第六章 開かれた世界へ
第4節 「カンマを伴う分詞句」の「暗黙の主辞」の在り方について
その四 文形式Aの場合
〔注6−29〕
「分詞句に感じ取れる意味合いの幅そのものを表立った論拠にすることはないように見える」とは次のような事情を指す。
CGELは、「カンマを伴う分詞句」が副詞要素である可能性を示唆するに際して、その本文では「分詞句の可動性」という語句を主辞の位置において、次のような記述を展開する。
こうした可動性は実は、非制限的非定動詞節が名詞修飾的働きをするものなのか副詞的働きをするものなのか曖昧であるということを含意している。(CGEL, 17.34)
同じことが"Note"[注](一段と小さな活字で組んである)では、次のように記述される。
非制限的非定動詞節の意味上の可能性の幅[the range of semantic possibilities]及び文頭の位置への可動性は、こうした節が名詞修飾的要素であるのか副詞的要素(8.150以降参照)であるのを曖昧にする。(17.34Note[a])(下線は引用者)
"Note"中の記述の主辞には、「文頭の位置への可動性」という名詞句に加え、これと同列に置かれた「意味上の可能性の幅」という名詞句が据えられている。「意味上の可能性の幅」は、本文の「可動性」という名詞句と比較すると、一段と小さな活字で組んであることによって、いわば日陰者扱いされているかに見える。更に、第二章第5節及び[2−20], [3−3], [6−6]参照。
「ひかげもの【日陰者】おもて立っては世の中に現れ出られない人。」(『広辞苑第四版』)
(〔注6−29〕 了)
|