『神への告発』を再読して

781116ー000924

『神への告発』

(箙 田鶴子[えびら、たづこ]、筑摩書房、1977年)


[1]<ギャップ、ギャップ>
ある日(1999年)の深夜に、つけ放しのテレビで「インタ−ネットを利用したメ− ルマガジンの発行」を紹介する番組があり、その中で実例に挙げた、人生相談的な内 容のものの発行者が、「相談を寄せた障害者を訪ねる場面」があった。
最初にパソコンの画面に、相談者のメ−ルが写し出されるが、「障害のために親が かりで生きてきたが、年齢が高くなるに従い父親と考えが合わず、身体障害がある自 分だが、親から自立した生活が出来ないだろうか」という内容だった。
発行者が訪ねるのは地方の農村の一軒家で、迎えに出るのは車椅子に乗った障害の ある相談者だった。彼は脳性まひで手足が効かず、けいれんし、発音も不自由なため 文字盤を指して意志を伝えるが、その指もふるえてどの文字を指しているか分かりに くい。
 パソコンの画面に映った論理的な文章と、その彼の外見にはギャップがあった。
「ギャップ、ギャップ」と頭の中で繰り返すと思い出したのは、以前読んだこの本 「神への告発」だった。この著者も脳性まひで、想像するその姿と本の文章にはギ ャップがあった。

[2]<「神への告発」>
(1) あとがきに、「生まれてから死ぬまで、報われること無くして終えた人たちを想 うとき、(この著作を完成させた)私の幸せの感は苦みが混じって来るよう」(P.253) とある。
考えを発表する機会を得た数少ない者である著者の意志に沿えば、この本のことを 人に伝えることが、その存在を知る者の義務と考えた。
1977年、著者43歳の発行(P.18)。

(2) 再読して、以前は記憶に残らなかったが「私の叔父も都知事ですけれど」(P.178) という著者の発言が本文中にあった。
1999年9月に、東京都のI知事が重症心身障害児(者)施設である府中療育センター を視察したが、記者会見で「ああいう人たちに人格があるのか?」と発言して批判を 浴びた。より詳しい報道では、重度の障害者に接した直後の素朴な感想を、きわめて 直截的に表現した「とまどい」と窺われるものだが、この一事で差別者と指弾しない までも、この本が発行された1977年から既に20余年が経っていること、発言者の政治 経歴、年齢からすれば、余りに無知と言わざるを得ない。
この知事は、2000年に入り、自衛隊を前にした挨拶で、「不法入国の外国人が暴動 を起こさないよう威嚇する、治安出動も」という発言をして批判を浴びるが、外国人 犯罪組織の進出と、労働力としての不法入国者を混同して、そのどちらの当事者にも メリットが無い「暴動」という妄想を流布して、人々の中の排外的意識を煽動してい る。
このふたつは、「タカ派」というのは具体的な知識の無さの別名であることを明ら かにしている。閑話休題(それはさておき)。

(3) 本文中には、テ−マに対する答えが直接的にある。
 ・ 重度障害者に意志(人格)があるか
 ・ 生きる価値があるか、本人が欲しているか
 ・ 生活保護と所得保障の違い
   経済的基盤の有無と人格の独立のこと

(4) 内容は、短時間には要約し難いが、
 ・ 出生から何らかの形で親がかりの時期
 ・ 県立施設に入寮した時期
 ・ 生活保護から始まり画業の収入でひとり暮らしをした時期 に分かれる。

(5) 内容について述べるには、時間をかけて整理する必要があるが、
 以前読んだときの印象そのままに、母親譲りのあくの強い著者の個性で、読む途中 で、「いやになる」(後述)こともしばしばあるが、
 著者も「偏見の連鎖」の中に居て、著者自身も偏見から自由ではない。
「著者と母親、姉、義兄」、「精神障害者、知的障害者と著者」、「著者と小平氏」
「被差別部落と小平氏」、「著者と被差別部落」。

(6) (a)<出生から何らかの形で親がかりの時期>
著者を人として理解した父親が病気で亡くなった後、所謂、道徳の基準を失った状 態になり、派手好みで生活感覚を持たず、外聞を気にする母親と姉、義兄に疎まれ、 次第に閉ざされた座敷の奥に追いやられる。
 (b)<県立施設に入寮した時期>
後に、県立施設に入るが、当時の救貧的な施設のあり方に、著者が耐えられず、無 謀と言える「自立生活」に突入する。
(c)<生活保護から始まり画業の収入でひとり暮らしをした時期>
重度の障害を持つ著者に対する周囲の捉え方に安住できず、あがくことを重ねる。

(7) 本文中のいくつかのテーマ
(a)<親がかりの時期>
<就学> 学齢期になって、就学通知が来る。しかし、昭和16年頃、当時は養護学校 もなく、「就学免除」を申し出るしかなかった(P.7)。
父に促され、積み木で文字を覚える(P.9)。本を読む(P.25)。描く、書く(P.27)。
<稼得能力>著者を疎んで、その存在を認めようとしなかった母親も亡くなる(P.77)。 姉と義兄宅での生活は、より厳しかった。
食費は1日30円=食パン1斤だけ(P.92)。著者は呟く、「働かざる者は食うべからず、 働かざる者は食うべからず」(P.94)。
(b)<県立施設の時期>
<狭い福祉概念>1958年(昭和33年)に、23歳で、中国地方の県立施設へ入寮する (P.105)。それから10年、在寮する(P.101)。精神障害者、知的障害者、身体障害者が いる。81名の在寮者に、寮母3名なので手が回らず、障害の内容、度合いで6名定員の 部屋の組み合わせを決めて、人手不足を補っていた。
当時は、救貧政策としての狭い福祉概念で施設が運営されていて、福祉法にも差別 的表現があった。「身体、精神に著しい欠陥を有する者のみを収容しーーー」。
「頭の中によぎり想われる、幸福であった幼女の日の生活が夢のようだった。
(人間の命が、地球より重く尊いとは誰が言ったのだ。全部嘘っぱちだ。生きてい ることが、私も含め、これだけ惨たらしい者が、どうして尊いと言えるだろう。全部 嘘だ。きれいごとなのだ。
造物主、神などもありはしないのだ。全能の、全知の神が、これほど悪意じみた蜘 蛛のような私の姿や、この狂い回り汚物を垂れ流す、生まれてから死ぬまで、治療の 見込みも無く生き続けねばならない生命など、造り給う筈はない。もし在しますとし たら、私は神へ告訴状を突きつけなければ納得ができないーーー!)」(P.154)
(c)<ひとり暮らしの時期>
<障害と受容>著者は、文通していた善意銀行所長(ボランティア活動)の小平氏 の助力を得て、(ボランティア活動がほとんどない)当時としては、無謀と言える 「自立生活」に突入する(P.184)。
著者は、小平氏の手紙で「妻」(事実としても内縁のようなもの)となっていて、 対等でありたいと考えた(P.188)。
小平氏の生活全般に及ぶ援助を人々は善行と讃えるが、誰にも知られない「妻」で あることに、著者は、小平氏の「善行」を疑い、安住できない(P.192)。しかし、実の 母親、姉が与えたのが座敷牢と蔑視であったのと比べて、赤の他人の小平氏は、事実 として、著者を支え続けた。
しかし、小平氏の立場は、仏教の言葉で「白色白光黄色黄光」という、「場に応じ た救い」で、「夫と呼びたければ呼ばせ、妻と名乗りたくばそのままに」でもあった (P.205)。
著者は、自暴自棄とも言える、あがきを続ける。
「既に中年になろうとしながら、まだ成長していなかった私の心、辛酸を舐め尽く しながら、しかも生まれたとき、甘やかされ育った我が侭さは、無言で痛みに耐える 静けさを知らず、ひたすら頭撫でて欲しい、甘えに飢えた少女の、哭いて求める魂の 呻きを続けていたが、そこまで徹底して受け容れてくれるほど、人は神ではなかった」 (P.218)
<稼得能力:所得保障>小平氏と縁を切ったアパート暮らしを始める(P.220)。
介護者も自分で探す。最初は生活保護。その認定通知には「身体廃疾により、生活 不能力と認む」とあり、著者は、いずれ返上することを自らに誓う(P.222)。
以前から得ていた、外国資本の身障絵画団体の奨学金が増額されて生活が落ち着く までの様子はすさまじい(P.225)。
生活が小康を得ても、著者は、重度の障害を持つ著者に対する周囲の捉え方に安住 できず、あがくことを重ねる(P.243)。

(8) 前記(5)の「いやになる」感想に、終章で著者自身が結論に辿り着く。
(P.251)「徹底して味わい続けた醜女の哀しみ、だが自身の中に、(迫害者と)同じ 感情が無かったと、片時でも言えただろうか。美を欲し選ぶのは自身もだった。人間 と言わず、仮に子犬一匹(を)抱こうときでさえ、より愛らしいものをまず腕は選ぶ。 それは(障害を持つ身である)「己れ」を見据えながら、なお決して醜さ、それも表 面の美醜を、意志以前に、絶対的瞬間、受け入れられないという極を見せつけた。
いま、迫害者、無理解者達を私は愛していた。皆、泣きたいまでいとおしい、私自 身の片割れであった。」

(9) そして著者は、終章「弥勒の黄昏(たそがれ)」の中で、人間の業[「精神の汚 れ」(P.252)]が、悟りに到達するのを、弥勒が「五十六億七千万年の発願」を立て たという、その満願に当たる日が、明日と言わずとも近い将来であることを願う、と 書いている(P.252)。

(10) そして、この本の発行[1977年(昭和52年)]後21年を経て、[1976年(昭和 51年)生まれの]乙武洋タダ(おとたけ、ひろただ)氏の「五体不満足」が出版され る(講談社、1998年)。
「母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」 だった。生後1か月、ようやくボクは「誕生」した」(まえがき、P.4)
(心のバリアフリー)「ボクは日頃から、「環境さえ整っていれば、ボクのような 体の不自由な障害者は、障害者でなくなる」と考えている」(P.259)。「障害者が 「かわいそう」に見えてしまうのも、物理的な壁による「できないこと」が多いため だ」(P.260)。「障害者を苦しめている物理的な壁を取り除くには、何が必要なのだ ろうか。ボクは、心の壁を取り除くことが、何より大切だと感じる。(中略)では、 障害者に対する理解・配慮はどこから生まれてくるのだろうか。ボクは、「慣れ」と いう部分に注目している」(P.261)。「これは、障害者に限っての話ではない。(中略) 障害者や外国人といったマイノリティ(少数者)への理解については、「慣れ」とい う問題が大きな比重を占めている」(P.262)。「障害者を見れば「どうして?」との 疑問を抱くが、その疑問が解消されれば、分け隔てなく接してくれる。(中略)その 疑問を心に残したままにすることが、障害者に対する「心の壁」となってしまう」 (P.263)。
「「慣れ」と同時に、障害者に対する心のバリアを取り除くために必要なのは、他 人を認める心だと思う。(中略)さまざまな民族がひとつの国家で生活をしている欧 米では、他人と違うといった理由で否定をしていたら、きりがない」(P.265)。「そ して、他人を認める心の原点は、自分を大切にすることだ」(P.266)。「障害者が暮 らしやすいバリアフリー社会を創るためだけではない。すべての人が、与えられた命 を無駄にすることなく、その命を最大限に活かして生きていくためにも、自分らしさ を失わず、自分に誇りを持って生きていくことを望みたい」(P.267)。

<参考:目次>

『神への告発』(箙 田鶴子[えびら、たづこ]、筑摩書房、1977年)

第1部
1.不幸な出生/2.父母の相克/3.母の変身/4.九州への転居/5.5か月の孤独/6.離散する家族/7.他人の家へ/8.母の誇り/9.姉夫婦との確執/10.姉に追われて

第2部
1.入寮者たち/2.逆光の絵画/3.新しい寮長/4.純子の愛/5.裏切られた人間寮長/6.神への呪い/7.純子との別れ

第3部
1.初めての恋/2.小平との交際/3.自立を求めて/4.愛憎の日々/5.自殺行

第4部
1.再出発/2.つかの間の平和/3.満たされぬ愛/4.弥勒の黄昏

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