『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業

第2節 《分詞構文》という了解


〔注1−8〕

   「《分詞構文》を日本語に置き換える」とは、《分詞構文》と「母節」(「カンマを伴う分詞句」の暗黙の主辞を含む節、を本稿では「母節」と呼称する。学校英文法の「分詞構文によって修飾される節」にほぼ該当。更に[1−10]参照)との関係の在り方を、その意味内容の水準で、受け手の内部で成立済みの「世界認識」を媒介にして、いわば受け手に備わる解読格子を通して解読し、その結果に基づいて《分詞構文》の意味内容を日本語での表記によって再現することである(更に本文の記述参照)。《分詞構文》と「母節」それぞれの意味内容の論理的関係を検討し、類推の結果として導かれた論理的関係が反映されるような在り方で《分詞構文》を日本語に置き換えるのである。こうした手順に基づく場合、例えば、以下の文例の下線部が「つま先立ちして歩い(てい)たので」という日本語に置き換えられることは極めて稀であろう。が、同時に、そうした置き換えはありえないことでも、許容されないことでもないであろう。

Walking on tiptoe, I approached the little window.〈つま立ちしながら、その小さな窓に近づいた。〉(安井稔『改訂版 英文法総覧』35.10.1)(下線は引用者)
   「日本語への言い換え」は、「意味」(時には「訳出」や「和訳」)という表現で代用されることがあるかもしれない。しかし、すでに[1−6]でも述べたように、英語という言語体系のもとで実現されている発話を日本語に言い換えたとき、そこに実現された「言い換え」は、その元となった発話の「意味」ではない。「英語でそこに実現されている意味内容」が、受け手を介し、「日本語による表記を用いて一定程度再現されている発話」である。

   こうした読解手法は日本の学校英文法に特有のものではもちろんない。そこに感じ取れる「意味内容の関係」に基づいて文法を語って臆することのない文法書の例としてはKRUISINGA & ERADES, An English Grammarを挙げられる。こうした態度は例えば、「言語においては、重要なのは客観的な事実や諸関係では決してなく、そうした事実や諸関係の主観的な見方であることが常である」(An English Grammar, 129-2)という記述に現われる。CGELがこうした態度を丁寧に避けようとしているのとは対照的である。

   Kruisinga & Eradesは「自由付加詞[free adjuncts]」([1−1]参照)の「意味」について次のように述べている。

こうした付加詞の意味、即ち、付加詞と文の他の部分との関係は様々であろう。しかし、その主たる用途は、文の主要部分において言及されている行為や出来事に伴う状況を表現することである。(ibid, 37-1)(下線は引用者)
   「付加詞と文の他の部分との関係」とはもちろん「意味の上での」関係のことである。こうした関係は時には「論理的関係」と言い換えられる。
自由付加詞と文の他の部分との論理的関係は常に明瞭にして明白であるわけでは決してない。(ibid, 38-1)(下線は引用者)
   少しさかのぼった箇所ではこう語られていた。
こうした付加詞は、名詞(あるいは代名詞)だけではなく、同時に動詞にも言及しているから、言い換えれば、機能面[in function]では名詞修飾的[attributive]でもあり、副詞的でもある。(ibid, 34-2)
   「機能」は意味上の関係から導き出されることになる。

   ところでKruisinga & Eradesは"the rest, forming the bulk of the flock"(ibid, 33-1)に見られるような「付加詞」(下線部)を「完全に名詞修飾的付加詞[purely attributive adjuncts]」(ibid, 34-1)と呼んでいる(カンマを挟んで実現されているこのような修飾の在り方を見れば、この"attributive"を「限定的」という日本語に置き換えることの不適切は容易に了解できる。"a pretty girl"や"a dirty face"中の形容詞も"attributive adjuncts"である(ibid, 127-2))。同書巻末の"Text"によって補えば次のようになる。

"the rest, forming the bulk of the flock, were nowhere."〈大半を占めている残りのものはどこにもいないのだった。〉(トマス・ハーディ『遥か群集を離れて』高畠文夫訳)
   この伝で行けば、つまり、意味上の関係や論理的関係をもとにして語りつづければ、時には、主節は「付随状況を表わす副詞節」という機能を有する、と記述することも可能となろう。Kruisinga & Eradesは、"Miss Trant had just decided that she had watched and wondered at this odd pair long enough, when the telephone bell rang. Priestley, The Good Companions, p. 164."(ibid, 126-2)(原文通り)という文例を挙げ次のように述べる。
この種の文に特徴的なのは主節と従位節の通常の機能の逆転であることは、今や疑いもなく明白であろう。意味ということに関する限り、後者(従位節)はこの文の主要な要素である。前者(主節)は付随的状況[attendant circumstances]を述べているに過ぎない。(ibid, 126-3)(下線は引用者)
   Kruisinga & Eradesはまた、"He was a foreigner, as they perceived from his accent. C.O.D. s.v. as."(ibid, 126-1)(原文通り)について「asに導かれた節は独立文とほぼ等価である」(ibid)と述べ、"they perceived this from his accent".(ibid)という書き換えを示している。

   言うまでもないことだが、「付随的状況を表わす副詞節」は主節の機能の一つであるとも、「独立文」はas節の機能の一つであるとも、文法として記述されることはない。

そもそも文法が関わるのは、明示的な[explicit]もの、即ち、形態的に表現されているものである。(ibid, 90-6)
   更に、
文法においては、形態、機能、意味に応じて様々な区別が可能である。これら三つの基準がここで挙げられている順序はそれらの相対的重要性を表わす。形態が第一であり、あらゆる記述文法において基本的なものであり、この上なく明白に確認しうるものである。意味は最後である。なぜかといえば、意味は主観的であり、変動し、しばしば種々の解釈を許容するからである。」(ibid, 251-6)
   結句、「言行一致」は現実を映し出した言葉ではなく、努力目標なのである。

   「そこに在る関係」と「そこに在る関係の在り方」は同じではない。「そこに在る関係の在り方」は「そこに在る関係」に対して従属的な下位範疇である。「そこに在る関係」を解読した結果、見出されるのが「そこに在る関係の在り方」、いわば「論理的関係」である。

   「そこに在る関係」と「そこに在る関係の在り方」を考える上で、以下の記述は参考になろう。Arnauld et Lancelot, Grammaire générale et raisonné(『ポール・ロワイヤル文法』Grammaire de Port-Royalは通称)(以後 Grammaire de Port-Royal と表記)中の「属格」をめぐる「解読可能な関係の様態」についての記述である。

   ある事物が、いかなる在り方においてであれ、別のある事物に属しているという関係は、格を有する言語の場合、名詞に新たな語尾を与えた。属格[genitif]と呼ばれる語尾であり、所属という一般的関係を表すためのものである。この一般的関係はさらに以下の諸関係のような様々な種類に多様化する。(以下の( )内はすべて、引用者による注である。)

1.全体が部分に対して有する関係 caput hominis(caput「頭」+homo「人間」の属格)

2.部分が全体に対して有する関係 Homo crassi capitis(homo「人間」+crassum caput「鈍い頭」の属格)

3.主体が偶有性や属性に対して有する関係 color rosae(color「色」+rosa「バラ」の属格)、Misericordia Dei(misericordia「慈悲」+Deus「神」の属格)

4.偶有性が主体に対して有する関係 Puer optimae indolis(puer「少年」+optima indoles「この上ない才能」の属格)

5.結果をもたらす原因が結果に対して有する関係 Opus Dei(opus「作品」+ Deus「神」の属格)、Oratio Ciceronis(oratio「雄弁」+Cicero「キケロ」の属格)

6.目的因が結果に対して有する関係 Potio soporis(potio「毒薬」+ sopor「麻痺」の属格)

7.結果が原因に対して有する関係 Creator mundi(Creator「創造者」+ mundus「世界」の属格)

8.素材が複合体に対して有する関係 Vas auri(vas「器」+ aurum「金」の属格)

9.対象が人間の霊魂の活動に対して有する関係 Cogitatio belli(cogitatio「思考」+bellum「戦争」の属格)、Contemptus mortis(contemptus「軽視」+ mors「死」の属格)

10.所有者が被所有物に対して有する関係 Pecus Meliboei(pecus「家畜の群れ」+ Meliboes「メリボイオス(人物名)」の属格)、Divitiae Croesi(divitiae「富裕」+Croesus「クレッスス(人物名)」の属格)

11.固有名詞が普通名詞に対して、あるいは個体が種に対して有する関係 Oppidum Lugduni(oppidum「城市」+Lugdunum「現在のリヨンの古名」の属格)

    これらの諸関係の中には相対立するものもあるため、時には暖昧さが生じる。というのも、vulnus Achillis[アキレスの傷]という表現では、Achillisという(Achillesの)属格は、「主体が有する関係」を示し、その場合この表現はアキレス[Achilles]が受けた傷であると受動的に受け取られるし、あるいは、この属格は「原因が有する関係」を示し、その場合この表現はアキレスが負わせた傷であると能動的に受け取られることにもなる。」(p.35)

   留意すべきは、属格が実現する二つの事物の関係に、いかに多種多様な在り方を解読可能であろうと、関係の種々の在り方は「所属という一般的関係」に一括されるということである。

   属格に置かれた名詞節〔of + 名詞節〕が多様な論理的関係を実現している例をCurme, Syntax中に見ることができる。

@Objective genitive[目的属格]
    'He soon gave proof of what a wonderful leader he was.'

APartitive genitive[部分属格]
    'This gave us a taste of what was to follow.'

BPossessive genitive[所有属格]
    'The force and clearness of what was said depended so much on how it was said.'

CAppositive genitive[並置的属格]
    'We are not investigating the question ( = subject) of whether he is trustworthy,' or in the form of simple apposition whether he is trustworthy. (23-I)

   「並置[apposition]」という用語については[1−1]参照。

(〔注1−8〕 了)

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