第四章 そして不都合が生じた
第3節 欠落した範疇との対峙

   分詞句についてこれまで抱いていた印象とは対照的な事態が生じていた。第三章第2節で述べたように、教師の多くは、相応の理由があって、カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という視覚的形態で現れる-ed分詞句は概ね《分詞構文》という副詞要素であるという《印象》を抱いている。

   このことは実は、「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という-ed分詞句が「非制限的名詞修飾要素」である可能性を排除しているわけではなく――入試英語においても、カンマを伴う-ed分詞句が、その直前に位置する名詞句を説明する形容詞要素である事例は時に体験されることは既に述べた通りだ(第三章第1節参照)――分詞句による名詞修飾の在り方の一つである「非制限的名詞修飾用法」という範疇を(殆ど)意識していないということである。より正確には、分詞の「非制限的名詞修飾用法」という範疇が欠けていることを(殆ど)意識していないということである。分詞句の「非制限的名詞修飾用法」はいわば二重に欠落した範疇、欠落が意識されていない「欠落した範疇」である。こうした事情は一般の英語教師に限ったものではない([1−49]参照)。諸々の学習用文法書中に「分詞の非制限的名詞修飾用法」に関する記述が見当たらないことからも分かるように、「英語の専門家」にも共通する事情である。

   ところが、「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という視覚的形態で現れる-ed分詞句の過半[4−5]は、その直前に位置する名詞句を非制限的に修飾する要素であるというのが言語事実である。こうした判断は単に英文を読むという体験から得られた直感的印象ではなく、未だ不十分であるとはいえ、私が継続中の用例収集の作業経過に基づくものである。そして「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という-ed分詞句の過半が非制限的名詞修飾要素であるという事情は、ある意味で自然の成り行き、カンマを伴う-ed分詞句の特質が生み出す当たり前の事情であることがやがて明らかになるはずである。

   分詞句の非制限的形容詞用法を体験できる事例を特例と見なして処理していたのでは、もはややり過ごせない事態だった。特例が余りにも多数に昇ることになるからである。特例はもはや特別の事例ではなく、普通の事例になってしまっていた。

   カンマがない場合に名詞句を後置修飾する(ただし制限的に)分詞句が、カンマを伴う場合もやはり名詞句を後置修飾する(ただし非制限的に)としたら、その先にはどんな事態が待っているのか。私を含め、経験豊富な教師たちが抱いている、「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という視覚的形態で現れる-ed分詞句は、概ね《分詞構文》という副詞要素であるという《印象》を、今この世界を飛び交っている英文の実態にはそぐわないものとして退けなくてはならなくなる。今やこの《印象》は言語事実に則した次のような判断に置き換えられる必要がある。

   「カンマ+-ed分詞句+ピリオド」という視覚的形態で現れる-ed分詞句の過半は非制限的名詞修飾要素である。

   分詞句の「非制限的名詞修飾用法」が欠落した範疇であることを意識せざるを得なくなるのである。[4−6]

  

(第四章 第3節 了)

(第四章 了)


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© Nojima Akira