20世紀の音楽について 〜個人的覚書〜 第5夜:20世紀後半

1998年 9月20日 作成
2007年 8月15日 章立てを分割。関連CDリンク追加(作業中)


−目次−

  • 第1夜:プロローグ〜20世紀音楽のオーバービュー
  • 第2夜:新ウィーン楽派
  • 第3夜:20世紀初頭のパリ、2つの大戦間のヨーロッパ
  • 第4夜:20世紀前半の残り
  • 第5夜:20世紀後半

    必要に応じて20世紀音楽年表もご参照下さい。(新しいウィンドウに開きます)

  • (注)推薦盤として取り上げているものは、私が聴いてよかったと思うもの、一般に評判の良いもの、聴いてみたいと思っているもの、直接音で聴いてみる手段を見つけたものなどです。私自身も聴いていないものもあり、聴いた上での評価については責任を負いかねますので、自己責任でお願いします。また、CD/DVDの発売・廃盤は日常茶飯事なので、情報が古くなった場合はご容赦下さい(必要なら、下段のリンクからご自分で検索下さい)。


    第5夜:20世紀後半

     いよいよ怒涛の20世紀後半に突入です。でも、ハチャメチャの前衛音楽は聴いていませんので、少し軟弱なつまみ食いかもしれません。善し悪しが言えるほど聴き込んでいませんので、まあ、比較的有名なところをさらっとなでる程度です、あしからず。

    5.1 「同時代」感覚が持てますか?
     20世紀後半は、我々の時代です。でも、そこに「同時代」の共感を感じる作曲家・作品はいたでしょうか。
     20世紀の最先端の音楽が好きになれないのは、それがごく普通の聴衆に聴かれるためではなく、新しい手法を試すため、ギョウカイを「あっ」と言わせるため、作曲家や評論家も含めた仲間内のために作られることが多いからだと思います。
     でも、一方では、人にそっぽを向かれても、自分の信ずる新しいものにチャレンジし続けるという険しい道は、世間の顔色を気にしながら迎合したものを作る、という安易かつコマーシャル志向に比べて、はるかに立派なものと思います。従って、仲間受けをねらったものではない、本当の「新しい可能性の追究」には、正当な評価と拍手を送るべきでしょう。
     繰り返しますが、まずは、しっかり自分の耳で聴いてみることが大切でしょう。

    5.2 20世紀後半の本流
     メシアンとその弟子たちによる、ヴェーベルンの再評価から出発した「トータル・セリー」(セリエ・アンテグラル)という手法が保守本流のようです。(「トータル・セリー」(セリエ・アンテグラル)とは、シェーンベルクが始めた十二音技法を、音の高さだけでなく、強弱、音色など、音に係わるいろいろな要素を含めた音列(セリー)として取り扱い、その展開・操作によって曲を構成するもの)

    (1)オリヴィエ・メシアン(Messiaen、1908〜1992、フランス)
     戦後音楽を語る上で、欠くことのできない大先生。熱心なカトリック信者、和音を聴くと色が見える、という特殊才能を持った方(ある時自作のリハーサルに立会い、指揮者から「何か注文は?」と訊かれたところ、「あそこはもっとオレンジがかった紫の方がよい」といった指摘があったとか。ちょっと神がかりですね)。鳥の声の採譜も行っています。
     代表作はいろいろあるようですが、第2次大戦中に捕虜収容所で作った「時の終わりのための四重奏曲」(1941、Vn.Vc.Cla.P)、ピアノやオンド・マルトノ(電子楽器)も含む大編成の「トゥランガリラ交響曲」(1948)が入門用としてお薦め。でも、これだと20世紀前半だ!

    メシアン/トゥランガリラ交響曲(小澤征爾/トロント響)(\1,134)
     メシアンの代表作。1967年の若き日のオザワの録音です。

    メシアン/トゥランガリラ交響曲(ケント・ナガノ/ベルリン・フィル)(\1,050)
     演奏内容、価格からすると、これが最右翼でしょうか。

    メシアン/トゥランガリラ交響曲(チョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ管)(\1,804)
     メシアン自身が録音に立ち会ったそうです。

    メシアン/トゥランガリラ交響曲、世の終わりのための四重奏曲(ラトル/バーミンガム市響、ベロフ(p)、他)(\1,291)
     代表作2曲が入っています。

    メシアン/7つの俳諧、鳥たちの目覚め、等(ブーレーズ/クリーブランド管)(\1,804)
     メシアンが鳥の声を音楽に取り込んでいることは有名です。1962年に来日した折、日本の印象を「7つの俳諧」("Sept Haikai")というピアノとオーケストラの曲にまとめています。この曲は「1.導入部」「2.奈良公園と石灯籠」「3.山中湖−カデンツァ」「4.雅楽」「5.宮島と海中の鳥居」「6.軽井沢の鳥たち」「7.コーダ」の7曲からなっていますが、第6曲目「軽井沢の鳥たち」には、ご存知「ホーホケキョ」が出てきます。

    (2)ピエール・ブーレーズ(Boulez、1925〜 、フランス)
     メシアンの弟子。言わずと知れた現代音楽の第一人者で、指揮者としても活躍していますね。代表作は「ル・マルトー・サン・メートル」(=主人のない槌、1954。ソプラノと室内楽)と言われていますが、私にはどこがありがたいのかよくわかりません。オケの曲では、「フィギュール・ドゥブル・プリスム」(1957/1968)、「リチュエル(ブルーノ・マデルナ追悼のための)」(1975)など。やはり、よくわかりません。
     CDのほとんどが自作自演です。他の現代作曲家の作品の指揮も積極的に行っています。

    (3)カールハインツ・シュトックハウゼン(Stockhausen、1928〜 、ドイツ)
     この方もメシアンの弟子で現代音楽の代表選手です。私が聴いたことがあるのは「グルッペン」(1957)。これは、3組の指揮者とオーケストラが、前・右・左にいて、勝手にあるいは呼応しあって演奏する実験的な曲。アバドの指揮したCDが出ています。
     この方、その後電子音楽などに走って、人気はいまいちのようです。

    (4)ルイジ・ノーノ(Nono、1924〜1990、イタリア)
     メシアンの弟子。この方は、残念ながら、聴いていません。「力と光の波にように」(1972)などが代表作のようです。(ホフナング音楽祭に「ダルムシュタットの理髪師」の作曲家「ヤーヤ」という架空の作曲家が登場しますが、この「ノーノ」のパロディです。ダルムシュタットは、現代音楽祭が行われる町)

    5.3 ヨーロッパ全般
     メシアンたちとは別に、独立で、あるいは隔離された東側世界で、セリー音楽とは別の、新しい試みが進められました。1960年代は、「ポスト・セリー」などといわれるようです。

    (1)ジェルジ・リゲティ(Ligeti、1923〜2006、ハンガリー)
     ブーレーズと並ぶ、現役の大御所といったところでしょうか。ハンガリー出身ですが、56年のハンガリー動乱で西側に亡命しました。60年代の「トーンクラスター」(直訳すると音の房という、半音以下の間隔で積み重ねられた音の塊)を用いた過激な作品から、現在に至るまで、創作活動が続いています。「骨のある現代音楽家」として人気があります。

    ・「アトモスフェール」(1961):リゲティといえばまずこれ。映画「2001年宇宙の旅」の最後の方で、宇宙船から逃れて混沌とした世界を通り抜けるあたりに使われました。
    ・「アヴァンチュール」(1962):3人の歌手と7人の器楽奏者がわめいたりどなったり・・・。
    ・チェロ協奏曲(1966):1つの音から始まり、トーンクラスターに発展していく第1楽章、音が飛び跳ねる第2楽章から成ります。結構過激。
    ・「ラミフィケーションズ」(1968〜1969):弦楽合奏。「ミクロ・ポリフォニー」という、音がごちゃごちゃ並んだような書法。
    ・ピアノ協奏曲(1985〜1988):バルトーク風のピアノ、オカリナやスライドホイッスル(おもちゃ?)の怪しげな音程(自然ハーモニクスだそうですが)が特徴。
    ・ヴァイオリン協奏曲(1990/1992):Vnという楽器の特質か、音楽が復活した、という安堵感が持てます。でも、ホルンや金管やオカリナ?による自然ハーモニクス(調子っぱずれ)にはちょっと気が狂いそうになります。

    リゲティ/ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲(ブーレーズ/アンサンブル・アンテルコンタンポラン)(\1,804)
     リゲティの入門はこれでしょうか。

    リゲティ/アトモスフェール、アヴァンチュール、永遠の光、室内協奏曲(ブーレーズ/アンサンブル・アンテルコンタンポラン)(\1,804)
     これもリゲティの基本アイテムでしょうか。

    (2)ルチアーノ・ベリオ(Berio、1925〜2003、イタリア)
     イタリアでは、オペラの伝統は無視できない、と人の声にこだわっています。
    ・「シンフォニア」(1968):ベリオといえばまずこれ。人の声とオーケストラによる作品。英語のテキストを、読み上げるような、歌うような。全5部から成り、第2部は暗殺された黒人指導者「マーティン・ルーサー・キング」の発音に基づくもの、第3部はマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章(スケルツォ楽章)を中心に、いろいろな既存の曲が引用として登場します。いくつ聴き分けられますか。

    ベリオ/シンフォニア(シャイー/コンセルトヘボウ)(\1,804)

    ベリオ/セクエンツァ (3枚組 \2,513)
     様々な楽器のための独奏曲。No.1〜14全曲は、このCDが初のようです。

    (3)ヴィトルド・ルトスワフスキ(Lutoslawski、1913〜1995、ポーランド)
     戦後のポーランドを代表する作曲家。「管弦楽のための協奏曲」(1954)が代表作です。チェロ協奏曲(1970)は、ロストロポーヴィチのために作曲。

    ルトスワフスキ/管弦楽のための協奏曲(ヴィト/ポーランド国立放送響) (Naxos \898)
     Naxosから出ているルトスワフスキの作品集の1枚。他にNaxosから交響曲全曲が出ています。

    ルトスワフスキ/管弦楽のための協奏曲、チェロ協奏曲、交響曲No.3、他(ルトスワフスキ/ベルリン・フィル、他) (2枚組 \1,804)
     フィリップスから出ているルトスワフスキの自作自演集。主要な曲が含まれています。

    ルトスワフスキ/チェロ協奏曲(ヴァインマイスター(Vc)、シフ/シュトゥットガルト放送響) (\583)
     ロストロポーヴィチのために作曲されたチェロ協奏曲。

    (4)クシシトフ・ペンデレツキ(Penderecki、1933〜 、ポーランド)
     現役でも活躍中のポーランドの作曲家。
    ・「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1960):大昔に聴いて、なんだこりゃ!と思った印象があります。弦楽合奏でトーンクラスターする過激な曲で、被爆者をして「B29の爆音が聞こえてくる」と言わしめたとか(まさしくそんな音)。何度も聴く曲ではありませんが、一度は聴くべき曲でしょう(特に日本人は)。
    ・ヴァイオリン協奏曲(1976):結構まともな曲です。70年代になって音楽が戻ってきた!(新ロマン主義、と呼ぶようです。前衛からの退行、という人もいます・・・)
     また、ごく最近ヴァイオリン協奏曲第2番を作曲したようで、ムターのVn、作曲者の指揮でCDが出ています。(私はまだ聴いていませんが)
    ・フルート協奏曲(1992):ランパルのフルート、作曲者の指揮で1993年に初演したのを、偶然FM放送で聴きました。これも結構まともな曲でした。

    ペンデレツキ/広島の犠牲者に捧げる哀歌、他(ペンデレツキ/ポーランド国立放送響) (2枚組 \1,291)
     代表作「広島の犠牲者に捧げる哀歌」その他が入っています。
     自作自演以外では、ヴィト指揮/ポーランド国立放送響(Naxos \898)などがあります。

    ペンデレツキ/ルカ受難曲(ペンデレツキ/ポーランド国立放送響) (タワレコ特別企画 \1,000)
     この曲は1966年に西ドイツ・フライブルクの大聖堂(ミュンスター)創建700周年のために作曲され、ペンデレツキは「20世紀におけるキリストの受難と死は、アウシュビッツにおける受難と死に重ね合わされる」と語っています。
     バッハが「マタイ」と「ヨハネ」の2つの受難曲を作っていることから、ペンデレツキはそれを避けて「ルカ」を選んだそうです。また、バッハはプロテスタントであったためテキストはドイツ語でしたが、ポーランドはカトリックであるため、ペンデレツキはラテン語のテキストです。ただし、「ルカ」といいながら、かなりの削除と他の福音書の挿入などもあり、やはり歌詞対訳があった方がよいと思います。
     このCDは、作曲者自身が1989年にポーランドで録音したもの。タワレコ特別企画盤で歌詞対訳付。
     自作自演以外では、ヴィト指揮/ワルシャワ国立フィル(Naxos \898)などがあります。

    ペンデレツキ/ポーランド・レクイエム(ペンデレツキ/北ドイツ放送響) (タワレコ特別企画 2枚組 \1,500)
     この曲の第1部は、1980年にポーランド自主管理労組「連帯」のワレサ委員長からの依頼で作曲(ワレサ氏はポーランドの自由化を推進し、その後社会主義崩壊後の1990〜1995年にポーランド大統領。しかし、この作曲当時は反体制派)。第2部は社会主義ポーランドで信仰を守り尊敬されていたヴィシンスキ枢機卿追悼のために1981年に作曲。第3部は、コルベ神父(1941年にアウシュビッツで自ら進んで死の道を選んだそうです)が聖人に列せられたのを記念して1982年に作曲。そして、1984年に1944年のワルシャワ蜂起に捧げられた曲などを追加して完成し、同年にロストロポーヴィチの指揮でシュトゥットガルトで初演されました。
     この曲の成立過程と、1989年の社会主義体制の崩壊・ベルリンの壁崩壊以前に、このような曲が作られ演奏されていたことは、20世紀の歴史そのものという気がします。
     このCDは、作曲者自身が1989年8月にルツェルン音楽祭でライブ録音(ベルリンの壁崩壊は1989年11月です)。タワレコ特別企画盤で歌詞対訳付(テキストは、ラテン語に、一部ポーランド語)。
     自作自演以外では、ヴィト指揮/ワルシャワ国立フィル(Naxos 2枚組 \1,726)などがあります。

    ペンデレツキ、ヒンデミット/Vn.協奏曲(スターン(Vn)、スクロヴァチェフスキー/ミネソタ管、他)(\1,134)
     ペンデレツキとヒンデミットのVn.協奏曲。

    ペンデレツキ/Vn.協奏曲No.2、Vn.ソナタ (ムター(Vn)、ペンデレツキ/ロンドン響、他)(\1,804)
     1995年作曲のVn.協奏曲第2番。

    (5)ヘンリク・グレツキ(Gorecki:1933〜 、ポーランド)
    ・交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(1976):数年前に、空前のヒットとなった現代音楽。3つの楽章から成り、各々ソプラノが悲しみの歌を歌います。静かな、感動的な曲です。

    グレツキ/交響曲第3番(ヴィト指揮/ポーランド国立放送響) (Naxos \898)
     やさしい「癒し系」の演奏。切々と胸を打ちます。

    (6)アンリ・デュティユー(Dutilleux 1916〜 、フランス)
     フランス流に曖昧模糊とした、刺激少なく、とらえどころのない作風。移ろい行く響きを、瞬間瞬間で楽しむ聴き方をする作曲家なのでしょうか。
    ・メタボール(1964):「変化」とか昆虫の「変態」の意味のオケ曲。まあ代表作でしょう。
    ・チェロ協奏曲「遥かな遠い国・・・」(1970):ロストロポーヴィチのために作曲。題名が素敵ですが、曲はVcソロにグリッサンドがあったり、焦点が定まらないない感じ。
    ・ヴァイオリン協奏曲「夢の樹」(1985):アイザック・スターンのために作曲。これも、題名が素敵。同様にぐにょぐにょしてよくわからない。

    デュティユー/交響曲No.1、チェロ協奏曲「遥かな遠い国」(ハンス・グラーフ/ボルドー・アキテーヌ国立管)(\583)
    デュティユー/交響曲No.2、メタボール、他(ハンス・グラーフ/ボルドー・アキテーヌ国立管)(\583)
    デュティユー/ヴァイオリン協奏曲「夢の樹」、「瞬間の神秘」他(ハンス・グラーフ/ボルドー・アキテーヌ国立管)(\583)
     デュティユーの代表作が、ドイツの優秀演奏・録音の廉価盤レーベル ArteNova から出ています。

    (7)ユン・イサン(Yun、1917〜1995、韓国→ドイツ)
     生まれたときは日本領土で、大阪・東京で勉強。戦後ドイツに住みますが、現韓国大統領の金大中氏と同じように、ベルリンからKCIAに拉致され、韓国で死刑を宣告された経歴のある方。強い意志の感じられる充実した響きで、聴き直してあらためて気に入ってしまいました。
    ・交響曲:5曲ほど作っているはず。私が聴いたことのあるのは第3番(1985)。どっしりした曲で、東洋風音程ずらしや、グリッサンドもありますが、結構しっくりきます。
    ・ヴァイオリン協奏曲(1981):やはり、充実した響き。緩徐楽章は美しい。
    ・オーボエのための「ピリ」(1971):いつかトレーナの安原理喜先生のお話に出てきて、聴いてみたいと思っていますがまだ聴いていません。(獄中で作曲したとか)

     没後、北朝鮮系であったことから、韓国でもヨーロッパでも、あまり演奏されなくなってしまったようです。CDもほとんど出ていません。
     もっと演奏されて良い作曲家だと思うのですが・・・。

    5.4 ロシア、ソビエト
    (1)アルフレード・シュニトケ(Schnittke、1934〜1998、ロシア)
     つい先日、亡くなったようです。「多様式」と呼ばれる作風で、いろんな要素が混じりあい、引用が得意で、どこまでまじめでどこからがパロディかよくわかりません。ヴァイオリニストのギドン・クレーメルや、ヴィオラのバシュメットとの共同作業が多いようです。
    「モーツァルト・ア・ラ・ハイドン」(1977)
     弦楽合奏曲。チューニングか個人練習風に始まり、モーツァルト風引用を違った調で鳴らす・・・。指揮者の指揮棒をたたく音でおしまい。どうやら、ハイドンの「告別」交響曲風に、ステージ上から演奏者が1人ずつ去って行って、最後は指揮者1人になるという曲のようです。それで題名が「ハイドン風モーツァルト」。
     しかし、この曲の原題は " Moz-Art a la Haydn " 。モーツァルトにハイフンが入ります。辞書で調べたら、「 moz 」という単語には、オーストラリアの俗語で「呪い」「ジンクス」というような意味があるらしい。つまり " Moz-Art a la Haydn " というと、こじつけで「ハイドン風の(うまく行かないジンクスのある)芸術」というようなタイトルになるようです。シュニトケがそう意図したのかは不明ですが。
     ちなみに、シュニトケには、 " (K)ein Sommernachtstraum for symphony orchestra " (1985) という曲があります。「真夏の夜の夢、でなくて」と日本語タイトルが付いているようですが、このようなタイトルからしてパロディというのがお好きなようです。
    交響曲:8曲作っています。第3番(1981)は30人以上のドイツ系作曲家の引用とか。

    シュニトケ/交響曲No.1〜4(ロジェストヴェンスキー/ソヴィエト文化省管)(4枚組、\2,119)
     1972年の第1番から1984年の第4番まで。旧ソヴィエト時代の演奏。

    シュニトケ/交響曲No.5(合奏協奏曲No.4)(ヤルヴィ/エーテボリ管)(\2,119)
     1988年の作品。

    シュニトケ/交響曲No.6/7(尾高/BBCウェールズ管)(\2,119)
     1992年、1993年の作品。

    シュニトケ/交響曲No.8(ポリャンスキー/ロシア国立管)(\2,119)
     1994年の作品。

    シュニトケ/合奏協奏曲No.1、モーツァルト・ア・ラ・ハイドン(クレーメル(Vn))(\1,291)
     クレーメルは、シュニトケを積極的に取り上げています。

    シュニトケ/ヴィオラ協奏曲、他(今井信子(Va)/マルキス/マルモ管)(\2,119)
     比較的良く演奏されるヴィオラ協奏曲。バシュメット(Va)の演奏もあります。この他に、ヴァイオリンやチェロの協奏曲もあります。

    シュニトケ/オラトリオ「長崎」、交響曲第0番(ヒューズ/ケープ・フィル)(\2,119)
     ペンデレツキに「ヒロシマ」があり、ルカ受難曲がアウシュビッツだとすると、無いのは長崎。と思っていたら、何とシュニトケが最初期に作ったものがありました。ただし、このCD、南アフリカ唯一(?)のオケの演奏で、演奏レベルはイマイチとのことだし、輸入盤でロシア語対訳もないとのことなので、私はパスして聴いていません。是非!という方は挑戦してみて下さい。(ナクソス・ミュージック・ライブラリーでは聴けるようです)

    (2)アルヴォ・ペルト(Part、1935〜 、エストニア)
     バルト三国はエストニア出身の作曲家。クレーメルやジャズピアニストのキース・ジャレット、作曲家シュニトケなどが共演して話題を呼んだ「フラトレス」(1977)、「タブラ・ラサ」というのが有名で、ティンティナブリ様式というのが特徴です(鈴鳴らし、というような意味で、聖歌風の単純リズムの多声部旋律が簡素な和声を一定リズムで響かせていく)。その他、「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」(1976)、「ミゼレーレ」(1989)などがあり、いずれも、静かな、しみいるような曲です。

    ペルト/フラトレス(兄弟)、ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌(ベネデク/ハンガリー国立歌劇場管)(Naxos \898)
     ペルトのティンティナブリ様式の入門に最適。「フラトレス」は、同じ曲をいろいろな編成で演奏している。「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」は、弦楽器の聖歌風旋律に、ときどき弔いの鐘が鳴る。

    ペルト/タブラ・ラサ、交響曲第3番、他(湯浅卓雄/アルスター管)(Naxos \898)
     ペルトの代表作の「タブラ・ラサ」。安くて内容も良いNaxos盤。

    (3)ソフィア・グバイドゥーリナ(Gubaidulina、1931〜 、ロシア)
     タタール人の血を引く女流作曲家。あまり聴いていません。

    5.5 アメリカ
    (1)ジョン・ケージ(Cage、1912〜1992)
     名前やアイディアばかりが有名ですが、私は曲をほとんど聴いていません。

    (2)スティーブ・ライヒ(またはライク)(Reich、1936〜)
     アフリカやインドやインドネシアのガムラン音楽の影響もあり、同じことを延々と繰り返しながら、微妙なズレを作っていく、という「ミニマル・ミュージック」で有名。私はあまりまじめに聴き続けたことはありませんが、「ドラミング」(1971)、「木片のための音楽」(1973)など。ポピュラーやロック系の音楽への影響も大きいようです。

    5.6 日本
     日本の作曲家にも触れておく必要があるでしょう。でも、正直言ってあまり聴いていませんし、横フィルでも定演で日本人の作品をとり上げたことは一度もありません。どうしてでしょうか?

    (1)黛 敏郎(1929〜1997)
     世界的に通用する作曲家として、まず挙げておかなければいけないでしょう。

    ・涅槃交響曲(1958):代表作です。日本人としてのアイデンティティを示そうというアイディアは良いのですが、鐘の音や、声明(しょうみょう)というのか読経というのか、本物の音を知っていると、ちょっと違うよな、という気がしてしまいます。仏教の具体的な音と結び付けずに、純粋に「音楽」として聴け、ということなのでしょうか。いずれにせよ、世界に向けての日本の響き、ということで、好き嫌いは別として、一度は聴いておきましょう。
    ・曼陀羅交響曲(1960):涅槃交響曲に比べるとマイナーな存在ですが、抽象的な(つまり具体的な「日本風」の押し売りがない)分だけ、逆に変な違和感なく聴けるような気がします。

    黛 敏郎/涅槃交響曲(岩城宏之/都響)(\1,050)
     初演者でもあり、何度も録音している岩城氏による1995年の新しい録音。
    日本人作品のCDも、いろいろな種類のものがずいぶん安く手に入るようになりました。

    黛 敏郎/曼荼羅交響曲(岩城宏之/N響)(\1,050)
     指揮者・オケとも初演メンバー。1965年のちょっと古い録音。(昭和40年度文化庁芸術祭奨励賞とレコード・アカデミー賞を受賞)

    黛 敏郎/曼荼羅交響曲(湯浅卓雄/ニュージーランド響)(Naxos \898)
     Naxosによる「日本作曲家選輯」の1枚。

    (2)武満 徹(1930〜1996)
     最も世界的な日本人作曲家でしょう。映画音楽もいろいろ作っています。
    ・弦楽のためのレクイエム(1957):ストラヴィンスキーが褒めたという出世作。
    ・ノーヴェンバー・ステップス(1967):代表作で、ニューヨーク・フィルの委嘱作品。独奏琵琶と尺八が、ガイジンには受けたのでしょうが、私にはピンと来ないのは、日本の伝統音楽を知らないからなのでしょうか。この曲も含めて、どこまで「作曲」で、どこからが「(即興)演奏」の境界がよくわかりません。楽譜って、どう書いてあるのでしょうか。
    ・「死んだ男の残したものは」(1970頃):谷川俊太郎の詩に作曲した、反戦フォークソング。
    ・「ファミリー・トゥリー(系図)」(1992):語りとオケの曲。詩は谷川俊太郎。この曲をはじめとして、晩年は、叙情的で繊細な音楽を書いていました。
    ・その他、「エクリプス(蝕)」(1966)、「夢窓」(1985)など多数。

     武満徹のCDは、本当に良いものがたくさん出回るようになり、何から聴いてよいか迷うほどです。「武満徹 作曲家・人と作品」(楢崎 洋子:著、音楽之友社)に伝記、ジャンルごとの作品、聴き所などとともに、全作品リストが載っていますので、興味があれば参照してみて下さい。

    武満 徹/弦楽のためのレクイエム、ノヴェンバー・ステップス、遠い呼び声の彼方へ、ヴィジョンズ (若杉弘/都響)(\1,050)
     オーケストラ曲の入門編として、弦レク、ノヴェンバー・ステップス。

    武満 徹/ジェモー、夢窓、精霊の庭 (若杉弘/都響)(\1,050)

    武満 徹/地平線のドーリア、ソプラノとオーケストラのための「環礁」、鳥は星形の庭に降りる、他 (外山雄三/都響)(\1,050)

    武満 徹/鳥は星形の庭に降りる、精霊の庭、ソリチュード・ソノール(Solitude Sonore)、『3つの映画音楽』、夢の時 (マリン・オールソップ/ボーンマス響) (Naxos \898)
     Naxosによる「日本作曲家選輯」の1枚。映画音楽まで含めて幅広く収録。

    武満 徹/「そして、それが風であることを知った」「雨の樹」「海へ」「巡り〜イサム・ノグチの追憶に」「エア」「雨の呪文」他 (ロバート・エイトケン(Fl)他) (Naxos \898)
     生前作曲者と交流のあったカナダのグループによる、静寂と繊細さに満ちた室内楽。武満の最後の作品となった独奏フルートのための「エア」も収録。Naxosの1枚。

    武満 徹/系図(ファミリー・トゥリー)、三善晃/三つのイメージ』 (岩城宏之/オーケストラ・アンサンブル金沢) (\1,050)
     谷川俊太郎の詩に触発されて作曲した2曲。「系図」は詩の朗読が入ります。
     岩城氏は、この曲をNHK交響楽団と放送初演しており、そのときの「映像詩」が演奏としてはすばらしかったと思います。NHKはDVDにして発売しないのでしょうか。

    武満 徹/混声合唱のための「うた」(小さな空、うたうだけ、明日ハ晴レカナ曇リカナ、○と△の歌、死んだ男の残したものは、他)(ザ・タロー・シンガーズ) (\2,100)
     武満氏自身の作詞によるものも含めた楽しい、でもしみじみとした合唱曲(アカペラです)。武満徹のもうひとつの一面です。
     ちなみに、1962年に作詞・作曲した「小さな空」、1961年の「○と△の歌」の歌詞を下に載せてみます。戦時中の少年時代にシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」を聴いて作曲家になろうと思ったという武満氏の原風景を見るような気がします。
     武満氏の希望で、ポップス歌手の石川セリ(井上陽水氏夫人)が歌ったCDもあります。

    小さな空  武満徹 作詞・作曲

      青空見たら 綿のような雲が
      悲しみをのせて とんでいった

       いたずらがすぎて 叱られて泣いた
       子供の頃を思い出した

      夕空見たら 教会の窓の
      ステンドグラスが 真っ赤に燃えてた

       いたずらがすぎて 叱られて泣いた
       子供の頃を思い出した

      夜空を見たら 小さな星が
      涙のように 光っていた

       いたずらがすぎて 叱られて泣いた
       子供の頃を思い出した

    ○と△の歌(まるとさんかくのうた)  武満徹 作詞・作曲

       地球は丸いぜ りんごは赤いぜ
       砂漠は広いぜ ピラミッドは三角だぜ

       空は青い 海は深い
       地球は丸い 小さな星だぜ

       空は青い 地球は丸い
       海は深い 地球は丸い
       小さな星だぜ

       地球は丸いぜ りんごは赤いぜ
       ロシアはでかいぜ バラライカは三角だぜ


     これをもって、20世紀の音楽の一連のシリーズを終えることにします。ごく限られたレパートリーの範囲内でしか紹介できませんでしたし、私自身も現在進行形ですが、食わず嫌いの20世紀音楽を少しでも聴いてみようかというきっかけにでもなれば、幸いです。


    参考文献


    参考サイト


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