引用

他の人が書いた文章で、気になったものを載せてみます。
相手方の了解は、特段、得ていません。

友情とお金(1995.10.21朝日新聞.リービ英雄)

「上海へ行くな、上海は良くない。」北京の青年が、突然そんなことを言い出した。(中略)
北中国は友情、南中国はお金だと。彼らは、労働者階級だった。「昔より自由になった」ことを喜びながら、共同体が全てだった時代の「友情」の輪から、市場経済、つまり「一人のお金」へと世の中が変わりつつあることについて、彼らは不安も感じている。(中略)
南から、上海から、「お金」の波が寄せて来て、「友情」を脅かしている。上海を軽蔑する若い北京人の言葉の陰には、そんな「脅威」が感じられた。(中略)
次の日、北京から「行くな」と言われていた上海に着いた。初めて出会った上海人から、人が「一人のお金」の力に目覚めないまま、未だに古臭い「友情」などを口にするような北京は、「田舎だ、過去の町だ」と、北京人の「偏見」を裏返すような表現を聞いた。
「友情」の文化が、何時の間にか「お金」の文化に変わる。中国人同士の「都市の悪口」を耳にしながら、東京のことを考えた。「新宿」の60年代から、「バブル」の80年代を経た、日本の都市にも、或る種の「上海化」はなかっただろうかと。

マンデラ氏

国連総会演説(1998.9.23朝日新聞)
(99年春に大統領を引退)「故郷に戻って、年を重ねても、我々が受けたような、自由の否定や、故郷からの追放、空腹を余儀なくされたり、人間の尊厳を奪われたりすることを許さない、指導者たちが、我が国だけでなく、アフリカ大陸や世界中に生まれているという希望を抱き続ける。
こうした夢が実現して初めて、私は平穏を得られる。その時こそ、歴史と世界中の人々が、我々が苦労して、人生を賭けただけのことはあったと、宣言してくれるだろう。」

パレスチナ自治区ガザ、自治評議会演説(1999.10.21朝日新聞)
「(パレスチナ人と南アフリカの非白人にとって和平は苦悩の選択だった)暴力の代わりに和平を選んだパレスチナ人に感銘を受けた。(そして)和平が達成不可能で暴力以外に手段が無いときに(私達は)暴力を選ぶのだ。」

フセイン・ヨルダン国王、中東和平の合意文書調印式挨拶(1998.10.24朝日新聞)

(ネタニヤフ・イスラエル首相とアラファト・パレスチナ自治政府議長に)「十分過ぎる程の破壊と死と荒廃があった。無責任な行いと狭量さで、子どもたちの将来を縛る権利は我々には無い。
今日の合意で、岐路を超えた。希望を砕き、人々に恐怖を植え付けようという誘惑に駆られる者も、当然出て来る。しかし、将来に責任を負った我々は、力を合わせ、着実な努力を通じて、その試みを挫き、中東全体に、包括和平が訪れる夜明けを見なければならない。」

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チャールズ・チャプリン(1940.映画『独裁者』The Great Dictator)

(独裁者とよく似たユダヤ人の床屋が、収容所からの脱走の途中で取り違えられ、独裁者に代わってオーストリア進駐を宣言する演説会の演台に上げられる。演説は新技術のラジオで世界に生中継されている。逃げ出したいが、話す以外、他に助かる道はない。)
「申し訳ない。私は皇帝になりたくない。支配はしたくない。できれば援助したい。ユダヤ人も黒人も白人も。人類は互いに助け合うべきである。
他人の幸福を念願として、互いに憎み合ったりしてはならない。世界には全人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。
スピードも意志を通じさせず、機械は貧富の差を作り、知識を得て人類は懐疑的になった。思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた。知識より思いやりが必要である。思いやりがないと、暴力だけが残る。
航空機とラジオは、我々を接近させ、人類の良心に呼び掛けて世界をひとつにする力がある。私の声は世界に伝わり、失意の人々にも届いている。これらの人々は罪なくして苦しんでいる。人々よ、失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ。
兵士諸君、犠牲になるな。独裁者の奴隷になるな。彼らは諸君を欺き、犠牲を強いて家畜の様に追い回している。彼らは人間ではない。心も頭も機械に等しい。諸君は機械ではない。人間だ。心に愛を抱いている。愛を知らぬ者だけが、憎み合うのだ。独裁を排し、自由のために戦え。
゛神の王国は人間の中にある゛すべての人間の中に、諸君の中に。諸君は幸福を生み出す力を持っている。人生は美しく、自由であり、すばらしいものだ。諸君の力を民主主義の為に集結しよう。良き世界の為に戦おう。
青年に希望を与え、老人に保障を与えよう。独裁者も同じ約束をした。だが、彼らは約束を守らない。彼らの野心を満たし、大衆を奴隷にした。戦おう、約束を果たす為に。
世界に自由をもたらし、国境を取り除き、貪欲と憎悪を追放しよう。良識の為に戦おう。
文化の進歩が、全人類を幸福に導くように、兵士諸君、民主主義の為に団結しよう。


(演説をひと区切りした床屋は、避難先のオーストリアで再びの迫害に打ちひしがれるガールフレンドに、ラジオを通して呼び掛ける。)ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し。ご覧、暗い雲が消え去った。太陽が輝いている。明るい光が射し始めた。新しい世界が開けてきた。人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ。人間の魂は翼を与えられていた。やっと飛び始めた。虹の中に飛び始めた。希望に輝く未来に向かって、輝かしい未来が君にも私にもやって来る。我々すべてに。ハンナ、元気をお出し。
(前段は価値判断と決意である。後段は多分に、願望を含んでいる。ここにある「新しい世界、希望に輝く未来」は、第二次大戦後も、今も実現していない。)

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竹内浩三、第二次世界大戦出征時の詩(「骨のうたう」)

戦死やあわれ、兵隊の死ぬるやあわれ、遠い他国でひょんと死ぬるや、だまってだれもいないところで、ひょんと死ぬるや、ふるさとの風や、こいびとの眼や、ひょんと消ゆるや、国のため、大君のため、死んでしまうや、その心や
白い箱にて故国をながめる、音もなくなんにもなく、帰ってはきましたけれど、故国の人のよそよそしさや、自分の事務や女のみだしなみが大切で、骨は骨、骨を愛する人もなし、骨は骨として勲章をもらい、高く崇められ、ほまれは高し、なれど骨はききたかった、絶大な愛情のひびきをききたかった、がらがらどんどんと事務と常識が流れ、故国は発展にいそがしかった、女は化粧にいそがしかった
ああ戦死やあわれ、兵隊の死ぬるやあわれ
(三重県松阪市出身、1945侵略の地フィリピンルソン島にて戦死)

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金嬉老(キムヒロ)服役囚、仮出獄の挨拶「日本人に対して」(1999.9.7朝日新聞)

日本の言葉の中に「住めば都」というのがありますが、かつては日本側の都合で強制的に日本人とされてしまい、そして、またまた日本側の事情で強制的に韓国人にされてきた。そんな歴史を持つ在日の私が、日本で生まれ日本で生活してくれば、そこには自ずと「住めば都」で、日本が自分たちの故郷になってしまうことは、必然的な心情だと思います。
私もその一人として、日本で生まれ日本で70年余りを暮らして来ました。この美しい日本の地を愛し、多くの日本の皆さんと交わり、たくさんの思い出があります。そして兄弟も親戚の者たちも日本で暮らしています。その私がまたまた、日本の事情で今度は自分の国に帰される事になりました。
私が、日本で母や兄弟たちとともに生きてきた70年間はどういうものであったのか、金嬉老事件はどのようにして起きたのか、一体全体どんなことがあったのか、あらゆる問題を含めて、今後、日本の皆さんへ問い掛けていくつもりでいます。そうする事が日本の皆さんに対する本当の友好になると思いますし、私の国・大韓民国、同胞の皆さんに対する当然の義務と思います。
金嬉老が、日本的な在日が、わずか2時間足らずで祖国の地に向けて、機上の人となった、その時の心境が日本の皆さんに分かって頂けるでしょうか?
愛する日本よ、さようなら。日本に幸あらんことを。

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