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 月曜日

 <こんなに目覚めの悪い朝は生まれて初めてだ>

 私は最悪の夢を見た。頭がガンガンするが、昨日久しぶりに飲んだワインのせいではなかった。カーテンの隙間から差し込んでくる朝の日差しが妙にぎらついていて、いっそう私の頭痛に拍車を掛けた。
 <俺はなんて事をしてしまったんだ>
 私は夢の中での出来事とはいえ猛烈な後悔の念に打ちひしがれた。
 夢とは言ってもただの夢とは訳が違う。全く同じ夢を美子ちゃんも見ていたはずなのだ。
 <何という醜態をさらしてしまったんだ>
 今更悔やんでもしょうがない。しかし「後悔先に立たず」とは言うが、こればかりは防ぎようがなかった。夢の中の私は確かに私ではあるがその行動は本人の意思の外であった。

 しかしそういう私もあの夢での行動を全て「他人のせい」に出来ない弱みがあった。彼女を思い描くときには多少なりとも「いけない」想像をしてしまうことが確かにあった。今日の夢はそういう私の奥に隠してある心理が出てきてしまったのかも知れない。
 自分ではどうすることもできないジレンマに歯がゆい思いをする私だった。

 それでも重い足を引きずって私は会社へ着いた。
 真っ先に美子ちゃんを捜したが、すぐには見つからなかった。
 まず昨日の夢のことを謝らなければならい。たとえ夢の中の出来事であったにせよ今の二人には現実の出来事のように感じている。元々その夢がきっかけで仲良くなれたのだからその夢のせいで二人の仲をぶちこわしたくはない。
 ところが彼女どころか女の子の姿が一人も見あたらなかった。
 <一体どこへ雲隠れしたのだろう>
 ふと見ると、のれんで仕切ってある給茶室に何人もの女の子達が集まってなにやらひそひそ話をしている。その真ん中に美子ちゃんがしゃがみ込んでいるのが見えた。
 私はその給茶室へ行って美子ちゃんを呼び出すことにした。
 <とにかく謝ってみよう。もしかしたら笑い話で済むかも知れないし...>
 私がのれんをくぐって中をのぞき込むとそれが甘い考えであることがすぐに判った。真ん中にしゃがみ込んでいた美子ちゃんは大粒の涙を流し、ぐしゃぐしゃになっていた。
 「高木君! あなた一体、美子に何をしたの!」
 美子ちゃんの友人、加奈子が喰ってかかってきた。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 私の名は藤沢美子、22才で独身。高木良介という彼氏がいます。

 私はずっと奥手だったのでなかなか彼氏が出来ませんでした。好きな人に話しかけることもできず、ずっといじいじとばかりいました。
 そんな私が良介君とおつきあいできるようになったのは彼と同じ夢を見るようになったことがきっかけでした。夢の中で会えるなんてなんてロマンチックなのでしょう。きっと私の夢見る心が彼に通じたのかも知れません。
 しかし、いいことばかりは続きませんでした。

 私はその朝、良介君の夢を見て目覚めました。
 目覚めた時点で私の顔は既にぐしゃぐしゃになっていました。
 「ひどい」
 私の第一声は夢の中での経験を要約し、私の感情も同時に表現していました。
 普通の場合ならここで「ああ、夢で良かった」となるべき所ですが、私はそう思いませんでした。なぜなら私にとって良介君との「夢」は現実の延長として存在していたからです。
 以前からあこがれていた良介君と「夢」での出会いが楽しくて仕方がありませんでした。
 それが毎日のように夢の中で出会うことが出来、それがきっかけで本当にデートをする事もできました。夢の中でお話ししたことが現実の世界でも通用し、デートの約束もその夢の中で決めました。
 私にとって夢の中での出来事は全て現実と等価ですらあったのです。
 しかし、その夢の中で、私は抵抗も空しく良介君に弄ばされてしまったのです。
 <そんな人じゃあないはずなのに、こんなはずではなかったのに>
 今までの二人の関係が急に空虚なものに思えて私は泣きました。

 それでも重い足を引きずって私は会社へ行きました。
 朝、加奈子に会ったとき「おはよう美子、昨日はどう? 楽しかった?」と聞かれました。
 夢での出来事は忘れようと思っていた私でしたが、この加奈子の何気ない一言がその全てを思い出させてしまいました。
 本当は当てられっぱなしの加奈子に自慢話を山ほどして仕返しをする予定だったのに、良介君に蹂躙された話など出来るはずもありません。悲しくなって私はその場に泣き崩れました。
 私が泣いてしまう理由はいっぱいあります。

1.本当に楽しかったデートがぶちこわし
2.自分の貞操を本当に奪われたような錯覚
3.夢見る乙女でいたかったのにおもちゃのように扱われた
4.良介君に「星の王子様」をイメージしていたのに実はハイエナだった
5.生々しさが自分の許容範囲を超えていた
6.境遇が特殊で人に容易に説明できない
7.唯一相談できる相手が当の良介君だけ
8.その他

 加奈子は私のただならぬ様子にただ「どうしたの? 何かあったの?」とオロオロするしか手はなかったようです。
 「泣いてるだけじゃあ判らないわ、こんなとこじゃあ何だから、給茶室へ行きましょう。そこで何があったか聞かせてくれるわね?」そう言って加奈子は私を給茶室へ連れていってくれました。

 「昨日何かあったんでしょ、力になるから言ってみなさい」
 「...ゆうべ良介君に...」
 「高木君に? 何かひどいことされたの?」
 その問いかけに私は「うん」と小さく頷きました。
 女の子達の「スキャンダル」をかぎつける能力は犬の鼻の何倍もある、そう思わせるように給茶室には女の子達が集まってきました。みんな表向きは私の力になろうと集まったようですが、本当のところは興味本位なのでしょう。こんなに人が集まっては話すものも話せなくなります。私はまた悲しくなって泣き崩れました。
 そこへ良介君が現れたのです。

 「高木君! あなた一体、美子に何をしたの!」加奈子が喰ってかかりました。
 「な、何言ってるんだ、何もしてないよ」
 事実は確かにそうでした。あの出来事は夢の中でのことであり現実ではありません。
 しかし良介君の言葉は加奈子の琴線に触れたようです。何もしていないのに私がこんなになるはずがないと思ったのでしょう。
 「ウソおっしゃい、何もしてないのに美子がこんなに泣きじゃくる訳ないでしょ!」
 「それは、その...」
 「ほら、何も弁解できないじゃない」
 「いや、そうじゃあないんだ、俺は何もしてないんだよ...いや、何もしてないって訳でもないけど、昨日はいつもの俺じゃあなかったんだ。ねえ美子ちゃん分かってよ、昨日は久しぶりにワインなんか飲んだから...」
 事情をよく知らない彼女達に簡単に説明が付かないと思い、良介君は直接私に話しかけてきました。しかし状況はかえって悪化したようです。
 「酒のせいにするなんてサイテー」加奈子が軽蔑の言葉を発しました。
 回りの女の子達も「そうだ、その通りよ」と軽蔑の念を良介君に浴びせかけました。
 今、良介君の味方は良介君本人しかいません。その良介君はこの女の子達への上手な弁解など用意していなかったのです。良介君はみんなの剣幕にただ「ごめん」と謝りました。
 「話にならないわね...美子、夕べ何があったのかはっきり言いなさい。それからじゃなきゃ始まらないわ、いいわね美子」
 「...うん」
 実は回りの女の子達もこれが聞きたかったようです。この私達二人に夕べ何があったのか、今や加奈子は芸能レポーターとなり、集まった女の子達はワイドショーの視聴者になっていました。この給茶室の中で誰かが生唾を「ゴクン」と飲む音が聞こえました。
 私はゆっくりと話し始めました。
 「私は昨日、良介君くんに...襲われました」
 その言葉に給茶室内は騒然となりました。良介君は頭を抱えて床に座り込んでしまいました。
 「やっぱりそうだったの」「男って獣ね」「これはセクハラだわ」などの声が聞こえました。そうは言いながらもやはりこの答えを期待していたようにも感じられます。
 しかし私のその言葉には「夢の中で」という続きがあったのです。加奈子は騒然とする給茶室の中で私のその言葉を聞き漏らしてはいませんでした。
 「えっ? 何ですって美子、もう一回言ってみて」
 「うん、私は昨日、良介君くんに襲われたの...夢の中で」
 「ゆ...め?」
 蜘蛛の子を散らすように女の子達が自分の職場へと戻っていきました。その変わり身の早さは今見ていたワイドショーが気に入らずに他のチャンネルへ切り換えるのに似ています。
 給茶室には私と良介君、そして加奈子の3人だけになりました。相変わらず私はしくしくと泣いています。
 「美子ちゃんごめんよ、悪気はなかったんだ」
 その良介君の言葉に第三者の加奈子はあきれた顔をして何もコメントしませんでした。

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