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第二話 東京転勤の転機
滋賀県の草津に来て1年経ったころに転機が訪れました。
突然、内勤から営業への異動で東京転勤が決定したのです!正直うれしくてたまりませんでした。
私はそれまで一度も東京へ行ったことが無かったのです。
新幹線に乗車券と特急券があることすら知らない状態でした。初めての東京宿泊出張のときには大荷物過ぎて笑われ、大荷物だったくせにパンツを忘れてコンビニで買い、しかも朝寝坊までする始末。目にする何もかもが新鮮でした。初めてみる東京タワーに感動したのを覚えています。
配属された部署は松下電器の販売会社。出向という形で営業をすることになりました。
当時の松下は家電量販ルートのエアコンシェアが5%ほどしかありませんでした。(今は酸素エアコンのヒットから10%ほどにUPしています!)
担当法人はコジマ、ヤマダ電機、ケーズデンキ。関東のYKKと言えば安売りで全国展開をしはじめた超大型有力法人。量販家電営業の中では伸び盛りの花形法人でした。(当時はまだコジマが売上高日本一でした)
攻め遅れた量販ルートを開拓するために、有力法人とのオリジナル専用機種を立ち上げる必要がありました。専用機種、専用カタログ、専用POP、法人キャンペーンなどなど事業部内で誰もやったことがないことばかり。今までのルーチンな仕事と比べると創造的で非常にスリリングな世界でした。
上司の補佐という形で商談へついていき、資料づくりをしたり、POPづくりをしたりしながら経験を積んでいきました。
上司になったMさんは「君、これやってみいや」とよく仕事を任せてくれ、駄目なところはちゃんと指導してくれました。営業としての押しが強く、プライベートと仕事はきっちりと区別されている方で非常にいい上司部下の関係でした。
ルールで縛りつけるのではなく、信頼して仕事を任せ、自由にやらせることによってやる気が湧いてくるものです。
現地のフィールド営業達から「エアコンのPOPを送ってくれ」「売れ残ったエアコンに処分費をつけてくれ」「売りこしたからすぐに手配してくれ」などなど細かい雑務が中心でしたが、この雑務を丁寧にこなしたことにより、名前と顔を早く覚えてもらえ、自分のファンをつくることに繋がっていきました。
自分への依頼、問い合わせを大切にすること。日ごろから「自分の頼みをちゃんと聞いて動いてくれた」という小さな借りをつくっておけば、いざというときの大きなお願いを聞いてもらえるのです。
環境が変われば人は変わるものです。仕事が楽しくなってきて、週報も張り切って書きました。
エアコン事業部の中で「大堀の週報はおもしろい」と事業部長にも名前を覚えてもらいました。
「大きな仕事が人を大きく育てる。しかし、小さな仕事ができない人に大きな仕事は回ってこない」
営業に出て2年目には、上司抜きで直接法人の本部へ行って商談をするようになりました。
最初は「自分のような若造が父親に近い年の人と商談するなんて無理だ」と思っていましたが、実際にやってみると年齢なんて関係ありませんでした。
相手の要望にスピーディーかつ的確に対応できるかどうか?仕事ができるかどうか?熱意があるかどうか?で得意先からの評価が決まるのです。
上京してからの2年間は会社生活の中で最も成長できた時期でした。
※宇都宮でコジマ商談準備のときに撮った写真。「モー娘。」がキャラクターでした!
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