8月15日を「平和を祈念する日」に
祝日法改正の議員立法で

(メールマガジン2000年3月から)

<1> 風化する戦争体験
一昔前は、戦争体験を話す大人が居た。終戦時に小学生10歳で1935年生まれとすると、2000年に65歳だ。20歳だと75歳だ。食べ物が無かったこと、空襲で防空壕に走ったこと、戦地のこと、戦死のこと。それに比べて今が、食べる物のある有難さ、戦死者がいないことの有難さを話す大人が居た。
他方、2000年に20歳の人は、1980年(戦後35年)生まれだ。戦争を実体験として思考できない。観念的に捉える。
以前は例年8月15日はテレビも新聞も特集があったけど、近年のテレビ欄はふつうの日と同じで、これでいいのかな?と思う。
921015 「この子らはいやいや食べて遊んで食べず、空腹や食べられることの有り難さ知らず」

<2> 戦争の実体験を踏まえて国の将来を考えること
日本が戦争をできる国にと自由民主党と民主党の一部は考えている。「国際貢献」という近所付き合いみたいな発想で「血を流す」という。「戦死が1人か2人なら世論の批判を回避できる」と算段している。彼ら自身は前線に立つ気は毛頭無い。
本来、あらゆる方法で戦争を極力回避するのが政治家の仕事だ。
欧州は第1次大戦、第2次大戦の主戦場だった。今は欧州連合で欧州の経済的強化と併せて根底では域内の恒久平和を志向している。(2000年頃には)アメリカでさえ手段としての戦争の発動適否に他の方法によって代えられないか厳密な比較検討をする学問が行われている。
先進7か国中、戦争が好きだと表明する国は無い。真偽、賛否はともかく、今行う戦争は、平和の維持が目的と言う。
人類の進歩は平和を希求する。

<3> 8月15日を「平和を祈念する日」に
戦争体験を継承することは不可欠だ。その方法として取り敢えず記念日にする。
1999年の全国戦没者追悼式(戦没者を追悼し平和を祈念する日)の、首相式辞と天皇の言葉を、この記念日の趣旨にすれば異論はないはずだ。
祝日法の改正で「平和を祈念する日」を制定しよう。
「祝日」というと祝うに引っ掛かる人もいるかもしれないが、韓国、中国などでは昔から祝っている。植民地支配からの解放記念日だから。休日を無闇に増やさずスクラップアンドビルドという人もいるかもしれないが、お盆休みの時期だから休みが増え過ぎと心配することはない。

<4>「みどりの日」は敢えて変えない
「みどりの日」(昭和天皇誕生日)を「昭和の日」に変える法案が近く提出される。
自由党が提唱して公明党が承諾し、民主党の一部も賛成しているとのこと。
なんで今さら名前を変える必要があるのか?
平成に変わったときに前の天皇誕生日は無くなるのだと思っていたら、「みどりの日」(昭和天皇誕生日)を「昭和の日」に変えて残った。これまでのやり方を続けるといずれ天皇誕生日だらけになる。現在の祝日には平成天皇誕生日、文化の日(明治天皇誕生日)、勤労感謝の日(新嘗祭)と元々天皇がらみのが多い。
だいたい昭和はいつから始まったか?昭和は1926年のどこか途中から始まってい る。昭和の天皇は亡くなった年齢からすると明治生まれだろう。だから現在の「みど りの日」である以前の昭和天皇誕生日の4月29日は、明治何年かの出来事だ。個人 が生まれたときと年号はずれがあるから、「昭和の日」という呼称は無理があり時代 区分に矛盾を生じる。
国会ですんなり通るのでなく、議論が行われれば。 なんかおかしいなということに、野党に限らず与党も気づいてほしい。


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