夢幻はじめに

19931031

残っているメモは、今となって見れば、荒唐無稽なものだ。

内容が断片的で、直観ばかりが目立つ。

その直観は、「世界のあらゆる事物、観念が、緊密に結びついていて、一つの箇所を押せば他の事物、観念に力が伝わる」、というような感覚を前提にしている。

つまり荒唐無稽なのだが。「なぜ、そのように考えたか」をたどると、自分にとっての思いとしては、理由はある。

高校を出て、(その中学、高校は、本来、市民として生活の一部であるはずの政治が、欠落した生活。そういう生活の日本社会、政治を意識的に欠落させた受験教育、であった)、大学で今までの思考停止、判断停止を取り戻すために、急激に自分で考えるように自分を持っていき。

そのような新入生は、初期には、他の社会主義思想などと区別して、自分の思想を理想主義と表現する。しかし、朱に交われば赤くなる如く、次第に周囲にある社会主義的思想、それも、以前、その思想が発生した背景を抜きに輸入された、「輸入された範囲だけの社会主義的思想」を身に着ける。

しかし、時間の経過とともに、その社会主義的思想と、自分の出発点であった理想主義との乖離が埋めようもないものになる。

特に、1960年代後半の闘争期をとおった以後では、既成の概念の上に続けて、自分の思考の筋道を組み立てることはできない。自分も持っている既成の概念を一旦ばらばらにした後で、最初から概念を組み立てる。その最初の作業で、信じられるものは、自分の感性、直観だけだ。その直観をたよりに、概念を組み立てるための部品を、試験(実験と総括)しながら集めるのだ。

もし、その作業が首尾よく運び、考え抜いた概念、さらには思想を組み立てられれば。それは根源的(ラジカル)なものであり、世界に向かっても、発信するに足るものであるはずだ。という思いだ。

また、社会運動が後退局面にあり、一時的局所的には党派間対立が先鋭なものになる環境では、自分自身が「考え抜いた概念、さらには思想」を持つことが、局面を打開するうえで、緊急の絶対的な前提として、意識されるということがあった。

荒唐無稽である。しかし、あのときに考えたこと、考えた自分は、決して夢、幻ではなかったはずだ。

沼田哲史

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