最近手に入った昭和33年頃の写真と、晩年の家族との写真です。

1958年、浴衣姿で
1958年、浴衣姿で。

この前年に東京で世界ペン大会が開かれ、ソルボンヌ大学での旧師シミアン教授や旧友ピエラール君を迎えるために、東中野に家を新築しました。

翌年には、フランス友好大賞を受賞して、友人たちに祝ってもらったり、フランクフルトでの世界ペン大会に出席したりしていますから、この2、3年は懐かしいパリを味わえた季節だったのかもしれません。

創作面では、その年に、8年間書き続けた『教祖様』が刊行されています。

赤いベレー帽で






赤いベレー帽をかぶった芹沢氏。










下は1980年、芹沢氏夫妻。

どちらも自宅の庭でしょうか。

1980年、自宅の庭で妻と


紋十郎作の八重垣姫

『人形師の涙』によれば、
金江さんのお母さんに生き写しだったといいます。

八重垣姫