(31)名物駅長の話題を追って・・・


     



●”善一おじいさん” のエピソードを追って・・・更新情報

 ”善一おじいさんは東京駅の初代駅長だった。”
 ”大曲の先で自動車事故で亡くなった・・・・”
 しかし、駅長の制帽と数枚の写真以外の遺品は残っていない。

 2006年は善一おじいさんの生誕150年。
そして善一おじいさんの活躍した東京駅も大改装が始まった。
この機会に、初代東京駅長の生き様を知る得る限りの情報を集めてみたい。そんなことを考え インターネットに、このページを開いた。

そして、このサイトをご覧いただいた方から、大変興味深い情報をいただいた。



その1
 
 このサイトをご覧いただいた方から、大変興味深いメールをいただいた。
 『平野威馬雄さんの著書「銀座物語ー街角のうた」の中の「新橋ステンションの界隈」で、「(前略)・・・この新橋駅に長年つとめていた高橋善一氏の 『旧ノ新橋ステンションのまわり』という随筆には、明治五年の開通当時からの珍しいおはなしが、たっぷり出ている。・・・・(後略)」とのこと、読んでみたいのですがご存知ですか。』

 国立国会図書館で「銀座物語ー街角のうた」の閲覧はできたが、『旧ノ新橋ステンションのまわり』という随筆は見当たらなかった。
 単行本ではなく鉄道関連の雑誌掲載の随筆かも知れない・・と思い、大宅壮一文庫に出向き情報検索を試みたが、あいにくヒットなし。
 ご対応いただいた学芸員の方から貴重な情報をいただいた。
その記事は、サンデー毎日(平成17年17月2日号)の『大正時代の「駅ナカ」です。』  駅長の不慮の事故のあと、未亡人となった妻のはつ子が、周囲の協力で開店した「高橋洋品店」の記事であった。

 ※:《旧ノ新橋ステンションのまわり》は、未だ未確認です。

その2
 
 「祖父のコレクションを整理している中で、「万国郵便連合加盟25年祝典」の6枚の記念葉書セットがあります。その発信人がすべて「高橋善一」とありました。初代東京駅長さんの筆跡でしょうか・・・?」
 早速、送信いただいた写真を持って逓信総合博物館を訪ね、この葉書が 明治35年、帝国ホテルを会場として開催された祝典で、会場から知人に宛てた記念葉書と分かった。同時に、当時新橋駅長であった高橋善一が夫婦で参列していることも確認できた。

その3
 
 「私は 高橋善一の子孫にあたりますが、ネットで先祖のことを詳しく紹介いただき感謝いたします・・・」 で始まる大阪からのメールを受信した。
 メールやFAXをやり取りするなかで、大変なことがわかってきた。メールの主・I さんは、善一の先妻・さくの実家のご子孫と分かった。
 また、メール交信の際、前項(その2)を話題にしたところ、記念葉書の宛名の人が、善一の先妻・さくの従兄弟と判明。その孫にあたるMさんと今もお付き合いがあるという。

 そして2008年3月、お彼岸に芝・青松寺で共同墓参会を行うことに発展し、それが実現した。  
 I さん、善一の情報に詳しい伯父のOさん親子、それに記念葉書の宛名の孫・Mさんと、高橋家関係の6名、都合10名での共同墓参が叶い、そのあと楽しい「善一を語る会」となった。
お蔭様で 「人間・高橋善一」の生き様の一部が見えてきた。

その4

 呼び名は「ぜんいち」か「よしかず」か。
最初に出会った「鉄道先人録」には 高橋善一の呼び名が「よしかず」とあり、違和感があった。家族では 昔から「ぜんいち」と呼ばれている。
 大森の兄の戸籍の除籍簿等を調べ、善一は現・豊橋市の河合善七の二男であること。善一の息子の名が善作であること。・・・がわかった。
やはり「ぜんいち」と呼ばれていたことは間違いなさそうである。

その5

 善一が善七の二男であるのに、善一と名乗るのは少々不自然である。
生まれながらに 高橋家の養子として迎えることになっていたのではないかとも考えていた。そしてその高橋家はどこにあったのか・・・・

 この疑問の一部は 「その3 善一を語る会」で解けた。
以前から関係があったかは不明であるが、善一20歳の明治10年、高橋さくと結婚したとわかった。
 高橋家の先々代は、和歌山藩・御書物方書役で幕末を迎え、後に神戸市、大阪府に移り住んだ。
善一が建立した高橋の養父母の墓は 前述の I 氏が守っていただいている。


その6

 鉄道関連雑誌編集者から、取材を受けて資料を提供。
「評伝・鉄道の人 高橋善一」 掲載に掲載された。
朝日新聞出版発行 「歴史でめぐる 鉄道全路線」第13号・北陸本線 の巻末「評伝・鉄道の人」のコラムに掲載。

その7

 東京駅の大改修工事が進み 平成24年(2012)10月には グランドオープンを迎えます。98年前の東京駅開場と開業の様子を当時の新聞から拾ってみました。
それぞれの紙面で、旧新橋駅からの引越しの場面の描写に親近感を覚えます。
 東京駅開業前夜    東京駅開業の日

その8

 中日新聞のコラム「あいち賢人」の編集者から取材メールあり。
初代名古屋駅長・高橋善一 と題して掲載されました。
名古屋駅の開業当時の珍しい写真が紹介されています。
名古屋駅長を5年勤めたのち、大阪駅長、新橋駅長を経て、初代東京駅長に着任しました。

その9

東京駅歴代駅長会

 平成26年12月20日に開業100周年を迎えるJR東日本東京支社東京駅で、10月30日、歴代の駅長や家族、子孫を招いて、現役の駅長、総括助役らと一堂に会する「東京駅歴代駅長会」が開かれた。 (交通新聞より)

その10

初代駅長の帽子

 平成26年12月16日 日本テレビ 情報ライブ・ミヤネ屋 の取材を受けた。
東京駅100周年を物語る」の一環で、初代東京駅長の家族を尋ねる・・・との設定。 初代駅長・橋善一の曾孫が、初代東京駅長が使っていた制帽を前に、伝え聞いた駅長の逸話などを語った。
 東京駅開業に先立って行われた 東京駅開場の記念日である12月18日に全国放映された。



更に情報を期待

 まだまだ 分からないことが多い。
(1)高橋善一を語る時に必ずと言いてよいほど話題となる、出札掛であった「岡安千代様」のこと、
(2)善一が新橋駅長時代のこと書いたとされる 『旧ノ新橋ステンションのまわり』を見つけて読んでみたい。い。



★本件に関する情報やご意見がありましたら・・・よろしくお願いいたします。
 

                    



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