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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2013/3/11 東日本大震災と「滝の音は」

競技かるたでA級になって初めての1997/3/16桑名大会では63分の1という不戦を引き、
2009/3/15桑名大会は「みかきもりの気ままに小倉百人一首」掲載のきっかけをくれました。
桑名大会は何か巡り合わせを感じて好きな大会です。
東日本大震災から2年経った今回の2013/3/10桑名大会は2枚差で1回戦敗退でしたが、
最後の局面は相手陣「たき」、自陣「ちぎりき」「こぬ」でどれも1字決まりの状況で、相手陣の
「たき」が出て相手に守られて終わりました。
残る「ちぎりき」-「こぬ」の運命戦は「ちぎりき」でした。
ちなみに私の席番は17番で、17番といえば「ちはやぶる」です。
帰ってからこの試合のことを思いめぐらせていると、これらの札に定家の想いが込められている
感じがしました。

No. 作者 解釈
55 藤原公任 滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ
滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
⇒ごぉーごぉーと音を轟かせながら滝のように防潮堤を越えた津波が想起される。

契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
⇒陸奥国で発生した869年貞観地震が連想され、「日本三代実録」にはまるで東日本大震災の被害を思わせる貞観地震の光景が記録されている。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
⇒「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに」に行方不明になって帰り来ぬ人を待つ姿がイメージされる。
⇒「焼くや藻塩の身もこがれつつ」に葬送がイメージされる。

ちはやぶる神代も聞かず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
⇒荒々しい龍神や競技かるたマンガ「ちはやふる」が連想される。

[みかきもり]
2011/3/11東日本大震災から2年が経ちました。
いつかは東日本大震災も遠い過去のこととなる時が来るでしょう。
しかし、この東日本大震災の記憶を風化させないために語り継いでいくことが大切だと 「滝の音は」の歌で定家は言っているように思います。
そして百人一首を脈々と次の世代に受け継いでいくことできっとその助けになるからという 定家の声が聞こえてくるようです。

P.S.
奇しくも「滝の音は」「契りきな」の歌番号の和は「来ぬ人を」の歌番号になります。
55 + 42 = 97
また「滝の音は」「契りきな」の歌番号の差は「筑波嶺の」(陽成院)の歌番号になります。
藤原高子(二条后)が貞明(陽成院)を産んだ半年後に貞観地震が発生しました。
55 - 42 = 13

さらに「来ぬ人を」「筑波嶺の」の歌番号の差は「ながらへば」(藤原清輔)の歌番号になります。
97 - 13 = 84
ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
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これから先も生きながらえたなら、今と同じようにこのつらさを懐かしく思い返すのだろうか。
この世をつらいと思った昔を今では恋しく思っているように。
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42 清原元輔 契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは
97 藤原定家 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ
17 在原業平 ちはやぶる神代も聞かず龍田川
からくれなゐに水くくるとは


■参考文献
・百人一首 全訳注       有吉 保       (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)    宮腰 賢、桜井 満   (旺文社)

■参考URL
・Wikipedia ちはやふる

みかきもりの気ままに小倉百人一首
・1. begin「来ぬ人を」~end「百敷や」11. 「ちはやぶる」Part214. 「末の松山」

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