第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業
日本の学校英文法の世界で、《分詞構文》がその形態、その文法的機能[1−7]、その「日本語への言い換え[1−8]」などの点でどのように考えられているかを、次いで、《分詞構文》という了解を共有する読み手が時に示すことのある姿勢を簡単に紹介する。 《分詞構文》の考え方については次のように概括できよう。
「分詞句の暗黙の主辞[1−9]が導く節」を副詞的に修飾する分詞句を《分詞構文》とする。《分詞構文》と「分詞句の暗黙の主辞が導く節[1−10]」との間に成立しているとされる関係については、そこに多様な在り方(論理的関係)を解読可能であり、その在り方は「時系列関係」「因果関係」「状況的関係」など多岐に渡る。《分詞構文》は文頭・文中・文末[1−11]のいずれにも位置する。
「《分詞構文》という了解」に窺える特徴は、「カンマを伴う分詞句」が実現している諸関係[1−13]の内、あらかじめ対母節関係(A)に排他的地位を与え、その関係(A)を、「カンマを伴う分詞句」と母節の意味内容の間に成立している関係(B)に還元した上でその関係(B)の在り方を解読し、その結果突き止められた「関係(B)の種々の在り方[1−14]」を、今度は、対母節関係(A)にあらかじめ排他的地位を与えたことの根拠にしている[1−15]ように見えるという点である。 「カンマを伴う分詞句」が実現している関係には、その意味内容にまで踏み込めば、種々の在り方を解読可能であるという英文読解経験をもとに、ある在り方には主たる役割を、別の在り方には端役的役割を振り分ける。そこに解読可能である頻度が高い(と感じられる)、あるいは、優位と認められるべきであるとされる在り方の場合、分詞句に表現されている意味内容は、副詞的な修飾関係を実現する日本語表現に置き換えることで再現される、といった体験に依拠して《分詞構文》の文法的機能が語られることになる。 時に、「カンマを伴う分詞句」が実現している関係の在り方が、「非制限的に名詞を後置修飾する関係詞節」と「関係詞の先行詞」との間に成立している関係の在り方に等しい([1−13]参照)ように感じられる、即ち「カンマを伴う分詞句」がその暗黙の主辞を説明しているように読めるという体験をすることがあっても、そうした体験に基づいて分詞句の「非制限的名詞修飾用法」という範疇が容認されることはないようである。ここで、「カンマを伴う分詞句」が実現している関係の在り方が、「非制限的に名詞を後置修飾する関係詞節と関係詞の先行詞との間に成立している関係の在り方に等しいように感じられる」とは、例えば、次のような文例に見られる分詞句が実現している関係の在り方のことである。 My son, persuaded to enter my business, gave up his plan.一方で、この分詞句はその暗黙の主辞との関係では非制限的関係詞節が果たしているのと等しい役割を果たしているように感じられるとは言え、他方、その意味内容の水準においては母節との間に因果関係を解読可能であり、「私の商売を継ぐように説得されたので」という「原因・理由」を表わす日本語表現への置き換えが可能であるとも感じられる。ただし、この分詞句が名詞修飾要素であるのか、副詞要素であるのかを判断する際の論拠は、あくまでも「《分詞構文》という了解」であり、こうした慣習的了解に基づく限り、この分詞句はやはり「副詞要素」であると判断するのが妥当である[1−16]と結論づけられることになる。 「カンマを伴う分詞句」をめぐって成立している了解を、「カンマを伴う関係詞節」の場合と比べると面白い点に気付く。 例えば、宮川幸久・綿貫陽・須貝猛敏・高松尚弘『ロイヤル英文法』では「非制限用法の関係詞節の機能」を「先行詞について説明を付け加える」と説明し、次のような文例と書き換えを示し、更に注意書きを添えている。 The milk, which was near the window, turned sour.つまり、非制限用法の関係詞節は、意味内容にまで踏み込めば「母節」(上記文例の下線部)との間に因果関係を解読可能な場合もあるため副詞節で書き換えられることがあるにもかかわらず、文法的規定[1−17]に基づき、「先行詞を非制限的に修飾する関係詞節」(先行詞を説明する形容詞要素)であると結論づけられる。 対照的に、カンマを伴う分詞句は、意味内容にまで踏み込めば、その暗黙の主辞との間に、関係詞節と関係詞の先行詞との関係の在り方に等しい在り方を解読可能であり、関係詞節で書き換えられることもある([1−13]参照)にもかかわらず、「《分詞構文》という了解」に基づき、副詞要素(《分詞構文》)であると結論づけられることになる。 関係詞節の場合、文法的規定に基づいてその文法的機能が記述される。他方、カンマを伴う分詞句の場合、「《分詞構文》という了解」に基づいて、あるいは、意味内容の水準における「解読と選択」――分詞句と母節との間に、もしくは、分詞句とその暗黙の主辞との間に、(意味内容の水準で)解読可能な関係の諸々の在り方の中から特定の在り方を選択すること――に依拠して、その文法的機能が記述されているように見える。しかしながら、意味内容の水準における分詞句と母節の間の論理的関係と、分詞句とその暗黙の主辞の間の関係を、比較検討した場合、分詞句と母節の関係よりむしろ、分詞句とその暗黙の主辞の関係の方が優位であると感じられ、そうした関係が「主辞と述辞の関係」に等しいと判断されるような事例もたびたび体験されているはずなのである([1−13]参照)。 《分詞構文》という了解から次のような判断が展開される。 (a) The boys knowing him well didn’t believe him.(形容詞用法)たまたま特定の文法書から例を挙げたが、ある分詞句について、それが「形容詞的句(名詞修飾要素)」であるか「副詞的句(《分詞構文》)」であるかの判断は、ほぼ全ての学習用英文法書・受験関係書を通して、ここに見られる判断が依拠しているのと同じ「《分詞構文》という了解」に基づいている。 上記(a)と(b)では、同一の語群からなる分詞句が、カンマの有無を契機として、時に「形容詞要素的(名詞修飾的)」な機能を発揮し、時に「副詞要素的」な機能を発揮すると機械的に判断されている。とりあえずさしたる不都合が生じることはない判断であると言っていい。あえて何かしらの不都合を指摘したとしても、今の段階では、見解の相違として片付けられるほどの不都合でしかないだろう。 別のある参考書では次のような記述が展開されている。 分詞構文の諸形態:「文頭・文中・文尾に現われたとき」という記述では、カンマが重要な要素とみなされていることをこの著者に代わって付言しておく。ここでは(特に1〜5では)、例えば、「カンマ+-ing分詞句+カンマ」という-ing分詞句や「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」などという-ed分詞句が現れたときには《分詞構文》ではないかと考えて文の読解に当るとよい、という姿勢が紹介されているのである(-ing分詞句、-ed分詞句という用語については[1−5]参照)。 このような了解に基いた場合、 I pursued my walk to an arched door, opening to the interior of the abbey.(私は、僧院の内部へ通じている弓形の戸口へ向かって歩を進めた)(清水護編『英文法辞典』,Participial Construction (分詞構文)の項)については、 斜体の部分はdoorを形容詞的に修飾し、(異例の)分詞構文ではない。(清水護編『英文法辞典』,Participial Construction (分詞構文)の項)(下線は引用者)とわざわざ断らねばならないことになる(この文例については更に[1−49]参照)。
|