No. | 作者 | 歌 | コメント |
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93 | 源実朝 | 世の中は常にもがもな渚漕ぐ あまの小舟の綱手かなしも |
[みかきもり] 世の中は常にもがもな渚漕ぐ あまの小舟の綱手かなしも この歌からは、寄せては返す時代の波打ち際、平治の乱、治承・寿永の乱(源平の戦い)で 官軍となったり賊軍となったり揺れつつも、天下泰平を願いながら鎌倉幕府を確立した 源頼朝を感じます。 若き日の実朝は由比ヶ浜の漁民の何気ない日常を見ながらその日常を愛しく思い、父の 天下泰平の願いを自らに誓ったのかもしれません。 建保6年(1218年)12月に実朝は武士として初めて右大臣に任じられます。後鳥羽上皇は 昇任を祝う翌年の鶴岡八幡宮拝賀のため、装束や車などを贈ります。 しかしながら、実朝はその鶴岡八幡宮拝賀の退出の最中に公暁に襲われて命を落とします。 享年28歳でした。 歌番号93は、源頼朝が征夷大将軍となり源実朝が生まれた建久3年(1192年)や 源実朝が亡くなったことを契機に朝廷と幕府の緊張が高まって後鳥羽上皇が挙兵した 承久の乱の承久3年(1221年)の「久」「三」と重なります。 実朝が亡くなって460年以上経った江戸時代初期、徳川家康・秀忠・家光までの 武断政治から家綱・綱吉の文治政治となり、綱吉が発布した武家諸法度の第一条から 「弓馬之道」の文字が消えます。家綱・綱吉の「綱」に天下泰平を願った実朝の歌との 縁を感じます。 寛文3年(1663年) 武家諸法度(寛文令)第一条 文武弓馬之道、専可相嗜事 天和3年(1683年) 武家諸法度(天和令)第一条 文武忠孝を励し可正礼儀事 [2019/8/18] 台風10号は、まるで私の予定(鎌倉、京都・五山の送り火)を考慮してくれたかのように、 タイミングや進路を進んでくれました。天気の子が味方をしてくれました(笑) 8/12-8/13は鎌倉を足早に巡って、8/14は予定を繰り上げて朝一番の新幹線ひかり493号で 大阪に帰りました。 ところで、五山の送り火の日の8/16午前中、26年前に買った洗濯機(松下製)がとうとう 壊れました(泣) 昨日新しい洗濯機を発注しましたが、それからあれこれ思いを巡らすと、 日立製の洗濯機で『静御前』があったなあと思いました。 このタイミングで洗濯機が故障したことに、どこか源義経を忘れずにいてほしいという 静御前の想いを感じました。 源義経は平治元年(1159年)生~文治5年(1189年)没で、今年は生誕860年、没後830年 になります。義経は藤沢市の白旗神社に祀られています。 文治2年(1186年)、静御前は鶴岡八幡宮で源頼朝・北条政子の前で、吉野山で別れた 義経を慕う歌を歌いながら舞を披露しました。 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな 頼朝と義経がそれぞれの義のみで行動するのでなく、お互いの信頼関係を築くように コミュニケーションしていたなら、鎌倉幕府はもっと違ったものになったはずだと一番感じて いたのは実朝だったでしょう。 五常の徳目を「仁礼信義智」の順序に置いたことに聖徳太子の慧眼を感じます。 |
■参考文献 ・百人一首 全訳注 有吉 保(講談社学術文庫) ・全訳古語辞典(第二版) 宮腰 賢、桜井 満(旺文社) ・原色小倉百人一首 鈴木 日出男、山口 慎一、依田 泰(文英堂) ・るるぶ鎌倉'20 (JTBパブリッシング) ・最悪の将軍 朝井まかて(集英社) ■参考URL ・Google画像「由比ヶ浜 富士山」 ・Wikipedia 源頼朝 ・Wikipedia 源実朝 ・Wikipedia 後鳥羽天皇 ・Wikipedia 平治の乱 ・Wikipedia 治承・寿永の乱 ・Wikipedia 承久の乱 ・源氏物語便り/綱手かなしも 源氏物語たより265 ・鎌倉彫金工房/鎌倉まつり ・鎌倉手帳(寺社散策)/鶴岡八幡宮 鎌倉の中心鶴岡八幡宮 ・鎌倉手帳(寺社散策)/鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬 ・鎌倉手帳(寺社散策)/河村義秀の逸話 1190年(建久元年)の流鏑馬 ・Wikipedia 徳川家綱 ・Wikipedia 徳川綱吉 ・Wikipedia 文治政治 ・Wikipedia 武家諸法度 ・ようこそ大船庵へ/武家諸法度 ・Wikipedia 源義経 ・Wikipedia 静御前 ・鎌倉手帳(寺社散策)/義経を慕う静の舞 ・平家物語・義経伝説の史跡を巡る/静御前と鎌倉(静の舞・静桜) ・武将ジャパン/源義経31年の儚き生涯をスッキリ解説!兄・頼朝とすれ違い続けた悲しき英雄 みかきもりの気ままに小倉百人一首 ・「世の中よ」 ・五徳大事 ・伊勢神宮式年遷宮