『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第三章 《分詞構文》という副詞要素、これで不都合はなかった

第2節 講師経験豊かであればこそ…文末の-ed分詞句の場合(2)


〔注3−3〕

   無視することができそうなほど「余りにも特殊であると感じられているから」なのか、以下に見るように、「混沌や艱難辛苦が予想されるから」なのか、正直なところ私には分からない。

   分詞句の「非制限的名詞修飾用法」を認めた(そこにあることを認識した)瞬間から、「さらにどのような形態の分詞句を『非制限的名詞修飾要素』と判断するのか。加えて、どのような形態の分詞句を《分詞構文》と判断するのか。つまり、《分詞構文》とは何か。」(第二章第5節末参照)という課題が生まれてくる。こうした課題の困難さを具体的に目にすることができるのが、CGELの記述である。以下、第二章第5節でも紹介した記述の一部。

非制限的後置修飾は非定動詞節を用いても実現可能である。例えば、
The substance, discovered almost by accident, has revolutionized medicine. (’ which was discovered almost by accident ….’) [2]
〈その物質は殆んど偶然に発見され、医学の世界を革新した。〉(17.34)(下線は引用者)
   これだけではすまなかったのである。
非制限的非定動詞節は意味を変えずに文頭に移すことが可能である。例えば、
Discovered almost by accident, the substance has revolutionized medicine. [2a] しかし、こうした可動性[mobility]は、非制限的非定動詞節が名詞修飾的働きをするものなのか副詞的働きをするものなのか曖昧であるということを実際には含意している。(17.34)(下線は引用者)
   更に、より小さな活字で印刷されたNoteには次のような《告白》が記されている。
非制限的非定動詞節[nonrestrictive nonfinite clauses]の意味上の可能性の幅[The range of semantic possibilities]及び文頭の位置への可動性によって、こうした節は名詞修飾的要素であるのか副詞的要素であるのか曖昧になる
(17.34, Note[a])(下線は引用者)(「文頭の位置」とは主辞である名詞句の前の位置)
   また、CGELは、暗黙の主辞に後続する「カンマを伴う分詞句」の場合、その分詞句が「主辞のない補足節」(副詞要素)であるのか「後置修飾分詞節」であるのかの識別は不可能である(この点については第二章第5節参照)と述べる一方で、「一般的に補足(節)[supplementive]であると明白に分類されるようなものが二種類ある」(CGEL, 15.61)とし、「(a)助動詞もしくはbe動詞を含んでいる-ing節([6−19]参照)」と「(b)無動詞形容詞節[verbless adjective clauses]」(形容詞に導かれた句…引用者)の二種類を挙げている。「主辞のない補足節」であると判断されるべき「(b)無動詞形容詞節」を含む例としては、"Lawson, implacable, contended himself with a glare of defiance."を挙げた後、「しかしながら、形容詞節は一定の状況においては名詞句の非制限的後置修飾要素であることもある」と述べ、次のような記述と文例を示している。
(i)その節が長いものであり、重要な情報を含んでいる場合。
      We took Joe, unable to stand because of weakness, to the nearest hospital.
      I met Betty, angry with me as always, at the luncheon.
(ii)形容詞が上位動詞[superordinate verb]の補述構造[complementation]内で目的辞補辞(目的格補語)であり得る場合。
      I found George, unconscious, a few hours later.(ibid)
     (上位動詞は上位節の動詞辞。上位節については[1−10]参照)
   CGELによれば、こうした形容詞句は「主辞のない補足節」(副詞要素)ではなく「非制限的名詞修飾要素」であるということになる。では、以下の3例中の「形容詞句」(CGELの用語では形容詞節)は、「長いものであり重要な情報を含んでいる」が故に「非制限的名詞修飾要素」であると判断すべきなのか、それとも、「長いものではなく、重要な情報を含んでいない」が故に「主辞のない補足節」であると判断すべきなのか。いずれの形容詞句が「長いものであり重要な情報を含んでいる」と判断されるのか、あるいは、されないのか。
Prime Minister John Howard, due to meet Mr Annan in Canberra on Monday, made it clear Australia would not tolerate interference in its domestic affairs.
〈ジョン・ハワード首相は月曜日にキャンベラでアナン氏と会談を予定しているが、オーストラリアは国内問題への介入を容認しないということを明確にした。 〉
(注) Mr Annan : コフィ・アナン国連事務総長[UN Secretary-General Kofi Annan]。
(PM to Annan: don't interfere By ROSS PEAKE(Political Correspondent), Canberra Times.au, Saturday, 19 February, 2000)

Census officials, enthusiastic about the promise of the Internet, have encouraged people to complete their 2000 Census forms and file them electronically.
〈国勢調査の担当者はインターネットの可能性には大いに期待しており、2000年の国勢調査表の記入と提出をインターネットを介して行うよう奨励している。〉
(A Dot-Com World By Richard Drezen, Washington Post.com, Wednesday, May 17, 2000)

The pictures, so unequivocally horrifying, became powerful media tools for the Palestinian assertion that the ruthless Israeli military machine was massacring its people.
〈その映像は、実にあからさまにおぞましいものであり、情け容赦ないイスラエル軍隊はパレスチナの住民を虐殺しているというパレスチナの人々の主張にとって報道上の強力な手段となった。〉
(注) The pictures : ガザでの銃撃戦の最中、父親とともに物陰に身を潜めていたMuhammad al-Durrah(12歳)にイスラエル軍の銃弾が当たり、父親の腕の中で崩折れ息絶えるまでの映像。
(Israel in Shock as It Buries Mob's Victim By DEBORAH SONTAG, The New York Times ON THE WEB, October 14, 2000)

   分詞句の「非制限的名詞修飾用法」の先に待ち受けているものを「混沌や艱難辛苦」と表現するのは決して大げさではない。

(〔注3−3〕 了)

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