ソルボンヌ大学のシミアン教授の研究室で同僚だったラバスール氏に連れて行ってもらったベルグソンの家。唖の娘ジャーヌに接する姿が死者との対話を生みました。

ベルグソンの家 「アンリ・ベルグソン、フランスの哲学者、1859-1941年、この家屋に生活し、ここで、1941年1月3日没す」

62年にボーセジュール大通り63番地の四女の家に3ヶ月暮らしましたが、すぐそばの47番地にあるベルグソンの家のことは思い出しませんでした。
ところが偶然通りかかってこの銅板を見つけ、ジャーヌ嬢と再会したのです。

案内板
パリの歴史(以下、読者による翻訳)
ベルクソン(訳注:フランスだとむしろオンリー・ベフグソン的発音)

アンリ・ベルクソンは、ポーランド国籍でロンドンで音楽の教授である父のもとに1859年10月18日にパリで生まれた。1880年(21歳)にFustel de Coulangesクーランジュ(歴史学者)によって、高等師範学校への特待生としての推薦文が教育省に提出された。その文面にはこうある。「1878年(19歳)の入学試験で第3席であった彼は、寄宿舎の費用を自費負担するという条件で仮入学を許されていた。成年に達するとまずフランス国籍を取得した。」云々。かくして、この若き哲学者に大きなキャリアが開けることとなる。 1881年に教授資格、1889年には「意識の直接与件に関する試論」をもって博士号。1897年まで高校の教師、1898 年から 1900年までスコラ哲学で助教授、College de Franceにてギリシャ哲学とラテン語、1904年より亡くなる1941年まで近代哲学の教授をつとめた。

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