西暦2001年を機会に新しい年号を作ろう
日本の年号は、西暦2001年から50年を単位に変えていく制度に変更すると良い

(メールマガジン1999年12月から)

今年、早くも師走。人生において「何をなすべきか」、人生80年のうちの1年、それに見合う程、大切に生きたと言えるかな?

(1) もうすぐ西暦2000年になる。そしてその次は2001年。そこでこれを機会に、日本の年号は、50年をひとつの単位に変えていく制度に変更すると良い。
(2) 今の年号は人の寿命を単位にしているから、昭和は他に比べて長くて64年まであった。しかも切り替えの年は1年に満たない。今の男性の平均余命からすると、平成はあと20年に満たない。
振り返って、明治や大正や、昭和でさえも、いつからいつまでだったのか大方の人の記憶に定かでない。だから暦を数える単位であるはずの年号が、いくらか時間が経てば年号としての機能を果たさなくなる。
(3) 実は、今までも、歴史を捉えるのに使っているのは、縄文、弥生、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸など権力の移動によったり、文化の特徴によったりしている。しかもそれらの時間的位置を示すのには、やはり西暦を使うことになる。
これに従えば、近年は、大日本帝国憲法下の時代と、日本国憲法下の時代に分けることになる。フランスなどでは「第何共和制」といった表現を聞くことがある。
(4) もともとキリスト教圏では、旧約聖書の天地創造を元年とする創世紀元を使っていた。天地創造がいつかわからないと数えられないというのも不思議だ。科学的には天地がいつできたか未だ明らかではない。また天地とは地球か宇宙か?また地球ができたとき未だ人類は存在しないし、人間の歴史も始まっていない。
西暦は525年頃に、イエスの生まれた日を推定して、遡及する形で作ったが、その後の歴史研究で生まれたのは紀元前6−4年頃と考えられているそうだ。つまり西暦元年とは一致していない。
創世紀元から西暦への切り替えは、旧約から新約への重点の置き方の変化かもしれないが、現実的には創世紀元よりも古い中国文明との出会いの結果とのこと。中国文明は天地創造よりも古いというこれも不思議な話。
(5) さて、改めて日本の年号は、50年をひとつの単位に変えていく制度に変更した方が、後々にその時代(時間的区間)を指すのに有効だ。そしてそうでなければ、日本の年号は常にいくらか時間が経てば暦を数える年号としての機能を果たさなくなり消滅する。消滅しても一向に困らないが、そういうものを使って時を数えているのはちょっと空虚だ。諸行無常か?


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