第5節 解読という誘惑
〔注6−45〕
《分詞構文》という了解に基づく場合、分詞句の「意味合い」は次のようにして感じ取られることになる(こうした点については、第一章第2節、及び[1−8], [1−14]参照)。
カンマを伴う分詞句が実現している諸関係の内、あらかじめ対母節関係(A)に排他的地位を与え、その関係(A)を、カンマを伴う分詞句と母節それぞれの意味内容の間に成立している関係(B)に還元した上でその関係(B)の在り方を解読し、その結果突き止められた関係(B)の在り方を再現し得るような日本語表現へと分詞句を置き換え(ようとす)る場合、そこに現れ(ようとす)る日本語表現が、ほぼ「分詞句に感じ取られた意味合い」ということになる。関係(B)の在り方をどのように解読するか、そこにどのような「意味合い」を感じ取れるかは、受け手の内部で成立済みの「世界認識」を媒介にして、受け手に備わる解読格子を通して行われる解読にかかっているため、「感じ取られた意味合い」は、第三者の目には時には「恣意的」であるように感じられることもあるかもしれない。
[1−8]では次のようにだけ記しておいた。更に[3−2]参照。
例えば、以下の文例の下線部が「つま先立ちして歩い(てい)たので」という日本語に置き換えられることは極めて稀であろう。
「以下の文例」とは以下の通り。
Walking on tiptoe, I approached the little window. |