第一節. 格別の不都合は生じなかった…文末の-ed分詞句の場合(1)
〔注3−2〕 「講師たちの見解は概ね一致した」とは、"I pursued my walk to an arched door, opening to the interior of the abbey."が「私は、僧院の内部へ通じている弓形の戸口へ向かって歩を進めた」(清水護編『英文法辞典』,Participial Construction (分詞構文)の項)(下線は引用者。第一章第2節の末尾、及び[1−49]参照)という日本語に置き換えられたように、(3−3)が「オークの化粧台の上に積み重ねてあった彼女のお気に入りの本を私は読みました。」という日本語に置き換えられることはあっても、「オークの化粧台の上に積み重ねてあったので、私は彼女のお気に入りの本を読みました。」という日本語に置き換えられることはなかった、ということである。
文例(3−3)中の分詞句を、「オークの化粧台の上に積み重ねてあったので(私は彼女のお気に入りの本を読みました)」という日本語に置き換えないのはなぜか。この分詞句が《分詞構文》ではなく、非制限的名詞修飾要素であるからか。しかし、非制限的名詞修飾要素が「〜なので」と読まれることがあるのは、すでに第一章第2節で指摘した通りである(また、前置名詞修飾要素や制限的関係詞節についても、「原因・理由」を表わす副詞要素のように読めることがある。[2−12]参照)。以下、第一章第2節より。
The milk, which was near the window, turned sour.
I will employ Mr. A, who (= as he) can speak English well. 「《分詞構文》を日本語に置き換える」とは、《分詞構文》と「母節」([1−10]参照)との関係の在り方を、その意味内容の水準で、受け手の内部で成立済みの「世界認識」を媒介にして、いわば受け手に備わる解読格子を通して解読し、その結果に基づいて《分詞構文》の意味内容([1−6]参照)を日本語での表記によって再現することである。
こうした記述が「非制限的関係詞節」についても当てはまるのは、関係代名詞節の名詞修飾機能について、「先行詞を修飾してその意味を制限するのでなく、先行詞に、単に余分の説明を加えるだけの用法」(木村明『英文法精解』p.129)が見出され、さらに「こうした用法」が次のように語られることがあるからである(第二章第4節でCGELから「非制限的関係は、意味の上では、接続詞を伴う等位関係、あるいは接続詞を伴わない等位関係に、もしくは副詞的従位関係に非常に似ていることがしばしばある。」(17.23)(下線は引用者)という記述を引用しておいた)。
継続的用法の関係代名詞を見て、その中にどんな接続詞の意味が含まれているかを判断するのは、まったく前後関係によるほかない。したがって、同じ文でも、読む人によって、出る場所によって、解釈が異なる場合も多く、そのため、叙述が不正確になる欠点がある。しかし、また一面、意昧にゆとりができ、文におもしろ昧が出てくることも、事実である。
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