「偶然と恩寵」は、季刊雑誌「ひろば」の月報として書かれたエッセイで、その後「こころの旅」にまとめられたものの一つです。ここに書かれている偶然というのは、1951年の渡欧に始まり、次の渡欧(59年)までに起こった物語になります。事実であるから、物語とするのはおかしいのですが、物語とでも呼びたくなるような話なので、敢えてそう記すことをお許しください。

1951年5月、ローザンヌのペン大会に出席する芹沢氏は飛行機の中にいました。そのカバンの中には、PTA会長を務めている小学校の児童から託された、図画と作文が詰められています。ララ物資のお礼にとローマ法王に渡すよう頼まれたものでした。

その飛行機が、インドを越えた辺りで故障を起こし、イスラエルのテルアビブ飛行場に緊急着陸することになります。その際、一つのエピソードがあります。墜落するかも知れないという状況の中、延々と続く砂漠に1本の給油管を発見した芹沢氏は、人類の欲求が不可能を可能にする例を見たようで、同乗した多くの命が生きたいという欲求を持っている今、飛行機は大丈夫だと安心するのです。ここに読者は作者の強さを見るに違いありません。

無事、不時着した飛行機が修理の間、エルサレムに案内された芹沢氏は、戦時中に貪り読んだイエスを感じます。飢えと強制労働と家族を守るために疲れ切っていた芹沢氏が、どんな思いでイエスを求めたかはわかりません。しかし、その苦しい思い出の中のイエスが今、確かな存在となって芹沢氏に語りかけたのではないでしょうか。

パリで全てを終え、帰途ローマに寄って、ローマ法王に約束の図画と作文を渡そうとしたところ、現地の金山氏は法王に会いますかと気軽に言って、手続きを取ります。そして法王を訪ねますが、遠くから仰ぎ見るだけと思っていた会見が、驚いたことに普段は叶わない個人謁見で、しかも生涯の宿題となるような質問をされるのです。「小説の主人公まで改宗させている貴方が、なぜ帰依しないのですか?」と。

法王が個人謁見した理由を探れば、芹沢氏の『一つの世界』を読んで、感動したのであろうことが想像されます。娘が4人あることまで調べ、人数分のメダルと慈悲深い祈りの言葉を用意するほどですから。しかし、当時アメリカの属国のような身分に成り下がっていた遠い異教の地、日本から来た一人の作家にそこまでの関心を寄せる理由にはならないようにも思えます。

その旅が終わって間もなく、芹沢氏は知人から「聖女ベルナデッド伝」を贈られます。その挿話の後、舞台は1959年、西独フランクフルトでの会議の帰途、フランスで留学中の娘たちとの休暇話になります。そこはニエーブルと言う寒村で、ある日、偶然からベルナデッドの尼寺に辿り着くのです。

その尼寺で、一行は日本人の尼さんにつかまります。戦前からこの地にいる尼さんで、仲間たちも初めての日本人の訪問を喜びます。そして僧院長まで出てきて祝うのですが、そこでルールドへの巡礼を薦められるのです。娘たちは予定があって行けませんが、芹沢氏は独り参加する事を考えます。僧院長は「ベルナデッドの導きで改宗されますように」と氏を見送ります。

実はその少し前、友人のピラール君の夫人がルールドの巡礼団に加わるという話を聞いていました。ですが、芹沢氏が尼寺を訪れる一週間前に、夫人は急用で参加できなくなったと知らせてくるのです。そのこともあって、氏は代わりに行って夫人を驚かせようという気持ちも働いたと言います。

愛読者はご存じでしょうが、芹沢氏は宗教、特に儀式に関してかなり懐疑的です。人間が自ら切り開いてきた科学や文化こそ信ずるに足るものであり、ルールドの泉や浅草の線香のような迷信に近いものを軽蔑する傾向がありました。この時も、夫人の話がなければ、もしかするとルールド行きは幻に終わったかもしれません。

芹沢氏は結局ルールド行きを果たし、その様子に感動しました。それが恩寵だったかどうかは書いていません。ただ、自分はまだ改宗していないと結んでいるだけです。ですが、氏のこころのどこかには、この一連の働きが恩寵であり、必然であることを感じていたのではないでしょうか。それを知りながらも、無宗教による神への信仰を貫く決意をしていたようにも思えます。

飛行機が不時着したのも、ピオ十二世に個人謁見が叶ったのも、ベルナデッドの僧院に辿り着いたのも、またそこに日本人の尼さんがいたのも、ピラール夫人がルールドの話をしたのも、偶然ではなく必然だったとしたら――そう考えると、天の計らいの糸は一気にほどけて見えてこないでしょうか。

この作品は、次の「約束と偶然」というエッセイに続いていきます。エルサレムを訪れた話をより詳しく語っていますが、そこにも「偶然」ではなく「必然」と思える話が書き綴られています。「こころの窓」「野の花」もそうですが、この頃の芹沢氏のエッセイには、後にそれが必然だったと証される物語が多くあります。そんな必然を探しながら読む、というのも芹沢文学の一つの楽しみ方だと知っていただければ幸いです。

――最後までお読みいただき、ありがとうございました――

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