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書評(注1)

野島明著『カンマを伴う分詞句について』を読む

佐藤作造(英語講師)

 この労作の衝撃は果たしてどれくらい世に伝わるのだろうか。もっと焦点を絞ってもいい。この著作の達成はどれくらいの数の世の英語教師に受け止められるだろうか。

 この著作は「《分詞構文》という了解」(野島氏の言葉遣いである)の批判的吟味を課題の一端としており、その吟味の精緻な展開とその結末は少なからぬ数の英語教師にとって、大袈裟に言えば死活的重要性を持つはずなのである。文法書も種々の参考書も、学校や予備校の教科書も書き換えを迫られ、指導内容は変更を迫られることになるはずである(総じて、記述内容は遥かに簡略になるはずであり、学生の負担は大幅に軽減されることになるだろう)。付随的に、自動翻訳ソフトのプログラムも部分的修正を迫られることになる(自動翻訳ソフト開発関係者の皆さんの頁参照)。

 創見に富み刺激的言述にも満ちた(そして取り分け、驚異的な「フィールドワーク」(注2)に裏づけられた)この著作の、例えば注[7−72]には、「生徒は分詞構文を用いて書きたがるが、あまり分詞構文をむやみに使わないように指導したい。」(『教師のためのロイヤル英文法』p.145)という引用に続き、「《分詞構文》という了解に基く限り、『カンマを伴う分詞句』を用いて英文を書く指導はしたくてもできないはずだ」というくだりがある。こうした記述が注に収められているのは、恐らくこの著作のまず狙いとするところが批判を越えた建設だからであろうという点はさておき、《分詞構文》という了解に基く限り、かなわないのは「カンマを伴う分詞句」を用いて英文を書く指導だけではないであろう。この著作の記述を辿って行けば、実際には、「カンマを伴う分詞句」の読解の指導もかなわないはずであることにやがて気づかされることになる。

 例えば、野島氏は注[2−1]に次のような記述と文例を示している。

普通の頻度で出現する以下のような分詞句については、《分詞構文》の原則を逸脱するような解説を加えた上で例外的分詞句であると追記するか、あるいは詳しい解説を避けざるを得なくなるだろう。

Most records would be kept electronically, doing away with the need for giant warehouses to store the material.
〈殆どの証拠書類は電子的に保管されることになり、資料を保存するための巨大な倉庫は必要なくなるだろう。〉
(注)電子署名[electronic signatures]に紙の文書への署名[paper signatures]と同等の法的効力[legal weight]を認める法案が上院を通過したという記事。
(Senate Passes Digital Signatures Bill, LIZETTE ALVAREZ and JERI CLAUSING, The New York Times ON THE WEB, June 16, 2000)
(注[2−1]

 上記文例については注[6−5]などに引用されている以下の例が参考になる。
The siren sounded, indicating that the air raid was over. [‘…which indicated that …’] (CGEL, 15.59)〈サイレンが鳴り響き、空襲の終わったことを告げた。〉〉
 CGELのこの文例について野島氏は次のように記している。
この文例は、「(分詞と暗黙の主辞の)結びつけ規則[attachment rule]は一部の事例には適用されないか、少なくとも緩やかなものとなる」例に含まれ、そのうちの「暗黙の主辞が母型節全体である」例として挙げられている。分詞句の暗黙の主辞は"The siren"ではなく、"The siren sounded"という母節全体であるというのがCGELの見解である。(注[6−5]より)(注3)
 また、次のような文例と記述もある(注[7−54]より)。

@
Overstock.com, which is based in Salt Lake City, isn't perfectly efficient, but it's lean.
〈ソルトレイクシティに本社を置くOverstock.comは、効率という点では完全というわけではないが、むだがない。〉
(注)Overstock.com : 破綻したドットコム企業から過剰在庫の買取をしている企業。
(Investors, Consumers Buy a Dot-Com Bill of Goods By David Streitfeld, Washington Post Staff Writer, Washington Post.com, Monday, January 1, 2001; Page A01)

A
The network, based in Qatar on the Persian Gulf, is a popular source of news through the Arabic-speaking world.
〈ペルシャ湾岸のカタールに本拠を置くこの放送局は、アラビア語圏全域で人気のあるニュース源である。 〉
(注) The network : 衛星放送局アル・ジャジーラ[Al Jazeera, a satellite network]
(Bin Laden Spokesman Threatens Westerners By SUSAN SACHS with BILL CARTER, The New York Times ON THE WEB, October 14, 2001)

   A中の"based in Qatar on the Persian Gulf"は《分詞構文》であり、「〜なので」という読み方も可能となる恐れがあるから、@のような関係詞節で書かなくてはならないことになるのか。あるいは、@中の関係詞節を分詞句"based in Salt Lake City"に置き換えると、形容詞節を副詞要素に置き換えることになるから不適切ということになるのか。   

 更に、次のような記述と文例(注[7−54]より)。

   「〜に出席した森首相」は" Prime Minister Yoshiro Mori, who attended ….."とせねばならず、"Prime Minister Yoshiro Mori, attending……."は誤りとされ、減点されることになるのか。

Prime Minister Yoshiro Mori, attending the event for the first time since assuming his post in April, pledged to promote nuclear disarmament.
〈4月の首相就任以来初めてこの式典に出席した森喜朗首相は、核軍縮の推進を誓った。 〉
(注) the event : 広島市の平和記念公園で開かれた「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)。
(Thousands pause to remember when Hiroshima became 'hell on earth', CNN.com, August 6, 2000, Web posted at: 11:34 p.m. HKT (1534 GMT))

 英語教師は、以上のような問題点の一つ一つについて旗幟を鮮明に示すことを、日常的に迫られている。教室では学生に説明する必要があり、質問があれば答える必要があり、試験問題の作成にあたっては採点基準を定める必要がある。『現代英文法辞典』によれば、《分詞構文》は名詞を修飾する場合もあるし、《分詞構文》の暗黙の主辞が「母型節全体である」場合もある(注4)ということになる。しかし、この処理方法では課題は全く解消されない。というより、このような処理が行われた瞬間、既に次のような課題に直面しているのである。
"Tom, horrified at what he had done, could at first say nothing."中の-ed分詞句は非制限的名詞修飾要素(「名詞句を叙述的に修飾する」要素)であると判定されるとしたら、「カンマを伴う分詞句」はどのような場合に《分詞構文》(副詞要素)であり、どのような場合に非制限的名詞修飾要素であるのか。また、《分詞構文》とは何か。(「問題の所在」の頁)
 この著作が取り組んでいるのはまさにこの課題である。この著作は、カンマを伴う分詞句をどのように読んだらいいのか、また、どのような場合にカンマを伴う分詞句を用いたらよいのか、という課題をめぐって、周到かつ綿密な準備(注5)を積み重ねた上で、最終的に、「並置分詞句」(注6)(加えて「並置形容詞句」「並置名詞句」(注7))という考え方を提示している。

 この考え方がどの程度妥当であるのかないのか、これは読者一人一人が判断すべき事柄である。膨大な注に足を踏み入れてさ迷わずとも、本文を辿るだけでこの著作の骨子を把握することは可能なはずである。ただ、無用に難解な言葉遣いは極力避けようという姿勢の窺える記述ではあるが、論理のうねりは単調ではない(特に、第一章第4節及び第5節(目次参照))から、鼻歌交じりに読み流すというわけにはいかないだろう。しかし、粘り強く記述を辿り続ければ、全く新たな分詞句の世界に、「《分詞構文》という了解」の虚構性に目を見開かされるはずだ。

 あるいはこの著作の骨子を把握しかねるとしても、この著作の記述をひとたび辿れば、たとえ辿り終わらずとも、「日本の学校英文法の《本流》は、分詞の非制限的名詞修飾用法を認知しておらず、学習用文法書の中にも、この欠落を埋めている記述は、私の知る限り見当たらない。」(第五章第1節)という記述中にある「分詞の非制限的名詞修飾用法」に気づかぬ振りをすることはもはや出来なくなるはずである。次のような例である。

She glanced with disgust at the cat, stretched out on the rug.
〈彼女は胸糞悪そうにその猫を見やった。猫は敷物の上に長々と寝そべっていた。〉

She glanced with disgust at the cat, mewing plaintively.
〈彼女は胸糞悪そうにその猫を見やった。猫は悲しげに鳴いていた。〉(下線は引用者)(以上2例、CGEL, 7.27)

(注)《分詞構文》という了解を共有する自動翻訳ソフトが例えば上記の二番目の文例をどのように解読するかについては、自動翻訳ソフト開発関係者の皆さんの頁参照。(「問題の所在」の頁から)

 「分詞の非制限的名詞修飾用法」のこうした具体例は何を示唆するのか。上記の二番目の文例を" She glanced with disgust at the cat mewing plaintively." と比べてみれば実感できる。名詞修飾的関係詞節の働きがカンマの有無によって「制限的修飾」と「非制限的修飾」に区分されるように、名詞修飾的分詞句の働きも、カンマの有無によって「制限的修飾」と「非制限的修飾」に区分されるという可能性である。そうなると、以下のような「無邪気な記述」は容易には成立し難くなる。
Here are my letters announcing my intention to start.(ここにあるのが私が始めたいという意向を記した手紙です)において、斜体の部分はmy lettersを形容詞的に修飾する。この場合はmy lettersは文の主語でもあるが、announcing以下は分詞構文とは見なさない。同様に、I pursued my walk to an arched door, opening to the interior of the abbey. (私は、僧院の内部へ通じている弓形の戸口へ向かって歩を進めた)で、斜体の部分はdoorを形容詞的に修飾し、(異例の)分詞構文ではない。(清水護編『英文法辞典』Participial Construction (分詞構文)の項)(下線は引用者)

 カンマの有無という違いのある二箇所の-ing句(斜体部)は、等しく直前の名詞句を「形容詞的に修飾する」と記述され、修飾の在り方が区別されることはない。カンマは紙魚に近い扱いを受けているかに見える。(「問題の所在」の頁から)

 そして、ここでも、かの課題に直面させられることになるのである。

 著者本人と常々言葉を交わし合い、疑問点を問い質しなどしながらこの著作を読み通した私には、その記述だけを辿ってこの著作を読み通すことが果たしてどの程度困難なのか容易なのか、正直、正確には測り難い。

 数学や物理学に関する卓越した論文の卓越性を見て取るには一定の素養が不可欠であることに誰も異論はないであろう。その卓越性は、「一定の素養」を欠いている人には不可視の領域に位置し、結果的に不在であるとしか感じられない。それに比べると、面白い小説の面白さを見て取るのに必要な素養は、おそらく遥かに平等に分かち持たれている。おいしい料理のおいしさを味わうために必要なのは、格別の素養というより、一定の金額の収まった財布である。 この著作の真価を見て取るにはいかような素養が求められているのか……。

 難点があるように感じられてならない記述もある。中でも、 "They pointed to a dog, who was looking at him hopelessly."(第一章第5節)をめぐる記述にはどこか危さを予感する。しかし、その危さを批判的に吟味するのはおおごとであり、少なくとも膨大細緻な注を隅々まで辿らねばなるまい。

 この著作がどのような評価を受け、この著作の成果がどのような過程を経て英語学習に生かされることになるのか、今は"It remains to be seen."と述べておく他はない。ただ、野島氏の考え方に同意し難いと考える人たちも、氏の記述の拠りどころは驚異的な「フィールドワーク」であって、観想ではないという点には意をとめる必要がある。野島氏が『現代英語力標準用例集』に収めた千数百例に及ぶ「カンマを伴う分詞句」の用例は公開される。この著作に提示されている考え方に異を唱えることは大変結構なことであり、異を唱える人が、既に用意されている膨大な数の用例を参考資料として活用し、代替案を提示するということになれば、なおいっそう結構なことである。いずれにせよ、「《分詞構文》という了解」を基にしたのでは「今この瞬間世界を飛び交っている英文」(第三章第2節)を適切に読むことはかなわないのである。そして、そのような「《分詞構文》という了解」が教室では日々教師の口から学生に向けて語られているのである。

(野島明著『カンマを伴う分詞句について』を読む 了)

(注1)読んだのはコピー原稿である(引用はデジタル原稿を利用させていただいた)。A4(40字×40行)で約450枚。本文約274600字、注約383000字という分量(「目次」の頁参照)は400字詰め原稿用紙にするとそれぞれ、約686枚、約957枚、合計すると約1643枚に及ぶ。 本文はともかく、注の隅々にまで目を通すには相当の時間と根気が必要である。

(注2)驚異的な「フィールドワーク」の成果は『現代英語力標準用例集』という形で結実している。現在、Web上で部分公開されている。なぜ「驚異的」と評し得るのかは一目瞭然のはずである。費やされた時間と労力の膨大さは容易に想像し得る一方、容易になし得ることであるとは到底思えない。

(注3)「母型節[matrix clause]」はCGELの用語、「母節」は野島氏の用語。「母節」については注 [1−9]、「母型節」については注 [1−10]参照。書名については、引用文献の頁参照。

(注4) [1−9]には『現代英文法辞典』の「participial construction[分詞構文]」の項から以下の2例が引用されている。

Jizake is not subject to ministry testing and thus falls in the second class, meaning less tax and a saving for the consumer.
(地酒は大蔵省の級別審査を受けずしたがって2級酒に分類され、これは消費者にとって税金が少なくてすみ節約ができることを意味する)

The games were completed without any incidents, proving most convincingly the ludicrousness of the Soviet rationale for not participating in the Los Angeles Games. ---The Japan Times
(オリンピックはなんの事件も起きず終了し、ロサンゼルスオリンピックに参加しないソ連の根拠がばかげたことであったことを証明した)。
(participial construction[分詞構文]の項)(下線は引用者)

(注5)第一章第4節及び第5節(「目次」の頁参照)に展開されている記述がそうである。本文及び多量の注の記述を追いかけるには相当の根気が不可欠である。

(注6)「同格」という語の充てられることが普通な"apposition"に、野島氏は「並置」という語を充てている(注 [1−1]参照)。

(注7)通常は「同格要素」と判断されることになる以下の "a French fur trader"は「並置名詞句」と判断されることになるであろう。

例その五.UNDERSTANDING AND USING ENGLISH GRAMMARより

 以下の文例は、 Betty Schrampfer Azar, UNDERSTANDING AND USING ENGLISH GRAMMAR中の「形容詞句を形容詞節に変えよ」という練習問題中の9番にある課題文。

St. Louis, Missouri, known as "The Gateway to the West," traces its history to 1793, when Pierre Laclede, a French fur trader, selected this site on the Mississippi River as a fur-trading post.〈「西部への入り口」として知られているセントルイス(ミズーリ州)の歴史は1793年にまで遡る。その年、フランス人毛皮商ピエール・ルクレドがミシシッピ川沿いのこの場所を毛皮取引基地に選んだのである。〉(p.228)(下線は引用者) (「問題の所在」の頁より)

(注  了)

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