第三章 《分詞構文》という副詞要素、これで不都合はなかった
第2節 講師経験豊かであればこそ…文末の-ed分詞句の場合(2)

   経験豊かな予備校の英語教師に例えば次のように問うてみる。幸いなことに私の周囲にはそんな教師が数多くいるので、実際に問うてみたのである。

   「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という視覚的形態で現われる-ed分詞句を含む英文を無作為に百例集めたとします。その百例の-ed分詞句について、《分詞構文》(副詞要素)と「名詞修飾要素」(形容詞要素)の比率はどのような値(50:50とか、40:60とか)であるという印象をお持ちか、長年の英語指導経験を基にした直感的印象をお聞かせください。(ここでは多少の無理は承知の上で、百例の-ed分詞句はすべて、《分詞構文》(副詞要素)か「名詞修飾要素(名詞句を非制限的に修飾する句)」のいずれかであるという前提を設けた上での問いである。《分詞構文》の「定義」については、第一章第2節及び[1−12]参照。)

   長年、多様な入試問題に接し、入試に出題された英文を精緻に読みつけ、高校生・大学受験生を対象に英語の授業をしている予備校の英語教師は、経験豊かであれば、おそらく、上記の形態の-ed分詞句は概ね《分詞構文》(副詞要素)であるという印象を持っているはずなのである。実際の回答もそうであった。名詞修飾要素である事例もかなり多い気がするとのことで、「65:35」という印象を語ってくれた人も一人いたが、《分詞構文》対「名詞修飾要素」の割合は、印象としては「90:10」位の感じである、という回答がほとんどだった。怪しむべき結果ではない(そうした印象が、客観的な統計上の数値と比べた時、どの程度適切であるかないかは別問題である)。

   こうした印象が抱かれることになる背景を解説してみる。

   「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」が名詞修飾要素であることが余りに頻繁であれば、もはや特例として片付けることは難しくなる。「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」が時には名詞修飾要素として、時には《分詞構文》(副詞要素)として出現するという不安定な現実と真正面から向き合わねばならなくなる。分詞句の「非制限的名詞修飾用法」を早晩意識せねばならなくなるのである。各種学習用文法書を初めとして、種々の受験参考書も頁のいくばくかを割き、この形態の分詞句について記述することを迫られるだろう。幸か不幸か、高校生・大学受験生を指導する過程では、「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という分詞句が全く気まぐれに《分詞構文》(副詞要素)であったり名詞修飾要素であったりするといった、《教師騒がせな揺れ》を体験することはないのである。「非制限的名詞修飾用法」と見なせる分詞句は特例として片付け、英語は理系の科目ではないのだから例外的事例が時に出来してもそのことで原則の妥当性が揺らぐわけのものではない、と説明して格別の不都合は生じない。要するに、「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」が名詞修飾要素である事例は特例として片付けられるほど少ない(と感じられている)のである。つまり、殆ど《揺れ》を感じることがないのである(そして、「カンマ+-ing分詞句+ピリオド」の場合、《揺れ》を感じることは更に稀であろう。わけは後述する)。

   従って、経験豊かな英語教師は「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」は概ね《分詞構文》(副詞要素)であるという《印象》を抱いているはずなのである。はばかりながら経験豊かな英語教師の一人である私の場合も同断であった。この《印象》が、今この瞬間世界を飛び交っている英文の実態をどれ位正確に反映したものであるや否やについては後述する。

   分詞句の「非制限的名詞修飾用法」がどれ位特別な事例と感じられているかは、種々の学習用文法書をひもとけば一目瞭然である。余りにも特殊であると感じられているせいか[3−3]、それについては全く記述が見当たらない。いかなる理由によってなのか、その理由はどうあれ、分詞句の「非制限的名詞修飾用法」は結果として取り上げられることのない範疇、いわば二重に欠落した範疇、欠落が意識されていない「欠落した範疇」なのである([2−10], [2−16]参照)。

  

(第三章 第2節 了)


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© Nojima Akira