/// 京都の夏は祇園祭 ///  (02/07/02)

 祇園祭は今からおよそ1,100年前の清和天皇の頃に、京都に疫病が
流行したことがあり、これは、牛頭天王(ごずてんのう)のたたりで
あるとし、牛頭天王のたたりを鎮めるために牛頭天王をまつり、
疫病退散を祈願したのが、この祇園祭のはじまりと伝えられています。
 当初は日本全国の国の数の
祭鉾を作り、それを今の二条
城近くの神泉苑に奉納し、
悪疫を封じ込めるという
御霊会という形態で、疫病が
流行した時だけの行事でした。

写真は京都で最古の祭の形を
伝えると云われる上御霊神社の
御霊祭の鉾です。これが今の
祇園祭の長刀鉾などの原型です。
長さは5、6mはあります。
その後、祇園社のもとに、祇園祭は「祇園御霊会」または、「祇園会」と
呼ばれて発展することになり、平安中期頃になると毎年行われる行事と
なったようです。

 今でこそ豪華絢爛な飾りの山鉾ですが、山や鉾がタペストリや
西陣織りで飾られるのは、安土桃山時代から江戸時代にかけての
町人の文化が花開き、海外との貿易が盛んとなる頃からです。

祇園祭りは7月17日の山鉾巡行が一般に知られていますが、
祭りの祭事、神事は7月1日から7月31日まで数多くあります。

また祇園祭は「はも祭」、「塀風祭」とも云われます。
京都では祇園祭に合わせるように「はも」を食べる風習があります。
梅肉でいただく「はも」は祇園祭の、別の楽しみのひとつです。

「塀風祭」の所以は、各鉾町で14日〜16日の宵山にかけて、
おのおの自慢の塀風を飾りつけ、来客の人々をもてなす風習がある
ところから、そのように云われます。
町屋の表戸を開け放ち、路地より見えるようにしている町屋が
多いので、四条通といったメインストリートだけではなく、
一歩路地に入って見物されることをお薦めします。
新町通、綾小路通の各鉾町がお薦めです。


祇園祭の行事予定です。

(7月)  1日〜:吉符入、各山鉾町       祇園祭の関係者が町会所に集まり、今年の祭当番の割り       振りや諸事の打ち合せ  1日 :長刀鉾町稚児お千度、八坂神社       稚児が祭り期間中の無事を祈り、八坂神社に参詣する。  1日〜:祇園囃子始め、各鉾町  2日 :くじ取式、京都市議会場       17日の巡行順序を決める。       長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、船鉾、岩戸山、北観音山、       南観音山、橋弁慶山は「くじ取らず」と云って、       巡行順序は固定され、毎年同じ順番で巡行します。      山鉾町社参、八坂神社       くじ取り式を終えた代表者が八坂神社に参詣し、       無事を祈る。  3日 :神面改め、船鉾町町会所       鉾の祭神である神功皇后像に着ける神面を改め、       その無事を確認する  5日 :稚児舞披露、長刀鉾町会所       稚児による舞が披露される。  7日 :綾傘鉾稚児社参、八坂神社       綾傘鉾の稚児が八坂神社に参詣し祭の無事を祈る。 10日 :弊切、長刀鉾町       八坂神社の神官が長刀鉾町に出向き、御弊を確認する。 10日 :神事用水清祓       神輿洗いに用いる水を鴨川から汲み上げる行事。      お迎え堤灯       神輿洗いの神輿を迎えるために、立長堤灯、丸形堤灯       など各自趣向の堤灯を立てて行列する。       例年、市役所前の広場では鷺踊・小町踊が奉納されます。       順路:八坂神社〜河原町四条〜市役所〜寺町通〜          四条通〜東大路〜神幸通〜八坂神社      神輿洗い       午後6時に奉告祭を執り行った後に、3基の御輿を       拝殿にすえ、その中の一つの中御座と呼ばれる御輿を       かつぎ、松明をかざした行列で四条大橋に向かい、       四条大橋上で神輿を清める儀式を行います。       10日〜:鉾建て、各鉾町       各山鉾町ごとに鉾や山の組み立が始まります。例年、       長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾、月鉾、鶏鉾は10日、放下鉾、       船鉾、などは11日に鉾建てがあります、釘を使わず       縄だけで組み上げていく様子は見ていても面白いです。       比較的小さな鉾は13日頃になるようです。        12日〜:鉾曳き初め、各鉾町 13日 :山建て、各山町     :長刀鉾稚児社参       烏帽子姿の長刀鉾の稚児が白馬にまたがり、八坂神社に       参詣し「五位少将」の位を授かる。稚児は精進潔斎の       身となり、稚児屋と呼ばれる家の養子という形となり、       男手により身の回りの世話、食事の世話など一切が       行なわれます。      久世稚児社参       南区の綾戸国中神社の使いとされ、久世稚児は神の       化身とされ、神社の格式が高かった時代でも、乗馬の       まま境内に入ることが許されたと云われます。久世稚児は       胸に木彫りの馬の頭を付けるので駒形稚児とも云われます。       久世稚児は神幸祭、還幸祭に供します。      斎竹(いみたけ)建、四条麩屋町       17日の巡行の開始に先立ち、稚児にる注連繩切りが行な       われますが、その注連繩を張り渡すための青竹が夜明け       までにに建てられます。       斎竹は神域との結界を表します。      高橋町社参詣、八坂神社       斎竹建を行う高橋町の役員が、神事の無事を祈願する。 14日〜:塀風祭、各山鉾町       16日の宵山まで各家で塀風を公開する。      中之町御供、松原中之町八坂神社       松原中之町八坂神社において松仲会の人々が潔斎の身で、       神饌を献上する行事。 15日 :宵宮祭、八坂神社       境内のすべての灯りを消し、拝殿の三基の神輿に神霊を       移す行事。 16日 :神剣拝戴、大政所町       前日の15日に長刀鉾の長刀が御旅所に移され、この16日の       夕刻に厄徐け祈願が行なわれ、町内外の人に拝戴されます。      日和神楽       囃子の車が仕立られ、八坂神社、御旅所へと練り歩く。       明日の巡行の好天を祈るので日和神楽と言われる。      あばれ観音       南観音山では、伝わる観音像を担ぎ町内をあばれまわり       ます。      鷺舞・石見神楽奉納、八坂神社       鷺舞  :雌雄の鷺の舞の奉納と、棒ふり、赫熊も            舞います。       石見神楽:素戔鳴尊の大蛇退治の舞が奉納されます。   田楽奉納:八坂神社        中門口、総舞、論舞で構成され、疫病の退散、        国家安泰を祈願します。            手洗井戸開き、手洗水町       手洗水の井戸を開き、祓い清める行事。      献茶祭、八坂神社       裏千家の奉仕による茶席 17日 :山鉾巡行       長刀鉾を先頭に、都大路を巡行します。       一般にはこの巡行を祇園祭と称されることも多いです。      神幸祭、八坂神社、四条御旅所、氏子地域       拝殿の三基の神輿を担ぎ、氏子町内を巡行する。       中御座、東御座、西御座と巡行コースは違っています。 20日 :狂言奉納、八坂神社 20日 :宣状式、八坂神社       24日にとりおこなわれる花笠巡行の列者に神事の       宣状を授ける。 23日 :斎竹建、三条御供社       後の祭りの神事を控え、三条御供社に「オハケ」を建て       ます。「オハケ」とは、鳥居に向かって右側に芝を敷き、       中心に3本の御幣を立てて四隅に斎竹を立てたものです。      献茶祭、八坂神社        24日 :花傘巡行、寺町通〜四条通       昔は祇園祭の巡行は「先の祭」と「後の祭」と、二度あった       のですが、「後の祭」の巡行が17日の巡行に合わせて       行なわれるようになったので、代わりに古い山鉾の形態を       保存するために始った巡行です。10基の花傘に鷺舞、       稚児など1000名もの巡行です。       巡行コース:祇園石段下〜四条河原町〜御池通〜寺町通〜             四条通〜東大路〜神幸道〜八坂神社       御真榊御祭、泉正寺町        夕刻より行われる神輿還幸祭の中御座を迎える行事。       還幸祭、四条御旅所、八坂神社        三基の神輿が氏子地域を練り歩き、三条御供社にて神事を        執り行い、その後八坂神社に還幸し神霊を八坂神社に        還す行事。 25日 :狂言奉納、八坂神社       茂山忠三郎社中による境内能舞台で狂言の奉納。 28日 :神事用水清祓       10日と同じく、この夜に行なわれる神輿洗いの用水を       汲み上げ、祓い清める行事。      神輿洗い、四条大橋       中御座の御輿を担ぎ出し松明行列で鴨川に向かい、       四条大橋の上で神輿を洗い清め、神社へと帰り戻す行事。 29日 :神事済奉告祭、八坂神社       今年も祇園祭が無事終了したことを奉告する行事。 31日 :疫神社夏越祓、八坂神社       疫神社は八坂神社の末社、静かに神事が行なわれ、       大茅輪をくぐって無病息災を祈願し、穢を祓って普段の       生活に戻ります。  以上が全般的な神事、祭事ですが、その他にも各山鉾町独自の 神事、祭事があります。  このように祇園祭は1ケ月にわたり、種々の神事、行事があります。 全国に伝えられるのは、駒形堤灯に灯が入った宵山と巡行風景ぐらい だとは思いますが、7月に京都を訪れると、祇園祭の関連神事、行事に 出くわすことも多いかと思います。 ただ、今年も八坂神社本殿が改修工事中ですので、一部行事予定、 場所などが変更される可能性もあります。

山と鉾

 鉾は、よくニュース映像として使われるので、
よく知られているところです。いつも巡行の
先頭をきる長刀鉾、どっしりとした菊水鉾、
優美な月鉾などがあり、また船鉾は外観が船の
形をしていて人気の鉾です。

鉾は曳方(ひきかた)と呼ばれる約40名もの
人々により、曳かれ巡行しますが、山は基本的に
担ぐ構造となっており、舁方(かきかた)と
呼ばれる20人前後の人々に担がれて巡行します。
でも現在では担ぐ構造と云っても、実際は補助
車輪を取り付けたりして引っ張ったり、押したり
して巡行しています。四条通辺りではまだ体力も
あるので、実際に担ぐこともありますが、巡行も
後半の御池通辺りでは、担いでいるのをあまり
見かけません。
山を名乗りながら外観は長刀鉾などに似ている
山もあります。岩戸山、南観音山、北観音山です。
これらは山の中でも曳山(ひきやま)と
呼ばれます。
長刀鉾などでは天に向かって、屋根の上に真木
(しんき)がそびえていますが、これら曳山は
山の証とでも云える松の木がそびえています。
ちなみに山の多くは松の木を飾り付けています。

 他に変わった鉾に、綾傘鉾、四条傘鉾が
あります。これは長刀鉾などとは全然毛色が
違っています。大きな傘を台車の上に載せ巡行
します。綾傘鉾は、くじ改めの位置までは、人の
手によって巡行します。周囲には鉦、太鼓、囃子
などを伴って巡行途上で演技、演奏などを行い
ながらの巡行となります。
この傘鉾は、山鉾の古い形態で、長刀鉾と共に、
祇園祭の起源を今に伝える鉾です。

これら傘鉾や長刀鉾が祇園祭の本来の意味を
伝承しますが、その他の山鉾は町内の神仏や、
日本、中国の故事、伝承をモチーフにして
います。例えば岩戸山は天岩戸(あまのいわと)
の天照大神と云う日本神話、孟宗山は中国の
二十四考伝承、太子山は聖徳太子伝承を
モチーフにするなどです。

 写真は上から、菊水鉾、白楽天山、四条傘鉾
です。

・一般的な鉾、曳山
重量:10〜12トン
高さ:屋根まで8m、鉾頭と呼ばれる先端まで
   約25m。巡行の先頭をいく長刀鉾は、
   この鉾頭に長刀を付けているので長刀鉾と
   呼ばれます。菊水鉾は金色の菊花と、
   それぞれ鉾により異なります。

車輪:直径約2m

屋根方 :屋根の上で真木の調整や電線
     などの障害物の排除をします。
音頭取り:巡行の進行、停止などの音頭を
     取ります。普通は二名ですが、
     辻を曲がる辻回しの時は四名と
     なります。
車方  :鉾の進路の微調整、辻回しの操作、
     車止めの操作などを担当。
曳方  :綱を曳く役割で約40名。   

・一般的な山の大きさ
重量:1〜1.7トン
高さ:松の木先端まで6m

舁方:山を担ぐ役割、20名前後。

山鉾町と位置図

・番号は位置のためのもので、巡行順序ではありません。
1.長刀鉾(なぎなたぼこ)    2.函谷鉾(かんこぼこ)
3.鶏鉾(にわとりぼこ)     4.菊水鉾(きくすいぼこ)
5.月鉾(つきぼこ)       6.放下鉾(ほうかぼこ)
7.船鉾(ふねぼこ)       8.岩戸山(いわとやま)
9.南観音山(みなみかんのんやま)

10.北観音山(きたかんのんやま)
11.鈴鹿山(すずかやま)     12.孟宗山(もうそうやま)
13.保昌山(ほしょうやま)    14.浄妙山(じょうみょうやま)
15.橋弁慶山(はしべんけいやま) 16.占出山(うらでやま)
17.役行者山(えんのぎょうじゃやま)
18.黒主山(くろぬしやま)    19.鯉山(こいやま)

20.山伏山(やまぶしやま)    21.白楽天山(はくらくてんやま)
22.霰天神山(あられてんじんやま)23.綾傘鉾(あやがさぼこ)
24.八幡山(はちまんやま)    25.郭巨山(かっきょやま)
26.伯牙山(はくがやま)     27.蟷螂山(とうろうやま)
28.四条傘鉾(しじょうあやがさ) 29.芦刈山(あしかりやま)
30.木賊山(とくさやま)     31.油天神山(あぶらてんじんやま)
32.太子山(たいしやま)

山鉾・花笠巡行コース

(7/17)
 山鉾巡行コース
 9:00 四条烏丸出発
 9:40 四条河原町
10:30 河原町御池
(先頭の長刀鉾の通過予定時刻)

(7/24)
 花笠巡行コース
10:00 八坂神社出発
10:40 市役所前
12:00 八坂神社

祇園祭と伝統

 よく祇園祭は伝統ある祭だと云われます。祭としての文化が
受け継がれ、連続性があるということですが、その中身は歴史の
流れと共に変質しています。

 祇園祭の発祥を考える時、その本来の疫病退散という意味
合いを受け継いでいるのは長刀鉾ぐらいで、他の鉾は祇園
信仰とは関係の無い八幡信仰であったり、天神信仰あるいは
日本の伝説を基にしている山鉾があったり、はては中国の
伝説をモチーフにしている山鉾もあります。

 最近では昭和40年までは南観音山、北観音山を始めとする
九基の山の巡行が「後の祭」と呼ばれて別に執り行なわれて
いましたが、それが昭和41年に17日の巡行にまとめられ、
その代りとでも云える形で始ったのが24日に行なわれる
花笠巡行です。このようにその巡行自体も変化しています。

 今でも巡行の当日以外であっても女性を乗せない山鉾が
いくつかありますが、江戸時代の塀風絵を見ると女性が
山鉾の上に乗って巡行しています。そして一昨年は女性だけの
鉾も作られましたが、花笠巡行への参加も全体の同意が得られない
とかで、参加出来なかったようです。2000年の今年も巡行への
参加は出来ないようです。その代わりという訳でもないですが、
京都駅ビルでの「京の夏まつりキャンペーン」で「平成女鉾」が
登場します。(京都のニュースを参照して下さい。)

でも、これは男女の問題ではなく、祇園祭は昔から伝わる
鉾町と八坂神社の神事、祭礼行事なので、ただ新たに鉾を作ったと
云う理由だけでは難しいような気がします。

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