『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第七章 開かれた世界から

第6節 何が曖昧なのか

その一 「簡潔さ」と「曖昧さ」


〔注7−58〕

   やはり受け手の視点からのものであるが、CGELの記述とは似て非なるものを紹介しておく。《分詞構文》は日常的音声発話において使用されることが少ないが文字表現においては多用されているという事情から、カンマを伴う分詞句と母節の論理的関係を解読するには文字表記によって与えられる余裕が受け手には必要なのであるといった解釈を導き出し繰り広げている記述を、日本の文法関係書の中に今のところ以下の二例しか見出せていないのはせめてもの幸いである(ただ、「曖昧さ」や解読の必要性を説く記述は枚挙にいとまないほどである(第二章第2節【付言】、及び[2−6], [2−7], [2−8], [2−9]参照))。《分詞構文》を含む文字表現の音読に耳を傾けて見れば、あるいは、《分詞構文》をふんだんにちりばめた英文を書いてみれば、私の言わんとすることに思い及ぶはずである。

この種の構文が比較的文語的といわれるのは当然である。書かれた文では二つの節の関係は視覚によって注意深く吟味することが可能だから、その関係を明示する要素は必ずしも必要でない。一様に分詞句で表わされていても読者はその関係を推論することが可能である。これに対して長つづきしない聴覚に頼る話しことばではそれが困難で、二つの節の関係も明示的な要素、接続詞(when, after, asなど)によって示されることが望ましい。
(大江三郎『講座第五巻』、p.224)(下線は引用者)

重要なことは、幾つかの働きのうちそのどれが顕著であるかを決めるのは、これを受け取る側だということである。この構文が文語で多く使われるという理由も、実はここにあるのではないかと考えられる。書かれた文章は、話された言葉と違って、前後関係を判断する時間的余裕があるからだ。未分化のまま投げ出して、読者に判断を委ねること――これこそ分詞構文の特色であると言えよう。
(田村泰『しなやかな英文法』p. 135)(下線は引用者)

   話者と受け手の視点が渾然としている記述もある。
自由付加詞と文の他の部分との論理的関係[logical relation]は常に明瞭にして明白であるわけでは決してない。このことが、この構造が英語において非常に頻繁に用いられる理由の一つである。というのも、学生にも難なく分かるであろうが、あらゆる種類の漠然として複雑な諸関係を明確化しないままにしておくことが非常に好都合なことはよくあることだからである。
(KRUISINGA & ERADES, An English Grammar, 38-1)
    Kruisinga & Eradesの記述のうち、初めの一文は受け手の視点からのものであろうと推測されるし、「というのも」に続く部分は話者の視点からのものであろうと推測される。ところで、どのような立場にいる人にとっては「あらゆる種類の漠然として複雑な諸関係を明確化しないままにしておくことが非常に好都合」ということになるのか。

(〔注7−58〕 了)

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