劇場のプログラム表紙 バイエルン国立歌劇場のプログラム配役

バイエルン国立歌劇場の1987オペラフェスティバル パンフレット
バイエルン国立歌劇場の1987オペラフェスティバルパンフレット

5.ニュルンベルク市立歌劇場
 ニュルンベルク近くで仕事をしているときに、仕事が終わってから、ニュルンベルク市立歌劇場にオペラを見に行きました。この歌劇場は、隣にシンフォニーコンサート用のホール「マイスタージンガー・ハレ」があります。
 ニュルンベルクは、日本でいえば京都のような歴史的な町ですが、人口は多分50万もない中都市です。このような町にも、市立の歌劇場があって、毎日ではないにせよ週に数回オペラを上演している、というのは、日本から見れば信じられないことです。でも、オペラには、正装した男女(結構若い人も多かった)がやってきて、幕間にはワインを飲みながら社交場と化す雰囲気がありました。普段着のまま出かける日本人が嫌われる雰囲気が良く分かりました。私はスーツ姿だったので、まあ最低限の格好だったと思いますが・・・。(ちなみに、上に書いた週末のミュンヘンには、オペラ鑑賞のためにわざわざスーツを持って行きました。)
 この晩の出し物は、フロトー(Friedrich von Flotow)作曲「マルタ」(Martha)。この中のアリアをいくつか知っている程度で、全曲を聴くのは初めてでしたが、まあまあ楽しめました。オペラの中によく知っている曲が出てきて、「えっ、これってこのオペラの曲?」と思いましたが、よく聴いていると、イングランド民謡「庭の千草」なのでありました。このオペラ、ドイツ語なのですが、舞台はイギリス。そのために、この曲が使われているのでした。
 歌手陣もオーケストラも、それなりの水準なのには驚きましたが、それが文化レベルというものなのでしょう。
 平戸間の前の方の席で30マルク。
 となりに近所のおばあさんらしい初老のご婦人が友達らしき人と一緒に見に来ていました。隣が東洋人と見て取ると、ヤパーナーがどうのこうのと何やらドイツ語で話しかけてきました。どうやら「日本人か?」と訊いてきたらしいのだが、こちとらドイツ語はからきし苦手。「イッヒ・ビン・ヤパーナー。アーバー、イッヒ・カン・ドイッチュ・ニヒト・シュプレッヒェン。ビッテ、シュプレッヒェ・エングリッシュ。」とか何とか言ってみたら、隣の友達と顔を見合わせて「エングリッシュ」だの「シューレ」だのと言ってはにかみ笑いなどしている。どうやら、「あれまあ、やだよ、この人。英語だって。あたしゃ、学校で習って以来、英語なんてしゃべったことないよ。ねえ」などとお友達と話しているようだった。ということで、隣の上品なおばあさんとは、お互いににっこりと微笑みあって、それ以上会話を交わすことはなかった。
 ところが、オペラが始まってびっくり。このおばあさん、序曲の中のホルンのメロディ(どうやらオペラの中のアリアの節らしい)に合わせ、鼻歌を歌いだしたではないか。この「マルタ」をそらんじるほど聴いているらしい。この曲に限らず、オペラがごく身近のお楽しみなのだろう。う〜ん、おそるべし、ドイツのおばあさん。これが、文化というのもか。

ニュルンベルク市立歌劇場の歌劇「マルタ」プログラム
ニュルンベルク市立歌劇場の歌劇「マルタ」プログラム表紙 ニュルンベルク市立歌劇場の歌劇「マルタ」プログラム


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