ドイツ・オーストリア旅行 2009
第5日目:ザルツブルク観光→ザルツカンマーグート→ウィーン

2009年 10月 11日 初版作成


1.ザルツブルク 〜 朝の散歩

 ザルツブルクでのツアー御一行様の市内観光では、山の上のホーエンザルツブルク城( Festung Hohensalzburg )には行かない、とのことでしたので、朝5時ごろ起きて(もう既に明るい)、ホーエンザルツブルク城に向かって散歩に出ました。体力と時間とで、たどり着けるかどうか分かりませんでしたが、早朝のザルツブルク旧市街を進みました。
 昼間は車の乗り入れが規制されるためか、早朝は清掃車や荷物運搬のトラックが騒々しく走っていました。

 レジデンツ広場のモーツァルト像から、ホーエンザルツブルク城に向かって山を登り、約15分ほどで城の入口に着きましたが、扉が閉まっていて入れませんでした。朝9時以降に、入場料を払わないと入れな始めいようです。残念!
 折から、ちょうど6時の教会の鐘の音が鳴り渡り、なかなか荘厳な雰囲気でした。

ザルツブルクザルツブルクの街並みとホーエンザルツブルク城

ザルツブルクホーエンザルツブルク城への登り坂からのザルツブルクの眺望
これは大聖堂(Dom)


 レジデンツ広場から登ってきた道を、そのまま尾根伝いに進むと、ザルツブルク祝祭劇場の上に出ます。
 祝祭劇場には、ザルツブルク音楽祭、ムーティの演奏会の看板がありました。
 ザルツブルク祝祭劇場は、祝祭大劇場、モーツァルト劇場(小劇場)、そして岩山をくりぬいたフェルゼンライトシューレ(映画「サウンド・オブ・ミュージック」でトラップ一家の最後のコンサートの舞台となった)から成ります。残念ながら、中には入れませんでした。

ザルツブルク祝祭劇場ザルツブルク祝祭劇場
ここでザルツブルク音楽祭が行われる



2.ザルツブルク市内観光

 朝食後、ツアー御一行様で、地元在住の日本人ガイドさんが付いた市内観光に出かけました。

 まずは、ミラベル庭園。ホーエンザルツブルク城を借景にした、美しい庭園です。
 ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、「ドレミの歌」の場面に使われていたところです。

ザルツブルク祝祭劇場ミラベル庭園ミラベル庭園
遠景にホーエンザルツブルク城


 ミラベル庭園のすぐ横に、モーツァルテウム音楽院がありました。

 ミラベル庭園から、モーツァルトの住んでいた家(Mozart Wohnhaus)の前を通りました。ここは昔1987年に来たときにも写真を撮っていて、比べてみると復元されていることが分かります。復元は、2006年のモーツァルトイヤーに、日本生命がスポンサーになって行われたそうです。

モーツァルトの住んでいた家モーツァルトの住んでいた家(Mozart Wohnhaus)
(日本生命の援助で2006年に復元したそうです)



モーツァルトの住んでいた家1987年にはこんな状態で
モーツァルトの家は半分しか残っていませんでした。
←この写真は1987年7月に撮影したものです


 ザルツブルク旧市街に向かってザルツァハ川を渡る手前に、カラヤンの生家があります。昔、1987年に来たときにはすぐ横を通ったのに気がつきませんでした。カラヤンが亡くなった後、庭にカラヤンの像が設置されたようです。
 ただし、最近読んだ「眞鍋 圭子著・素顔のカラヤン―二十年後の再会 (幻冬舎新書)」によると、カラヤン自身は、この家ではなく、ザルツブルク郊外の自宅を構えて家族とともに住んでいたそうです。

カラヤンの生家カラヤンの生家の前にあるカラヤン像



カラヤンの生家カラヤンの生家
(ザルツァッハ川のマルカト橋からみたところ)


 旧市街の目抜き通りであるゲトライデガッセに、モーツァルトの生家があります。内部はモーツァルト博物館になっているので、中に入って見学しました(撮影は禁止)。

モーツァルトの生家モーツァルトの生家(Mozarts Geburtshaus)
(内部はモーツァルト博物館)


ゲトライデガッセ目抜き通りゲトライデガッセ



広場の朝市広場の朝市
〜白アスパラガスが旬!


 レジデンツ広場の噴水は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアが修道院を出てトラップ大佐家に向かうとき、「自信を持って」を歌う場面に使われています。(今は工事中でした)

レジデンツ広場の噴水レジデンツ広場の噴水

 お土産に、ザルツブルク名物の塩を買いました(ザルツブルクの塩= Salzburg の Salz )。

岩塩の店岩塩の店



広場の朝市ザルツブルクの塩(料理用)


3.ザルツカンマーグート 〜 ハルシュタット

 午前中のうちにザルツブルクを出発し、ザルツブルクの南東部に広がる風光明媚なザルツカンマーグート地方のハルシュタットへ。ハルシュタット湖畔のハルシュタットの街で昼食をとりました。
 近くには、マーラーの夏の作曲小屋があったアッター湖(アッターゼー)もありますが、今回のルートには含まれていませんでした。
 写真では伝わらない、なんとも言いようのない静けさと落ち着きに満ちた、清らかな空気に包まれた場所で、おそらくアッター湖(アッターゼー)はもっと人気のない場所だと思いますので、マーラーが作曲の場所に選んだのももっともだな、と納得しました。

ハルシュタットザルツカンマーグート地方のハルシュタット
(工事用のクレーンが興ざめですが・・・)



4.いよいよウィーンへ

 ハルシュタットをバスで出発し、一路ウィーンへ。途中、高速道路はリンツ付近の聖フローリアン修道院の近くを通ったようですが、寝ていました・・・。ドナウ川沿いに、ドナウ下りの出発点のメルク修道院が車窓から見えました。
 18時過ぎウィーンに入り、渋滞する中を19時頃ハイリゲンシュタットのワイン居酒屋ホイリゲに到着。この日の夕食は、「バッハ・ヘングル(Bach-Hengl)」というホイリゲで。ヴァイオリンとアコーディオンのシュランメルンがテーブルを渡り歩き、客のリクエストに応じた曲を演奏していました。私たちのテーブルでは、リクエストしたわけでもないのに「あかとんぼ」「荒城の月」「四季の歌」(春を愛する人は・・・という歌。これって、そんなにポピュラー?)を弾いてくれました。(当然、チップをはずみました)
 このホイリゲには、有名人がよく訪れるらしく、クリントン元大統領、プーチンとブッシュ元大統領、ダライ・ラマその他有名人の写真がたくさん貼ってありました。そう、中立国オーストリアの首都ウィーンは、国際会議や外交の表舞台なのでした。

ウィーンのホイリゲウィーンのホイリゲウィーンのホイリゲとシュランメルン

ブッシュとプーチンのワインブッシュとプーチンのワイン

 ここの近くには、「ハイリゲンシュタットの遺書」関連のベートーヴェンの家や、マーラーの墓もあったようなのですが、バス旅行の御一行様でしたので、どこにも寄りませんでした。(残念・・・!)

 ウィーンでは、プラーター公園近くに最近できた見本市会場(ウィーン・メッセ)に隣接した、新しいホテル(ビジネス用でしょう)に連泊しました。地下鉄U2の「Krieau」駅前なので、ウィーン中心部へのアクセスも良好で(ウィーン国立歌劇場最寄の地下鉄カールスプラッツ駅から乗り換えなしで15分)、新しく清潔かつ機能的な設備のホテルで満足しました。



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