第二章 個々の読解の在り方を吟味する
(1―1)
A big Martin Marina rescue plane, containing a crew of 13 men, quickly took off.
〈マーティン・マリーナ号という大型救援機は、乗員十三名を乗せて、すぐに飛び立った。〉

第5節 【読解  その5】について

【(1―1) の―ing句の読解  その5】
「非制限的名詞修飾要素、即ち名詞句を非制限的に修飾する要素である。非制限的関係詞節で書き換えても意味内容の違いは感じられず、関係詞節で書き換えられる。」

   この読解の要諦は「非制限的名詞修飾要素である」という判断である。この判断の出自を明らめることは容易ではない。日本の学校英文法の《通説》(公式的了解)からは、「文例(1−1)の分詞句は非制限的名詞修飾要素である」という判断は導けないのである。これまで見てきた幾つかの判断や姿勢と同じように、これもまた英文を読むという経験の蓄積に導かれたものかもしれない。あるいは、学校英文法の世界のごく一部に見られる判断に依拠したものかもしれない。

   前者であればいまさら格別言い足すべきことはない。

   後者である場合を考えてみる。

   (1―1)("A big Martin Marina rescue plane, containing a crew of 13 men, quickly took off.")の出典である前掲教科書(New Encounter English T)では、この分詞句を「名詞を追加説明する現在分詞の用法」(p.18)、つまり、「非制限的名詞修飾要素」の用例としてあげている。非制限的名詞修飾要素としての機能を発揮する分詞句を取り上げている教科書は、私の目についた範囲では同教科書だけである。

   実は、難題はここから始まる。同教科書が示している判断の出自(あるいは論拠)が判然としないのである。

     この判断の内実の試金石となるのが、同一の分詞句を文頭に置いた文の読解である。文例(1―1)を次のようにしてみたら何が違ってくるのか。

(1−1a)
Containing a crew of 13 men, a big Martin Marina rescue plane quickly took off.
〈乗員十三名を乗せ(た)マーティン・マリーナ号という大型救援機は、すぐに飛び立った。〉(私訳)

   意味内容の違いは感じ取れない。焦点が移動したように感ずるだけである。文例(1−1)と比べたとき、文例(1−1a)では表現の焦点が分詞句の方にやや移動したように感ずるということだ[2−13]。分詞句の位置が変わっても、分詞句に感じ取れる意味内容は変わらない。では、その文法的機能は変わったのだろうか(分詞句の位置とその文法的機能の関係については後述する)。

   同教科書では,文頭に位置する「カンマを伴う分詞句」は非制限的名詞修飾要素ではなく《分詞構文》(副詞要素)であると判断されている。分詞句がその位置を変えると、その文法的機能も変化すると判断されている。同教科書は以下の文例を《分詞構文》の例として挙げている。

(2−1)Getting out of bed, she dressed quickly.(p.34)
〈床を出ると彼女はすばやく服を着た。〉(私訳)
   同教科書は「《分詞構文》という了解」を、たとえ《正統》を幾分かは外れているのかもしれないにせよ、確かに共有している。同教科書の練習問題の頁には,as節と主節(母型節)([1−10]参照)からなる複文を、《分詞構文》を用いて書き換えさせる課題が載っている。「例にならって、書き換えなさい。」とあり、次のような「例」が示されている。
例:As they were pleased with his success, they planned to have a party for him.
   → Pleased with his success, they planned to have a party for him.(p.75)(下線と斜体・太字は引用者)
〈彼らは彼の成功を喜び、彼のためにパーティーを開こうと思った。〉→〈彼の成功を喜んだ彼らは、彼のためにパーティーを開こうと思った。〉(私訳)
   同教科書は《分詞構文》を副詞節に代わる働きをする分詞句と見なしているのである。つまり、同教科書は《分詞構文》という了解を完全に、とは言えなくても、部分的には共有している。共有されているのが部分的であればこそなのか、同教科書が「カンマを伴う分詞句」について示す判断には特段に注目すべき点を見て取れるのである。同教科書がその身を寄せているように感じられる了解によれば、分詞による名詞修飾の在り方に,「制限的」と「非制限的」の別を見出せるらしいのである。これまでの様々な読解の在り方にあっては、不在であるか、その存在の言明が避けられていた「分詞句の非制限的名詞修飾用法」という範疇がここでは言明されていると言っていい。同教科書に窺い取れる了解に従えば、第一章第2節で紹介した以下の例、
(a) The boys knowing him well didn’t believe him.(形容詞用法)
(b) The boys, knowing him well, didn’t believe him.(分詞構文)
(中原道喜『マスター 英文法』p.392)(下線は引用者)([2−2]参照)
   の中の-ing分詞句はそれぞれ次のように判断されることになるだろう。

   (c) The boys knowing him well didn’t believe him.(制限的名詞修飾用法)
   (d) The boys, knowing him well, didn’t believe him.(非制限的名詞修飾用法:名詞句を追加説明する現在分詞の用法)

   分詞句による名詞修飾の在り方に,「制限的」と「非制限的」の別を見出すこうした判断の出自として考えられそうな典拠を以下で紹介してゆく(もとよりこの「典拠」とは、同教科書の著者たちが直接的に依拠した記述をいうわけではない)。

   『現代英語ハンドブック』では、非制限的名詞修飾要素の例として、関係詞節(形容詞節)の例とともに、分詞句(形容詞要素)の例を挙げている。同書では、

   「非制限的修飾要素[Nonrestrictive modifiers]は、文中でそれらが従位的に機能することを表示するカンマによって区切られる」(11.3)という記述に続き、以下の三例を挙げている。(分詞句を含む文例にのみ、通し引用番号と和訳を添える。)

@
Last night's audience, which contained a large number of college students, applauded each number enthusiastically.
A
The people of India, who have lived in poverty for centuries, desperately need financial and technical assistance.
(2−2)
Vasari's history, hovering between fact and fiction, is not a reliable source of data.
〈バザーリ[2−14]の歴史は事実と虚構を行きつ戻りつしており、信頼できる資料ではない。〉(ibid)(下線は引用者)
   『現代英語ハンドブック』では、上記文例(2−2)中の-ing分詞句は「非制限的名詞修飾要素」と判断されている。文例(1−1)中の-ing分詞句について前掲教科書が下している判断に通じるものである。文頭の分詞句の判断については、『現代英語ハンドブック』にはさほど明確な記述を見ることはできない。参考となる記述及び文例は以下の通りである。(分詞句を含む文例にのみ、通し引用番号と和訳を添える。)
長い修飾句[Long modifying phrases]は副詞節の場合と同じように句読を切られるのが一般的である。そうした修飾句が主節の前に位置する場合、その後にカンマが打たれる。
B
To fully understand the impact of Einstein's ideas, one must be familiar with those of Newton. [infinitive phrase[不定詞句]]
(2−3)
Leaning far out over the balcony, he stared at the waves below. [participle phrase] 〈バルコニーから大きく身を乗り出し、彼は下方の波を見つめた。〉[participle phrase[分詞句]]
C
In such a situation, speakers of the creole often deny their mother tongue. [prepositional phrase[前置詞句]] -- Peter Farb, Word Play (『現代英語ハンドブック』11.2)(下線は引用者)
   文例に先立つ記述及び文例BとCから窺い取れるのは、文例(2−3)の分詞句はBのto不定詞句、Cの前置詞句と同種の修飾要素であると判断されているようだということである。分詞句を含む文例(2−2)と(2−3)に見られるこうした判断が、前掲教科書に見られた判断(「主辞[=分詞の暗黙の主辞]+,-ing分詞句,+V…」の分詞句は「非制限的名詞修飾要素」であり、「-ing分詞句,+主辞[=分詞の暗黙の主辞]+V…」の分詞句は《分詞構文》である)の出自(典拠)の可能性の一つである。ただし、『現代英語ハンドブック』では《分詞構文》は記述対象として取り上げられていない。更に言えば、引用した記述から、『現代英語ハンドブック』の著者は文例(2−3)の分詞句を明確に「副詞要素」であると、ましてや《分詞構文》であると断じている、と読み取るとしたら、いかにも早合点である。

   同書第四章Verbals[準動詞]には"USING VERBAL PHRASES"[準動詞句の使用]について記述した一節があり、次の文例が挙げてある。

(2−4)
Slowly weaving its way from twig to twig, the spider built its nest. (4.1)
〈小枝から小枝へゆっくり糸を張り渡していった蜘蛛は自分の巣を作り上げた。〉
   この文例に付された注には、"the entire participle phrase modifies spider, the subject of the sentence"〈分詞句全体はこの文の主辞"spider"を修飾する〉とあり、著者はこの分詞句を名詞修飾要素と判断していることが窺われる。こうした記述から読み取れるのは、この著者によって記述対象であると意識されているのは、分詞とその暗黙の主辞の関係から直接的に派生する「分詞句の文法的機能」ではあっても、分詞句と母節の関係の在り方を、それぞれの意味内容の関係に還元した上でその関係の在り方を解読し、その結果として導き出される「分詞句と母節の関係」の在り方ではない、ということだ。語るのも妙なことだが、『現代英語ハンドブック』の著者には、母節の「和訳」との整合的な結びつきに意を配りつつこの-ing分詞句を「和訳する」必要などない。和訳に頭を捻ることになれば「〜ながら」「〜することによって」といった副詞的修飾関係がそこには潜んでいることを発見するに至るのかもしれないが。

   【読解その5】に見られる判断の出自を考える参考として、別の記述と文例を紹介しておく。

   PEGでは、非制限的関係詞節(同書では、"non-defining clause")は-ing分詞句に書き換えられるとして、以下のような例を挙げている。(未完の文であるため、通し引用番号も和訳も添えない。)

@Peter, who thought the journey would take two days, said …. =
    Peter, thinking the journey would take two days, said ….
ATom, who expected to be paid the following week, offered …. =
    Tom, expecting to be paid the following week, offered ….
BBill, who wanted to make an impression on Ann, took her to …. =
    Bill, wanting to make an impression on Ann, took her to ….        (PEG, 77)(下線は引用者)
   ここでは関係詞節の書き換えに伴う一定の条件(同書には、wish, desire, want, hope, know, think, believe, expectといった動詞を含む節であれば、-ing分詞句に置き換えられる、とある)については、特に取り上げない。関係代名詞を主辞とする非制限的関係詞節のすべてを-ing分詞句に書き換えられるわけでもなさそうなのは、関係詞節を含む文例に当たってみれば、容易に気付くことでもある[2−15]

   上記文例に見られる-ing分詞句は非制限的関係詞節とその文法的機能がほぼ等しいと見なされているという点に注意を向けておけば足りる。分詞句の「非制限的名詞修飾用法」という範疇が示唆されていることを見て取れるのである。

   あるいは次のような典拠を推測することも可能かもしれない。安井稔編『コンサイス英文法辞典』では《分詞構文》が表す「意味」として「付帯状況」「時、原因・理由、条件、譲歩、付帯状況」などに加え、「名詞句修飾」を提示している。該当部分の記述と文例は以下の通り。

名詞句修飾。文頭あるいは主節の主語の直後に置かれて、主節主語を叙述的に修飾する。機能上、非制限的関係詞節との区別は困難である:
Tom, horrified at what he had done, could at first say nothing.
(トムは自分のしでかしたことが怖くて、最初は口もきけなかった)。
(participial construction(分詞構文)の項)(下線は引用者)
   この説明は、私にはわからないことだらけだ。まず第一に、同辞典が《分詞構文》は「主節を副詞的に修飾する」(participial construction(分詞構文)の項。[1−12]参照)と定義しながら、「主節主語を叙述的に修飾する名詞句修飾」という働きがあると記述することになる経緯が私には分からない。加えて、挙げられている文例中の-ed分詞句が「理由」や「付帯状況」を表わしているわけではなく、「名詞句修飾」という働きをしていると明言される根拠が、私には全く見当がつかない[2−16]。ただ、『コンサイス英文法辞典』に示されている判断(「機能上、非制限的関係詞節との区別は困難である」)が次のような記述に呼応するものであろうと推測することは可能である。
先行詞の直後の位置は分析にとって最も多くの難題を突きつける。主辞のない補足節[subjectless supplementive clauses]がその位置に生じると、後置修飾分詞節[postmodifying participle clauses]との識別が、あるいは、((主辞のない補足節が)無動詞節[verbless clauses]の場合)並置関係にある名詞句との識別が不可能なこともある[may]。かくして、この二つの構造は、文例[1]中の分詞節が文例[1a]中の非制限的関係詞節と機能的に[functionally]等価であると見なされるべきかどうかを決することは不可能である(それに意味の上では[semantically]重要ではない)という点で、融合することもある[may]。
   This substance, discovered almost by accident, has revolutionized medicine. [1]
   This substance, which was discovered almost by accident, has revolutionized medicine. [1a]
   〈この物質は殆んど偶然に発見され、医学の世界を革新した。〉
(CGEL, 15.61)(下線は引用者)(「この二つの構造」とは「主辞のない補足節と後置修飾分詞節」)
   また、主辞に後続する分詞句についての『コンサイス英文法辞典』の上記のごとき説明は、以下のような記述に呼応するものかもしれない。また以下に紹介する記述は、前掲教科書に見られた判断――「主辞[=分詞の暗黙の主辞]+,分詞句,+V…」中の分詞句は「非制限的名詞修飾要素」であり、「分詞句,+主辞[=分詞の暗黙の主辞]+V…」中の分詞句は《分詞構文》である――の最終的典拠であるかもしれない。

   CGELは「カンマを伴う分詞句」が「非制限的名詞修飾要素」として機能する場合があることを述べ、文例と関係詞節への書き換えを示している。「カンマを伴う不定詞句」を含む文例も一例挙げている。

非制限的後置修飾は非定動詞節[2−17]を用いても実現可能である。例えば、
(2−5)
The apple tree, swaying gently in the breeze, was a reminder of old times. (‘ which was swaying gently in the breeze ……’) [1]
 〈そのリンゴの木はわずかな風に穏やかに揺れており、昔を思い出させた。〉
(2−6)
The substance, discovered almost by accident, has revolutionized medicine. (’which was discovered almost by accident …….’) [2]
〈その物質は殆んど偶然に発見され、医学の世界を革新した。〉
(2−7) 
This scholar, to be found daily in the British Museum, has devoted his life to the history of science. (‘ who can be found daily in the British Museum …….’) [3] [2−18]
〈この学者は大英博物館にいるのを毎日見受けられる人物であるが、その一生を科学史に捧げてきた。〉
(17.34)(通し引用番号と下線は引用者)
   これらの分詞句及びto不定詞句は非制限的名詞修飾要素であり、非制限的関係詞節で書き換えても意味内容の違いは感じられないという判断が下されている。たとえ「制限的非定動詞節の場合と同じように、非制限的-ing節と-ed節は、関係代名詞が主辞である関係詞節にのみ対応する」(ibid)に過ぎないとしても、である。

   CGELは続けて言う。

非制限的非定動詞節は意味[meaning]を変えずに文頭に移すことが可能である。例えば、
   Discovered almost by accident, the substance has revolutionized medicine. [2a]
しかし、こうした可動性[mobility]は実は、非制限的非定動詞節が名詞修飾的[adnominal]働き[role]をするものなのか副詞的[adverbial]働きをするものなのか曖昧であるということを含意している。それゆえ、以下の文例[4]の非定動詞節は、関係詞節[4a]の縮約形であるという可能性もあろうが、同様に、原因を表わす節[4b]や時を表わす節[4c]の縮約形であるという可能性もあろう。
(2−8)
   The man, wearing such dark glasses, obviously could not see clearly. [4]
   The man, who was wearing …, …. [4a]
   The man, because he was wearing …, ……. [4b]
   The man, whenever he was wearing …, ……. [4c]
   (CGEL, 17.34)(通し引用番号と下線は引用者)
   CGELの著者たちは、日本の英語教師・学習者が分詞句をめぐって百花斉放の混沌にいることなど知る由もないのであろう。「非制限的後置修飾は非定動詞節を用いても実現可能である」という記述だけあれば、こうした「非定動詞節」の機能を明示して不足するところはないと感じ、明示済みの機能について混乱など生じるはずはないと信じたのかもしれない。次いで、「非制限的非定動詞節は意味を変えずに文頭に移すことが可能である」と、「非制限的非定動詞節」の機能の変化の有無については明示することなしに記述を続け、「こうした可動性は実は、非制限的非定動詞節が名詞修飾的働きをするものなのか副詞的働きをするものなのか曖昧であるということを含意している」と、今度は、関係詞節(関係詞節にはこうした可動性は備わっていない)の場合とは事情を異にする「非制限的非定動詞節」の「可動性」を梃子[2−19]に、突然のごとく、「非制限的非定動詞節」の機能が変化する可能性、もしくは、その機能の「幅」に言及する。つまり、当初、「非制限的非定動詞節」について記述する際の足場としていた「非制限的非定動詞節」と「その暗黙の主辞」の関係(非定動詞節はその暗黙の主辞を非制限的に後置修飾する)から片足だけ別の足場に移すのである。即ち、移された片足は非制限的非定動詞節と母節との関係に置かれることになる。こうして対母節関係を実現している非制限的非定動詞節は副詞要素へと身分を変える[2−20]。今や非制限的非定動詞節には副詞的機能も潜在することになる。「非制限的非定動詞節」についての記述は、片足ずつ別の足場に置いてなされることになる。記述内容に「振幅」が発生する。この部分の記述を言い換えればこうなる。

   「非制限的非定動詞節の機能は非制限的関係詞節の機能に等しい〔即ち、非制限的に名詞句を後置修飾する〕。ところが、非制限的非定動詞節は、非制限的関係詞節の場合とは異なり、文構造に破綻をもたらすことも意味を変えることもなしに文頭にも移動可能(非制限的関係詞節は移動不可能)であること(つまり、被修飾語句である先行詞の直前の位置を占めることが可能であること)を考慮に入れると、非制限的非定動詞節が実現している関係は実際には、非制限的関係詞節が実現している関係(非制限的関係詞節とその先行詞との関係)を越えて、文頭の副詞要素が実現している関係(非制限的非定動詞節と母節との関係)までも暗に示しているように感じ取れもするのである。つまり、非制限的非定動詞節が実現している関係の振幅内には副詞的機能も含まれていることを感じとれもするのである。」

   さて、ここから先である。前掲教科書はこうした記述から次のようなことを読み取ったかに見える。「名詞句を後置修飾するカンマを伴う分詞句は非制限的名詞修飾要素である。しかし、この分詞句が文頭に移動した場合、関係詞節では書き換えられないことに加え、このカンマを伴う分詞句には副詞的働き(分詞句は対母節関係を実現しているらしいこと)を読み取れることを考え合わせると、文頭に位置する分詞句は副詞要素、つまり《分詞構文》であると判断できる」というようなことを。

   そうだとしても、同教科書の臆断に私は同情的である。CGELの記述に遺漏があるせいだろうと斟酌しても同教科書に対して贔屓目だとは言えまい。CGELの記述から、「非制限的非定動詞節は意味を変えずに文頭に移すことが可能である。ただしその場合も非制限的非定動詞節の機能は変わらない」と自信を持って読み取れそうな気はしないのである。

   こうしてCGELは「非定動詞節を用いても実現可能な」非制限的後置修飾の例を示す一方で、別のところでは、主辞の直後に位置する「カンマを伴う分詞句」を「副詞節」と断じることになる。一例だけ挙げておく

(2−9)
Julia, being a nun, spent much of her life in prayer and meditation. [7](15.60)
〈ジュリアは尼僧であり、人生の多くを祈りと瞑想に費やした。〉(通し引用番号と下線は引用者)
   CGELによれば、文例(2−9)の場合、「結びつきは時系列を欠いた理由に関わるものである。」(ibid) (下線は引用者)つまり、ここでは「分詞節」と母節の結びつき(「分詞節」とその暗黙の主辞”Julia”との関係は、ここでははっきりと劣位に置かれている)は、時間的先後関係に関わるものではなく、理由に関わるものであり、「この分詞節[being a nun]は副詞節である」(ibid)。なぜかといえば、この「分詞節」は「文頭にも文中にも文末にも位置することが可能だからである。」(ibid)(同書に見られるこうした記述については更に第六章第4節「その一」参照)

   同教科書の分詞句解釈にかなりの程度対応する別の記述も見つかる。

   Kruisinga & Eradesは、オランダ語の場合とは異なり英語では以下に見られるような「名詞修飾的付加詞[attributive adjuncts]は頻繁に出現する」(KRUISINGA & ERADES, An English Grammar, 33-1)と述べている(-ing句の位置に関する記述は同書238参照)(Kruisinga & Eradesの「名詞修飾的付加詞[attributive adjuncts]については[1−8]参照」。

"the rest, forming the bulk of the flock, were nowhere." (KRUISINGA & ERADES, An English Grammar, 33-1及びp.288)
〈大半を占めている残りのものはどこにもいないのだった。〉(トマス・ハーディ『遥か群集を離れて』高畠文夫訳) (既に[1−8]で挙げた文例)

The ewes lay dead and dying at its foot -- a heap of two hundred mangled carcases, representing in their condition just now at least two hundred more. (ibid, 33-1及びp.288)
〈その下には、牝羊たちが死んだり死にかけたりして横たわっていた。――めちゃくちゃに折り重なった二百頭の羊の死骸が山を築いていた。その時のようすでは、少なくともまだ二百頭はいるようにみえた。〉(トマス・ハーディ『遥か群集を離れて』高畠文夫訳)

In the living-room, smelling of wood-smoke and cooked meat, the seven captive gentlemen waited resignedly for a meal. (ibid, 238及びp.291)
〈燻煙と肉を調理する匂いのする居間で、捕われの身となった七名の紳士は覚悟を決めて食事を待った。〉

the aeroplanes buzzing above (ibid, 33-1及びp.299) 〈上空でうなりをあげて飛んでいる飛行機〉

she .... pressed the spring of the repeater watch lying there tucked away. (ibid, 238及びp.300)
〈彼女は……そこに隠されていたリピーター(音で時刻を告げる時計) のボタンを押した〉〉
(以上、斜体・太字と下線は引用者)

   こうした名詞修飾要素(カンマを伴うものと伴わないものの二種類)については次のように述べられる。
これらの付加詞の一部は休止なしでその主要要素[leading member]に後続し、一部は明瞭な休止によって主要要素から切り離されている。休止は印刷された場合はカンマによって示される。こうした相違の理由は付加詞の特性の中にある。このことは名詞修飾的節を扱う章[the chapter dealing with attributive clauses]の中で説明されることになる。実際、付加詞は名詞修飾的節に機能面では類似しており、付加詞はオランダ語では常に名詞修飾的節を用いて翻訳されねばならない。(ibid, 33-2)(下線は引用者)[2−21]
   そして、文頭の分詞句を「名詞修飾的付加詞[attributive adjuncts]」とは判断しない[2−22]ことは同教科書の場合と同様である。

   (1−1)中の分詞句をめぐって前掲教科書に見られる「非制限的名詞修飾要素である」という判断は、《分詞構文》の「形式」に新たな制限を加えるとともに新たな課題を提起する。「S[=分詞の暗黙の主辞]+,分詞句,+V….」中の分詞句はもはや《分詞構文》ではなく「非制限的名詞修飾要素」であるとすれば、さらにどのような形態の分詞句を「非制限的名詞修飾要素」と判断するのか。加えて、どのような形態の分詞句を《分詞構文》と判断するのか。つまり、《分詞構文》とは何か。

  

(第二章 第5節 了)


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© Nojima Akira