【コウタ・メール20】『コウタの両親よりお礼です』
平成15年7月吉日

ご支援・ご協力くださった方々へ

『晃太が退院いたしました。本当にありがとうございました。』   
私達夫婦の息子・晃太は、去年の8月に体調をくずし、9月に「急性リンパ性白血病」と思いもよらぬ病名を宣告され、すぐに抗がん剤による治療が始まりました。医師からは、骨髄移植しか生存の可能性はなく、たとえ移植がうまくいっても再発率が非常に高いタイプであると告げられました。晃太を救うには早急に骨髄移植をしなければならず、また時間も限られていました。家族、親族、骨髄バンクの登録者には適合する骨髄は見つからず途方にくれましたが、私達家族は、何としてもこの小さな命を救いたいという気持ちでいっぱいでした。そこで皆様の大きな善意に頼り、骨髄適合者を探すことに奔走いたしましたが、残念ながらこの短い期間では適合する骨髄は見つからず、臍帯血による移植を決意いたしました。しかし多くの方の温かい応援・ご支援・ご協力をいただいたことは、晃太と私達家族にとってはとても大きな心の支えになりました。
臍帯血は骨髄に比べ、細胞数が少なく、幹細胞の生着にも回復にも時間がかかる等デメリットもありますが、白血球の型が6座中4つ合えば移植が可能であり、ドナーに負担がかからず、タイムリミットのある晃太には移植のタイミングを逃さないという大きなメリットがありました。そして大量の放射線照射、抗癌剤の治療を経て、3月13日に完全無菌室において、皆様の熱い気持ちがいっぱい詰まった臍帯血による幹細胞移植を受けました。晃太は無菌室のことを「ぶきみ室」と命名し、相当の覚悟をして治療に望んだことと思います。
移植が終わり完全無菌室にいる間は、ガラス越しでしか面会できず最もつらく苦しい闘いでした。しかし臍帯血にしては経過が異例に早く、両親のみですが無菌室への入室も約3週間で許可されました。ベットサイドで晃太を抱きしめた瞬間、うれしくて思わず涙が出ました。ガラス越しで何もしてやれないことがこんなにつらくて苦しくて、またじかに触れることがこんなに穏やかな気持ちにしてくれるものだとは思いませんでした。その後準無菌室に移ったときは、兄弟の触れ合いです。晃太もお兄ちゃんたちも、ちょっと照れながらもとてもうれしそうでした。一つの空間に家族が一緒にいられる喜びと安らぎをしみじみと感じました。
何も食べられず下痢と吐き気ばかりの状態が約6週間、やっとほんの少しプリンやうどんを食べたときはホッとしましたが、食べては吐くという状態を繰り返していました。4月末より院内学級へ通い始め、その頃から食事を食べても吐かなくなり、薬も飲めるようになりました。食べ始めると回復は非常に早く、院内の散歩が出来るようになり、5月18日には外出が許されました。病院施設のアパートで約4時間を過し久しぶりに夕飯を一緒に食べました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、また病室に戻るときは胸の奥が熱くなりました。今までごくあたりまえだと思っていたことが、こんなに楽しくて嬉しいことだとあらためて感じさせられました。
その後はとんとん拍子で、外泊、退院が決まり、5月末より伊勢原にて通院生活を送っておりました。その間、週末には自宅へも2週続けて帰宅していましたが、このたび6月16日、とうとう退院して練馬の自宅に帰ってまいりました。6月末には2年3組の仲間として温かく迎えていただき、少しずつ学校へも通いはじめました。
とても大きな喜びで、感慨深く、御礼の言葉が見つかりません。皆様の、温かい励ましと、応援に心より感謝しております。本当にありがとうございました。
しかし遺伝子の検査結果では、まだ陽性反応があり、白血病の恐ろしさが完全にはなくなった訳ではありません。再発の不安を抱えていますが、完全に白血病を克服してくれると信じて闘い続けます。今は、晃太とした退院後の約束を果たすため、がんばろうと思います。行きたい所、やりたい事がいっぱいで、考えているだけでもワクワクします。まずは一家で温泉に、そしてクジラを見に行こう!!!と計画しています。また引き続き、骨髄バンクへの登録は、呼びかけていこうと思っていますので、これからもどうかよろしくお願いいたします。
皆様が、健康で笑顔の絶えることのない素敵な毎日を過されることを心よりお祈り申し上げます!
名川 一史・久美子