創作の転機となる『孤絶』『離愁』を含め、著者のスタイルが確立した戦前・戦後の10年間の作品です。戦場で多くの若い芽が失われる中、直接戦争に触れなくても、あらゆる形で生命の尊さを訴えています。後半は戦後の混乱の記録や、そんな冬の時代から少しずつ春を迎える気配を長女の結婚を祝う連作などに見ることができます。(掲載作品数:170【その1:82,その2:88】)

タイトル 初出日 初 出 初刊日 初 刊 本 入手可能本
備 考 / 書 評
母の愛情 1946/1 婦人倶楽部 1946/12/20 『愛情』文化書院
『不律』の続編。敗戦で戦地から戻った不律は、愛する人との結婚を母に許されて、軽井沢に持岡を尋ねると共に、その近くに疎開する愛人に会いに行く。しかし愛人のこころには戦時中に求めた高貴なものがなくなっていた。
 戦争によってこころを無くしたひとと、無くさなかった人、その2種類の人間が存在したことが問われているが、それはその個人の責であろうか、戦争という人類全体の責であろうか。
真実記 1946/1 三社連合 1947/5/5 『真実記』高島屋出版部
 夫と婚約者をそれぞれ戦地に送った良子と百合子は、共に暮らしながら相手の帰りを待った。しかし良子の夫は戦死し、百合子は婚約者に婚約を解消させられる。そこに良子の夫の戦友井出が現れて、二人はお互いを意識するようになり――
 物語の冒頭と最後だけに登場する人物を置いている。この手法はそこに挟まれた人生が波瀾万丈であるほど、最後に時の流れを感じさせる効果があるが、ここでは作品が短い為に効果が薄い感がある。それよりも再婚相手に井出という名を付けた意味に興味があるが。
幸福記 1946/1 サンデー毎日 1947/8/15 『幸福記』六興出版部
 敗戦で帰った婚約者は、戦争でこころを鈍くしたのか、八重子のこころに波動を合わせてくれない。婚約を破棄し、小説を書いて生きようと決心した時、画家の父も再起をかけて個展を開き、妹るり子は男女平等を身をもって示そうと東大の法学部に入学する。
 敗戦によってもたらされた革命を、家族達はどう受け止めていくべきかという問題に取り組んだ希望の書。
祈願 1946/2 婦人倶楽部 1947/8 『祈願』講談社
 まもなく出征する男と恋愛におちた主人公ひで子が、出征前のただ一度の契りでその後の人生の変転を味わう。
 戦後という混乱は、人に忍耐と強さを与えたが、同時にその混乱を理由に、自分の過ちを肯定するこころ弱き人も当然いたのであろう。この物語は、そのこころ弱き男に振り回されそうになる、高潔で賢い女3人が、地獄にあって天国を探すような生き方を求める感動の長編小説である。
わが家 1946/2 新人 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 敗戦で戦場から故郷の砂丘のそばの家に戻った岡本順一は、軍人であった父に会わせる顔が無くて、我が家の前で家族への思いを巡らす。順一は小説家持岡の弟子であったが、母はわかってくれても、父は文学を理解してくれず寂しい思いを抱えていた。巻末で妹の弾くピアノの音が心に染みる作品。
1946/3 世界文化 1946/12/20 『愛情』文化書院
 持岡の末弟茂が実家に戻ると、そこには沢山の兄弟達の家族が、敗戦の窮乏を味わっていた。
 順番は前後しているが『若い人達』の続編。作者の全兄弟をモデルとした唯一の作品だろうが、その為、内容的には当然のように信仰の書になっている。ある意味『秘蹟』と同じテーマになるだろうが、兄嫁達の愚かな争いも、父親が母の3年祭で墓を掘り返す場面ですべてが浄化されるようだ。
戦災者 1946/3 月間読売春の増刊号 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 小説家持岡を主人公にした連作。前半では作家の秘密を、後半では敗戦後の苦悩を細かに描いているが、後半は登場人物が皆心を亡くした獣のようで、決して読んで楽しい作品ではない。不幸な時代にこそ明るく朗らかな心で生きてほしいという願いも込められていただろうか。
 本作には芹沢文学ではお馴染みの平賀老人が登場する。この時代の苦しい体験は、芹沢文学にも大きな影響を残している気がしてならない。
茶室住 1946/4 人間 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 疎開先から東京へ戻ったものの茶室に住む羽目になった持岡家のその後。持岡はただただ憤りを耐えて、やっと最後に天の使いのような外国人と知り合う。その場面に本当にホッとするほど、荒れた戦後の光景である。
去来 1946/4 新潮 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 この作品には、日本人を蔑んで相手にしないようなフランス人が登場するが、主人公の持岡はその横暴に堪えて、最後には信じられないような言葉を交わすが、作者は堪能することの強さを教えてくれる。最後の末弟の問いかけが印象的。
水仙 1946/4 婦人春秋 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 娘達が焼け跡のバラックで共同生活を始める。戦災を忘れて、生まれ変わったように生きようという励ましの物語。
雪解 1946/4 にっぽん 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 夫を戦争で失った妻が軽井沢の義母の元で疎開生活を送るが、夫が亡くなれば義母も他人で、雪解けをまたずに荒れた東京に戻る決意をする。
戯に恋はすまじ 1946/5 新風 1946/9/25 『戯に恋はすまじ』丹頂書房 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 将来を誓い合った男と6年を経て戦後の荒廃した都会で再会する。恋をするなら命をかけるくらい本気に、ということだろうか。
後姿 1946/5 モダン日本 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 つる子の家の前に帰還した男が現れた。あの人は姉のように慕った律子さんから聞いた、帝大で最後のショートを守った人ではないだろうか――。
 東京での戦火の凄まじさと、その後に残った者の悲哀を静かな調子で伝える作品。当時、こころある人ならば誰の胸にも通ったであろうほろ苦い連帯感を感じさせる。
1946/5 饗宴 1946/12/20 『愛情』文化書院
 鳩とは、戦前作者の書斎に集った学生達のことである。鳩はどんなに遠くまで行っても、最後には帰ってくる。戦地に出て行った学生たちの無事を、そんな平和の使者に込めて名付けた随筆。激しい戦時下での鳩たちとの交流を書いているが、その鳩たちから文化の灯を守るように励まされた経験が、その後の作家生活を目標づける機会になったのは間違いない。
あの日この日 1946/5 大地 1946/12/20 『愛情』文化書院
 持岡は疎開先の軽井沢で、親切な百姓、平田老人に世話になって開墾を覚えた為に飢えずに済んだ。ある日アメリカ人将校が現れて、持岡がフランス語で日本の良さを話した内容を聞いた老人は、持岡の小説を読みたいと希望したが、それを果たす前に――。
 この老人は実在の人物で、「文学者の運命」で本名であろう平賀老人として書かれている。作者は疎開先で散々な目にあったが、この老人は唯一こころを無くしていない善人であった。愛犬のトローは太郎という名で、当時そんな人間の名を付けるのが珍しかったのか、作者が気にしている箇所もある。
若い人達 1946/5 小説と読物 1946/12/20 『愛情』文化書院
『不律』『母の愛情』の続編。大学に戻った不律は、親友の持岡茂が田舎から出てこない為に、訪ねる決心をする。3年の時が隔てた二人の距離も、持岡が創作をすると打ち明けたことで、元の二人に戻って――。
八重垣姫 1946/6 婦人文庫 1946/12/20 『愛情』文化書院
 妻の母が孫に残した紋十郎の八重垣姫の想い出を、母がただ一度輝いた舞台や、被災によっても書庫で無事だった顛末を交えて述懐する。
 この話は後に『人形師の涙』にも書いている。八重垣姫の写真はこちら
真珠 1946/6 婦人文庫 1946/12/20 『愛情』文化書院 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 節子は祖父母の形見の真珠の首飾りを、空襲で逃げる際に無くしてしまう。しかし、首飾りは思わぬ所から発見された。
 真珠を盗んだ花屋の小母は、戦争でこころを無くした人たちの象徴であり、それを返させたのは、その人たちに良心を取り戻してほしいという作者のメッセージとも読める。
春のソナタ 1946/6・7 小説と読物 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦死した学生の残した思い出が持岡の胸を熱くする。巻末の長女の言葉に閃く持岡の感情が深い余韻を残す。
 この作品は、戦死して帰らなかったもう一人の学生和田稔君に捧げられている。こちらの方は、作者自身の悲しみとして描かれているが、子供達に文化の火を託して散っていった尊い生命に、今の時代が報いているか自問するのだが。
 また、和田稔君の手記は戦死者の手記を集めた『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記遺稿集』(岩波文庫)で読むことができる。
ピアノに憑かれて 1946/7 新女苑 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦争中の困難な生活の中でもピアノを弾き続けようと四苦八苦する少女の物語。困難な時代だからこそ、心を豊かにする音楽のような芸術が必要だと作者も考えていたのではないか。
寝言 1946/9 婦人画報 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦災で家を失った娘が、焼いてしまった黄金色のベッドの話から父の古い記憶に触れる。
 この作品はA・K嬢に捧げられているが、どういう方であろうか。
マロニエの花 1946/10/1 文明
 『戦災者』の連作第4弾。主人公は、戦場から戻って、神の問題を問いかける弟の一途さに、一抹の不安を感じる。作品の最後には、弟の質問に一つの答を与えるような形で、一人の信仰家の死の場面も描かれている。
 作者は、普通の生活を描いた物語を通して神を表現し続けたが、神の問題についてこれだけ直接的に触れた作品も珍しい。
秋扇 1946/11 生活文化 1947/5/5 『真実記』高島屋出版部 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 1947/2まで連載。戦争で家族や愛する者を失った人達がだれも考える死後の生命の行方についての物語。作者は霊魂の有る無しを議論するのではなく、愛する者をなくせばあの世ででも会いたいと思うものだと言っている。
運命 1946/11・12 群像 1947/10/15 『巴里の懺悔』財団法人井原外助奨学金井原文庫 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 この作品は二つのテーマから成っている。一つは主人公の一高時代からの友人である外交官の運命であり、もう一つは堕胎をした夫婦の運命である。ここで興味があるのは後者で、作者自身幾つかの作品中で堕胎の経験があるともないとも言っているが、どちらにせよ堕胎を考えたのであろう。当時のフランスでは、事情により当然のように行われたとはいえ、作者の中にその事に対する罪の意識がいつまでも残ったのではないか。この作品で堕胎を戒めることは、神への罪滅ぼしであったかもしれない。
 また作者はこの作品をいつか長編に書きたいと語っているが、未確認。
閉ざされた庭 1946/12/1 中央公論
 焼け跡のバラックに住む小説家、杉一家の戦後記。妻は死んで、息子と娘がある設定になっているが、作家、画家、音楽家と芸術一家である。
 本作の話の中心は三木との借金騒動である。また巻末で自身の作品が英訳される話が出てくるが、この5年後に実際『巴里に死す』で仏訳デビューすることになろうとは想像もしていなかっただろう。Dreams come trueであろうか。
空腹の詩 1946/12/20 『愛情』文化書院
 久美子の家では、父が栄養失調で目が見えなくなり、母は耳が聞こえなくなってしまう。それなのに働いている姉は、そんな二人を心配もしない。
 この両親は娘にとって不幸なのだが、実はお互いはそう不幸だとは思っていない。人間の幸不幸は、本人のこころの持ちようで決まってくるのだが、環境が全てだとしか思えない若い世代にはわからないことかもしれない。
新しき学校 1947/1/1 少年クラブ
 題字の前に「少年小説」とあり、雑誌自身も少年向けなので、少年に書かれたものである。同じような少年を主人公にした作品というと『都会の人』という初期の佳作があるが、そこでも描かれていた少年の悲哀に加えて、希望や郷愁といった敗戦後であるからこその感性を描いて、戦争の一面をとらえている。
 疎開先から帰った次郎は、疎開先であれほど焦がれた学校が、戦災で焼けトタンの山になっているのを見た。授業は隣の学校で始まるが、次郎はある事を思いつく――
夜毎の夢に-おんなごころ- 1947/1 主婦と生活 1948/11/30 『夜毎の夢に』真光社 『芹沢光治良文学館2』新潮社
 1947/12まで連載。単行本は3版以降、映画化されたタイトル『異国の丘』に改題。封建的な家長制度の残った家に嫁した女が、夫を戦争で失った後の家を守るために奮闘する。この女は心を鬼のようにして生きるから、実際外目には鬼婆あのように見えるはずだが、この作者が書くためか端麗な女性像しか浮かんでこない。
感傷の森 1947/1 婦人朝日 1948/9 『感傷の森』新太陽社
 47/6まで連載。作者は、戦後の荒廃した社会から人心を立ち直らせる作品を多く書いているが、これもその一つ。戦争未亡人の藤子が愛する人を得て、新しい生活へと踏み出すまでの困惑や苦悩を描いている。
 脳外科医の菅野は自分の町が戦災に遭ったことから急遽医療所を開くが、看護婦が不足で困っているところへ、ひとりの婦人が手伝いに現れた。婦人はまもなく東京に去ったが、菅野の胸に温かいものを残した。
青春記 1947/1/30 御影文庫 1947/1/30 『青春記』御影文庫
 初期に出された『時を歩む子等』を改題して出版。内容は同じである。
鳩M※ 1947/2 新女苑
独言※ 1947/4 文学季刊
パリの揺籠 1947/6 紺青 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 日本のインフレに、同様にインフレで苦しんでいたフランスでの生活を回想する。この作品は長女に語りかけるように書かれており、その後の「嫁ぐむすめへ」シリーズに続いていく。
哀愁記 1947/7/10 『哀愁記』石狩書房
 戦前作者の元に集った学生達の中に新聞記者になった菊池があった。彼は戦死するが、生前に残した日記と手紙の束が、作者に親友野村と二人の女性を残していった。
 もうひとりの主人公節子は、愛する菊池の意志を継いで作家になろうと精進するが、その願いも空しくB29の爆音の中に消え去る。戦争の残した傷跡を、作者自身が語り手となって哀愁深く追悼する。
わがむすめ 1947/7/10 『哀愁記』石狩書房
 疎開先で厳しい勤労奉仕で中毒やえそにかかった次女に、倒れるまで気づいてやれなかった悔いを、次女に語りかけるように書いている。小説のようだが、随筆とも言えるだろう。
 父親としての作者を、装飾なく垣間見れる温かい作品である。
松下の場合 1947/7/10 『哀愁記』石狩書房
 『哀愁記』と同じ題材だが、この学生は胸を患ったために、ただひとり鳩にはならず、内地で学徒動員に追われ、被災した。しかも4度目の被災は、自らも関与した火事となり、他人に迷惑を掛けたことを苦に命を絶つ。
 命を大切にしなかった時代の犠牲者とはいえ、自ら命を粗末にしてしまった松下への憤りが伝わる。
命ながし 1947/7/10 『哀愁記』石狩書房
 被災した不二子は、被災前に母が病で息を引き取ったことを喜ぼうとした。父も姉弟も無事であり、あとは兄とあの人が帰れば――。
 戦後のものとしては数少ないハッピーエンドで終わるが、戦争のために人々が動物と等しくなった嘆きを幸福で包んで、人々の心に愛を呼び戻そうとしたのではないだろうか。挿絵を味三岸節子が描いた。
故国 1947/9 文学界 1949/8/20 『故国』全国書房 『芹沢光治良文学館2』新潮社
『孤絶』『離愁』に続く3部作の終章。フランスでの闘病を終えて帰国した主人公は、文化の灯のともらない生き難い日本で窒息しそうな毎日を送る。
 この作品に素直に共感できないほど現代の社会は幸福だが、人心は今も変わらず荒れている。幸福が社会情勢と一致しないならば、幸福の定義とは何であろうか。
みれん 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦前、作者の元には多くの学生が集ってだべる会を持ったが、戦争でその学生達も出征して、戦後また作者の元を訪ねた。その中に2人だけ戻らない者があったが、この作品はその一人の戦地で行方不明になった学生に捧げられている。
 物語は戦後、帰りを待った独息子が戻らず、2年3年と経って漸く両親も息子が戦死したものと諦める。母親は息子が慕っていた持岡の家を訪ねて、息子が文学志望であったことを聞き、文学に理解の無かった父親も文学書を読むまでになるが――。
 戦後いったいどれほどの家族がこのような悲哀をなめたであろう。作中、持岡も語っているように、若い者には何としても生きることの素晴らしさを説くことも出来ようが、人生の晩年を迎えた人達には迂闊に慰めの言葉も出なかったのではないだろうか。だからこそ、その人達をも励ますような作品を書くのだと、同じように苦しい立場の作者も奮い立ってのではないだろうか。
手紙の女 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 読者の女性が訪ねてきて、戦争中に起こったおかしな出来事を語る。この作品は戦争と言うより、女性の哀れさや対手となるある中京人の男性の人間の低さを表している。
金貨 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 『巴里に死す』以来書いていなかったパリでの生活を書いた作品。この作品では、フランスのインフレを経験した作者が当時の日本を同様の状態だとして励ましたものだろうが、作者の目がフランスに向くようになったことに、作者自身の戦争からの復興が感じられる。
 作品自体は、現代においても楽しめる普遍性を持っている。
神様 1947/10/15 『パリの揺籠』南北書園 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦後、絵を売って生活の足しにしようと考えた夫人の所に美しい女が現れて、奇怪なことを言う。後になって夫人はその女を神の使いだと思い込むが――。
結婚 1947/10 婦人倶楽部 1948/12/10 『結婚』大日本雄弁会講談社 『芹沢光治良文学館6』新潮社
 1948/10まで連載。小説家の持岡に師事する女が、父の浮気から崩れ始めた家庭の苦悩を友人に述懐する。愛の冷めた夫婦とこれから愛を育もうとする夫婦の2つの世代を描いた。
 この作品を読んで強く感じるのは、結婚生活の幸福は夫婦それぞれの知恵によって簡単にも難しくもなるということだ。その知恵とは、言い換えれば「まこと」であり、謙虚な心であるが。
未完の告白 1947/10 銀座書房 1947/10 『未完の告白』銀座書房
 唯一の恋愛相手である女性を主人公に、ふたりの出会いから別れ、そして彼女の息子を挟んでの再会へと長い年月の物語を一気に描いている。
 この作品では、小説と実際の家庭が違うことや、モデルとなった恋愛相手との関係など、小説ではあるのだが、素の作者がうかがい知れるなど不思議な作品である。本作は若い友に捧げられているが、その友とは愛人の息子であろうか。作者の末弟との関係が設定通りだとすると、出会いの不思議を感じずにはおれないが。
巴里の懺悔 1947/11 女性 1947/10/15 『巴里の懺悔』財団法人井原外助奨学金井原文庫 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 この作品は『運命』と同じ意味合いで書かれたとみていい。堕胎を戒めているが、この母の懺悔は人間の神への懺悔である。『運命』との違いは、母が堕胎の罪に気づき、第2子を身籠もったときに、何としても育てるのだとこころを建て直して幸せになることで、その分前作より、希望的な作品となっている。
抒情 1947/秋 中部日本新聞
北海道新聞
1948/5/5 『抒情』高島屋出版部
 復員した金也は復学した東大で学問に励みながら、戦友の夫人けい子に仕事を世話し、近所だった悦子が東大を受験するというのを激励し、ダンサーに身を落とした幸子と大将夫人の母にも仕事を紹介して、戦後の苦難の中にある知人たちの力になろうとする。しかし女たちは皆そんな金也を愛して――
 金也を慕う3人の女たちの中で、自分がどの女性に共感を抱くか、金也はどの女性を愛するか、という読み方も面白いだろう。
生ける日の歓び 1947? 地方新聞? 1948/12/25 『生ける日の歓び』全国書房
 戦後3年経ってシベリアから復員した和郎を待って、自刃した司令官の父を追って母も自害する。姉はアメリカ軍人の世話をして生計を立て、弟は共産党の運動に走り、崩壊する家庭の中で、自分はただ戦争で遅れた学問を取り返そうと必死に学ぶのだが――
 この物語は、戦後に書かれた作品の中では目立って、登場人物に影のある者が少ない。和郎、親友の伊東、その妹の勝子、友人の若子と夏子、その主人公の誰もが「魂の貴族」なのだが、自分を魂の貴族と呼ぶ根本夫人のみ、動物のようなヒステリー持ちの女性に描かれているのが、皮肉と言えば皮肉だろうか。
生きる日の悦び 1947? 1953/6/30 『幸福への招待』要書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 敗戦後2年目、都会は混乱を極めていた頃の随筆。
 動物に成り下がった人々に、塗炭の苦しみを味わった戦時を思い出して、その頃、戦争が終わったらと夢見た希望を持って生きられないかと訴える。
和霊 1948/1/1 文学界
 勘三は焼けたと報告した倉庫が焼けていなかったとして、保険金詐欺で保険会社から呼び出された帰途、電車に轢かれて事故死した。妻は覚悟の自殺だと思った。
 勘三は気の小さい性格で、生徒の命を大切にしたために非国民と呼ばれるような優しい男だったが、戦後は逆に自由主義者だとてもてはやされ、その事で保険金詐欺と汚名を着せられることを悩んだ。事故死か自殺かはさておき、戦争の起こした悲劇を描いているのであろう。
歳月 1948/1 明日 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 自分の妻を捨てた哲学者の愛の無さと、難解な西田哲学を結びつけて、哲学はベルグソンのように大衆にわかる言葉で語られるべきだと説いている。
閉された扉 1948/2 『相呼ぶいのち』家の光 1949/8/15 『閉された扉』全国書房 『芹沢光治良文学館6』新潮社
 1948/7まで連載、1949/3-7『閉された扉』とまとめ単行本化。二部構成の第1部では、戦犯で30年の牢獄生活を余儀なくされた夫を待つ鈴子の心情を、第2部では、その鈴子の友人の秀子が戦死した作家志望の夫の遺志を継いで作家を志すまでを描いた。
 二人は共に新しいパートナーを得るという安きにつかず、険しい道を選ぶのだが、その険しい道を必死で幸福な道に変えようと努力する姿勢に打たれる。
死者との対話 1948/3 『死者との対話-または唖の娘-』社会 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦地に赴く学生が、生命の何たるかを西田哲学に求めようとしたが難解で答えを得られなかったと訴えたことで、作者は日本の指導者達が自分達だけにわかる言葉を使い、大衆を唖の娘として扱ったために、戦争というとんでもない不幸を味わったと気づく。この作品は『歳月』の内容と類似しているが、この短い期間に同じ意味の作品を二つも書くというのは、余程作者の中で革命があったのだろう。それが作者の文学が誰にも分かる言葉で書かれている所以にもなっている。文学を志す人には是非学んでほしい。
死の誘惑 1948/3 ホープ
 女子大生の鶴子は、友人の招きで訪れた軽井沢からの帰りに闇屋大学生のと出会って――男の心理を知らない若い女の哀れな物語だが、作者が抹殺したい作品のひとつだろう。
櫻花散るかげ 1948/3 女性線
 敗戦で身を落とした真知子は、同僚の音楽好きの中村と恋愛するが、実は中村に遊ばれただけであった。
 この作品も『死の誘惑』と同様、男を見る目のない若い女が死を選ぼうとする結末だが、これらの作品では、いのちを軽んずる女性たちを止められなかっただろう。ただ作者の嘆きだけが現れているようだ。
愉しき人生 1948/3 モダン日本 1949/3/10 『星空』人文書房
 須永画伯は娘と一緒に旅をする電車の中で、木島博士と再会する。博士はフランスで堕胎しようとした須永に産むように説得して、いく子をとりあげてくれた医師だった。後日博士に招かれて行ってみると、フランスでのフィルムを見せられて。
文学的自叙伝 1948/5/1 文学集団
 高校受験から作家になってしばらくまでの文学との関わりを書いたエッセイ。『我入道』と『明日を逐うて』の間に「新潮」に作品を書いたがタイトルは忘れたとある。
結婚の鐘の音 1948/5 サロン別冊 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 「嫁ぐむすめへ」シリーズのその3。長女が熱心に学んだピアノということから、パリでの生活を振り返る。ピアニストのKのコルトーの挿話とシミアン教授の挿話は感動的で、人間誰もが生涯をかけて打ち込める仕事に就ければと願いたくなる。
空の貝殻 1948/6 新女苑 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 長女の結婚に際し、その思い出を語る「嫁ぐむすめへ」シリーズのその1。パリで育って、帰国後日本語に不自由した長女の教育に、仕事にかまけて関わらなかった自責の念と共に、パリでの思い出を語る。
幸福 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 「嫁ぐむすめへ」シリーズのその2。結婚を前に改めて父や母のこと、祖父母のことを聞きたがる長女に、結婚生活というテーマで語る。結婚とはどんな困難にも負けることなく生涯を添い遂げる覚悟が必要だという考えは、作者が若い人に必ず話す結婚に対する基本的姿勢であった。
黒目の天使 1948/7 文学界 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 「嫁ぐむすめへ」シリーズのその4。長女が嫁いで数週間経っても便り一つよこさないことを母親が心配するが、父である作者は自分の理想とする結婚式を挙げた教え子の例を持ち出して、貴方は幸福だからより頑張らなければと励ます。どちらも親バカで微笑ましくなる話だが、それも僕が子供の立場に立って考えるからだろうか。
わが胸に薔薇の咲けば 1948/8/1 青空
 23年8・9月から24年2月まで全5回。ミッション系の女学生、愛子と静江は同じ先輩に思いを寄せたことで始まる友情とこころの成長が描かれている。
 戦後、男女同権が始まって間もない頃に少女雑誌に載った作品だが、友情という大きなテーマの陰で、主人公達が音楽に打ち込む姿に、少女達に夢と希望を持つようにとの想いを乗せたのではないだろうか。
悲しきユネスコ 1948/8/1 小説界
 父の喜寿の内祝いに近親者だけが集った中で吉田という土建業者と知り合う。吉田はユネスコの支部を作りたいと相談して――
 作者は正義感を前面に出すような性格ではないが、本作は珍しく強い正義感が現れている。戦後の混乱に乗じて不条理なことで金儲けを企む男との対決姿勢を前面に押し出して描いている。
母を恋う 1948/8/15 『母を恋う』偕成社
 フランスで生まれたとみ子は、フランスから訪れた父の友人のジャックに、亡くなった母伸子のことを聞きたいと思う――。
『巴里に死す』の設定を借りている本作には、『愛と知と悲しみと』のジャック・ルクリュが登場する。
歌のつばさ 1948/8/15 『母を恋う』偕成社
 美子はセツ子に誘われて声楽を習い始める。だが、誘ったセツ子は学費を払えなくて辞めてしまい、美子が流行歌手になるという悪い噂を振りまいて――。
結婚新書 1948/8? 1953/6/30 『幸福への招待』要書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 長女の結婚を機に、また『結婚』を書くに当たって考えたことを随筆にまとめた。「結婚は人生の目的ではない」「姑と嫁」など16章から成る。
 フェミニストの作者にして尚、家事が女性の仕事と言っている以外は、今に通じる教訓なのではないだろうか。恋愛の難しさについての章で、恋愛の仕方でそのひとが信頼するに足かどうかわかるという意見は尤もだが、それは仕事にも言えることであろう。
をかしな結婚 1948/9/1 日本小説 1973/2/10 『忘れがたき日々に』新潮社
 片山家の別荘番をしている女中のまさが、60歳にして結婚したと夫人に報告してくる。夫人は信じなかったが、見に行くと当人が老夫を抱えて山道を歩いているのに出くわして――
 まさの夫は裕福な身体の弱い老人で、別に結婚するつもりではなく、身体の面倒を見てくれるから一緒になったのだが、まさには初婚で、その相手がまた裕福であるということが夢のようであるらしい。養子に見捨てられるエピソードも絡んで、確かに「おかしな」物語である。
花と神様 1948/9 文芸読物 1948/12/25 『黒目の天使』実業之日本社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 「嫁ぐむすめへ」シリーズのその5。主人公は「神様からのご褒美でしょうか」と言う妻の言葉にはっとする。何十年連れ添っても、完成ということのない夫婦という関係を著しているが、主人公の受け取り方が素晴らしい。また、こんな厳しい話をあっさりと新婚の娘に語って教訓にしようという作者に感心するばかりだ。
緑の校庭 1948/9/30 『緑の校庭』ポプラ社
 すみ子は疎開先からやっと学校に戻ることができた。しかし、校庭にあったジャンヌダルクの像はなくなり、仲良しだった葉子もいない。葉子は父が戦犯であったために自刃して、家族を養う為にダンサーになっていた。しかし、葉子は身を落としながらも、ピアノを弾くすみ子と約束した声楽を続けていた。
幽霊※ 1948/10 世界文化
住宅問題について 1948? 1953/6/30 『幸福への招待』要書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 戦後、犬小屋のように建った東京の住宅問題を嘆いている。正にそんな家に住んでいた作者としても切実な訴えだっただろう。
イエスの生誕について 1948末 1953/6/30 『幸福への招待』要書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作者はフランスでの初めてのクリスマス(当時の様子は『文芸手帖』の『巴里便り』に詳しい)の翌日、初めて福音書を読んだ。だが難解で中途で挫折したが、太平洋戦争の頃、その詩句の中に生きる力を探すように本気で読んだ。本章は簡単であるが作者のイエス伝でもある。
悲しき白鳥 1949/1/1 サロン
 婚約者に裏切られた女が、戦争によって父を亡くし、母と妹を養うためにダンサーに身を落とす。客と白鳥の湖を見ながら、その白鳥に自分を重ねていく――。
 この作品では、悪、悪魔という言葉がよく使われるが、戦争によって、悪に魅入られたような人心に、人間として立ち直ってほしいという願いがこめられているのではないだろうか。
乳房 1949/2 ニューエイジ 1979/7/30 『苦悩多き日々に』広論社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 戦争で夫を失った親子が実姉の厄介になるが、姉は人の心を亡くした扱いしかしてくれない。それでも生きてみせると天に向かって絶叫する美和子の姿は、同じ困難に向かう人たちへの励ましであり、人の心を亡くした者達の魂への呼びかけでもあったろう。芹沢文学の神髄でもある人間愛を訴える小品。
美しき旅路 1949/3/1 青空 1950/3/15 『美しき旅路』ポプラ社
 若い人たちの苦難多い人生を美しくできないかと、希望をかけるようにこのタイトルにした。
 元バレリーナの母を亡くしたアンナは、父が生みの親でないことを知る。本当の父は声楽家だった。アンナは音楽の道を志して――
星空 1949/3/10 『星空』人文書房
 常子の夫は復員せず、田舎の夫の実家は常子を追い出した。常子は東京の兄誠一を頼るが、兄も戦災で義姉の実家に厄介になっている身分である。常子の居場所はなく、住み込みの女中に出るが、そこからも追い出されて。
美女と悪鬼 1949/3/10 『星空』人文書房
 女子大の講演会で、信じられないほど美しい娘に出会ったが、ある日その須磨子が突然訪ねてきた。須磨子は悪魔を知っているかとおかしなことを聞いて――。
 須磨子は両親によって精神病院に入れられるのだが、作者は決して彼女を精神病だとは言わない。実はその事に大きな意味があるのではないだろうか。
涙の小夜曲※ 1949/3/10 ポプラ社
再生 1949/4/1 文学界
 津山画伯の娘節子は父の絵を売るために奔走していた。父は3年前に病気で不随となり、絵を描けなくて、家庭は火の車だった。そんな時、節子の描いた絵を画商が父の絵と勘違いして、展覧会に出品された絵は画伯の再生と話題を呼ぶ。
 嘘を嘘で上塗りしていく悲しい物語だが、テーマがどこにあるか問われると答に窮するような作品である。戦後の生活の困難なことを描いたのか、或いは最期の一文で戦死者を持つ家族を慰めたのか。
花門 1949/4 若い婦人 1949/12/20 『美しき娘たち』湘南書房
 敗戦後の混乱のなかで、苦悩や挫折を味わいながら生きる娘たちの物語。
稚い話 1949/4 文芸往来
 太平洋戦争の最中、勤労動員された農村で、野口は村役場で働く勝子に出会った。ふたりは村を改革する希望で意気投合するが――
 この物語は、タイトルになるほどに稚(いとけな)いとは思われない聡明な二人の男女が主人公だが、その聡明な勝子もやはり死を選んでしまう。いのちを大切にしない時代ではあるが、それに抗する作者の姿勢が現れてきていることに、『死の誘惑』の頃よりも作者が落ち着いてきたことが感じられる。
ナルシスの花 1949/8 別冊文藝春秋 1997/4/10 『芹沢光治良文学館10』新潮社 『芹沢光治良文学館10』新潮社
 共に闘病した夫人が長い時を経て突然手紙を送ってくる。作者はスイスの思い出であるナルシスの花を、これを書いた当時、何かで見たのだろう。その花を見つめるうちに生まれたような作品ではないかと思うのだが。
ポンチ絵の英雄 1949/8/1 小説新潮
 智子は戦争によって夫を失ったが、実家に戻って弟と暮らす智子の元に、婚家の両親が転がり込んで、智子の生活をかき乱す。
 テーマは戦犯者を讃える義父と、自由主義の父の元で育った智子姉弟の対決だが、自分を無くして老人を立てようとした智子も、最後には我慢できずにマズレーヌの絵で見たクードグラース(止めの一撃)を見舞ってしまう。それをこころに病んで終わるところが一番の山である。
美しき出発 1949/8/1 面白倶楽部
 より子は3人の子供を残して、夫の啓吉に離縁される。夫に若い愛人ができたのだが、子供たちは強く生きていこうと母を励まして――
 戦後民主主義による男女同権社会での離婚を取り扱っているが、妻の未練を描いて、美しき出発と言うにはまだ早計に思えるが、タイトルの意味は何をさすのだろうか。
つたない反抗 1949/8 小説界 1979/7/30 『苦悩多き日々に』広論社
 この頃男女同権になったと声高に叫ばれていたのだろう。女性を主人公に書いたものには必ずその言葉が出てくる。男女同権になっても女性の生き難さは変わらず、夫の浮気で離婚した夫婦を主題にその苦悩を描いている。現在では、男が命をすり減らして働いている横で、女は自由気ままに生きているが、長い男尊女卑の時代の復讐をされているようだ。
街の幽霊 1949/10 読物街 1979/7/30 『苦悩多き日々に』広論社
 戦争で夫を失った美代子と妻を失った浜田は自然に寄り添いあう。戦前の重荷を全部捨てて、新しく生まれ変わるように新生活をはじめる夫婦の物語。
 浜田が元部下の林と再会した際、仕事を世話すると申し出られるが、頑なに拒否する場面がある。林はこれで諦めるだろうか。自分なら諦めないが。
星を見つめて※ 1949/12 八雲書店
美しき娘たち 1949/12/20 『美しき娘たち』湘南書房
 被災した不二子は、母を亡くし、父と兄弟の母になろうと決める。戦後、愛する内山はまだ帰らないが、家族で励まし合い、喜びの時を待った。
平和の国 1949? 1953/6/30 『幸福への招待』要書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 スイスの風光明媚なことと、スイス人の勤勉で正直なことを挙げて、スイスが何故この世の天国と言われるかを証明している。
 この随筆を読んで、スイスに行きたいと思わない人があるだろうか。自分が行けるのがいつの日か――少年のような気持で楽しみにしている。

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