To Heart 2 Side Story

リオン

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「リオン、その“様”はやめてって、何度言ったらわかてくれるの? 貴女はわたしの家臣でも奴隷でも専属メイドでもないんだから。来栖川グループは株式会社組織なんだから、公器なの。いくら私が創業者一族の出だからって、会社もあなた達も、わたしの私物じゃないのよ」

 綾香は頭痛がするというジェスチャーを見せながらそう言った。それを聞いた浩之は今にも吹き出しそうな表情でこう言った。

「リオン? ああ、そうか。君が」

 綾香からその名前を聞いた青年は、彼女が誰なのかすぐに気づいたようだった。

「綾香....さん、どうして、ここに。それとこの方は?」

 リオンはそう言い返すのが精一杯だった。

「どうしてって、わたしも一応この来栖大の学生よ。居たって不思議じゃないじゃない。それと、彼は....あ、リオンは初めてだったのね。名前を聞けばすぐわかると思うわ。セリオからも聞いていると思うけど、彼が藤田浩之よ」

 藤田浩之。確かにリオンはその名前を知っていた。彼女の姉、マルチが恋をして、そのために心の欠陥がわかったのだ。そのおかげでHMシリーズのアーキテクチャが見直され、その欠陥を克服したリオンが生まれた。リオンは唯一稼働している姉であるセリオからマルチの悲恋のエピソードを聞いていて、その相手であった浩之に大きな興味を抱いていた。

 マルチは失恋して心を壊したのだが、不思議と元凶であった筈の浩之を悪く思う感情は起こらなかった。彼のおかげでHMシリーズのアーキテクチャの欠陥が判明し、拠りよい進化を遂げた自分が生まれた事を知っていたし、浩之がいつかかならずマルチを目覚めさせるために頑張っていることをセリオからしつこいくらいに聞かされていたことが彼女をそう導いたのだろう。ある意味、セリオもマルチとは違った意味で浩之を愛しているように思えたし、話の中でしか知らない浩之に恩人としてのあこがれのような感情さえ持っていた。

「それと、この部屋に来た理由だけど。あなたのお姉さん達に会いに来たのよ」

「え?」

 リオンはその言葉に驚き、もう一度部屋の中に向き直った。リオンは不幸にして稼働を停止している直系の姉であるフィールとマルチが来栖大学のどこかで眠っていることは知っていた。機会があれば、その場所を探して今自分が置かれている恥ずべき立場を詫びようと思っていたのだ。

 ハードウェアが追いつかず一度も目覚めることが無かった故藍原瑞穂の愛娘HMX-11フィール、そして人を愛することを知り、その愛のために心を壊して自ら眠ることを望んだHMX-12マルチ。二人はHMシリーズにとって、絶対に忘れてはならない聖母のような存在なのだ。それがいま、目の前に突然姿を現したのだ。

「右がマルチで、左がフィールよ」

 綾香はそう言いながら、リオンの横を通って部屋の中に入って行った。

「君も会うのは初めてだろう? 今の君の立派な姿を見せてあげると良い。二人ともきっと喜ぶよ」

 浩之はそう言いながら、呆然としているリオンの肩をとんと押した。リオンは人間で言うと放心したような状態で、ふらふらと歩き、マルチのカプセルの前でぺたんと座り込んでしまった。

 透明なカバーのかかったカプセルの中には、自分と同じ緑色の髪をした少女が横たわっていた。そして、左を向いた先には一度も起動することがなかった黒髪の少女が横たわっている。起動出来なかったフィールは無表情だったが、自らの運命を自分で選んだマルチは満足げな微笑みを浮かべて眠っている。

「マルチ姉様、フィール姉様」

 リオンはボロボロと涙を流して泣き始めてしまった。

「ごめんなさい、姉様。わたしは、わたしは....。お二人の夢を潰えさせてしまいました」

 そう言いながら肩を振るわせて泣くリオンを、二人はわけがわからないという表情で見つめた。

「夢を潰えさせたって、どういう事なの?」

 さめざめと泣き続けるリオンが落ち着くのを待って、綾香がそう聞いた。

「HM-16の開発が凍結されてしまって。わたしの開発資源は別の後継モデルに充てられるんです。瑞穂さんが開発した心のアーキテクチャを持つメイドロボは、この先もう開発されないんです」

 それでも、綾香はわけがわからないという表情を見せている。

「凍結って、中止じゃないのよ?」

 綾香はそう言った。

「でも、事実上、わたしは....」

 綾香はそういうリオンに“困ったな”という表情を見せた。

「いくらリオンには内緒だと言っても、長瀬さんにしてはやりすぎよ、これは」

 そう言いながら、フィールのカプセルの横にあった椅子に座った綾香に浩之も「そうだな」と同意した。

「え?」

 リオンはわけがわからないという表情二人を見つめた。綾香は椅子に座って足と腕を組むとこう続けた。

「リオン? あなたの開発は本当は凍結されていないのよ。確かに予算は珊瑚の娘達に大半が割かれたので、ペースは落ちてるけどね。いまの貴方の仕事だって、実際はフィールド・テストなのよ?」

 その後は浩之が続けた。

「姫百合珊瑚が開発したDIAベースのアンドロイドは量産が出来ないんだよ。だから、リオンの開発資源が回されるのは本当に一時的なんだ。彼女が開発したイルファ、ミルファ、シルファの三人をHMX-16ベースの三体のボディに移植して再起動させるまで。
 彼女たちは便宜上はHMX-17型試作機となっているが、彼女たちをベースにHM-17型が量産されることは無い、というか現状では技術的な壁があって出来ないんだよ。彼女たちはビヘイビア・ベースのアーキテクチャのおかげでかなり長時間の教育が必要となる。これは量産機としては致命的な欠陥なんだ。
 まぁ、いずれはモデル・ベースの量産機用基盤の上にDIAをレトロフィットした形のモデルが開発されるのは間違いないと思うけど、多分それは数世代先、HM-21か22の頃の話になるよ」

 浩之はそう言いながら、部屋の奥にある端末の前に座って立ち上げ操作を始めた。浩之はその作業をしながら続けた。

「ただ、一時的にせよ君の開発が予算的に制限されるのは事実なので、それを逆手に取ったユニークなフィールド・テストを君に内緒でしようと云うことになったんだ」

 聡明なリオンはそこまで聞いて、なんとなくスジが読めてきた。

「ということは、ひょっとすると絶望的な状況下に置かれた場合、わたしがどういう行動を取るかを試した、という」

「そ、ほとんどそのとおりよ」

 今度は綾香がそう言った。

「長瀬さんの研究室の整理は別のフィールド・テストも兼ねているんだけどね。でも、最優先は置かれたネガティブな境遇をどう判断し解決して、どうやってポジティブな方向へ持って行いくか、ね。実際に市販された場合には重要な事なのよ。
 特にリオンのように感情が豊かなシステムだと、モデル・ベースの思考とは言っても、その感情の起伏によって人間のように鬱状態に成ることだってあり得るんだから。それで壊れてしまっては元も子もないでしょう? マルチやセリオの頃はそこまで心配する必要は無かったんだけど、それだけリオンの思考システムが高度だと言うことなのよ」

 リオンは微妙な表情で綾香の話を聴いている。人間で言うなら引きつった表情とも言える。話はそこから浩之が継いだ。

「そう言う状況下でどういう気転を効かせるか。君のような高度な感情システムを持つメイドロボだからこそ、必要なテストなんだよ。より強い心を創るためのね。にしても、長瀬さんも、もう少しやり方もあったと思うよ、正直に言って」

 浩之がそこまで言ったところで、部屋の外から声が聞こえた。

「やれやれ、ばれてしまったか」

 声の主は長瀬で、横にはリオンの知らない女性と来栖川芹香が立っていた。

「あら、あかり、それに姉さん、どうしたの? 珍しいじゃない」

 と綾香。リオンはその一言で、その女性がマルチのライヴァルだった神岸あかりだとわかった。

「もう少しわたしの部屋の整理を続けて欲しかったんだが、ばれてしまっては、これで終わりだな。リオン、ご苦労さん。おかげで、良い結果が得られたよ。堂々と胸を張って研究所に帰れるぞ。まぁ、言いたいことは山ほどあるだろうが、苦情は後で聞くよ。それよりも、マルチの定期診断の方が先だ」

 長瀬はそう言うと、浩之が立ち上げた端末に近寄った。

「わたしも久しぶりにマルチちゃんに会いたくなって」

 あかりが綾香にそう言うと、芹香もコクコクと頷いた。二人とも同じ目的のようだった。それを受けて長瀬が振り向いてこう言った。

「最初は芹香くんがたまには会いに行きたいとわたしの所に来てね。で、ここまで案内する途中で神岸さんに会ったというわけなんだ」

 あかりは、長瀬がそう言っている間にマルチのカプセルに近寄り優しい表情で中のマルチを見つめた。だが、その目尻には涙が溜まっている。

「わたしがここに来るのは3回目だけど、マルチちゃん、いつ見ても幸せそうな寝顔よね。でも、早く起こしてあげないと。ねぇ、浩之ちゃん」

「ああ、そうだな。マルチは大切な妹分だから」

 優しい表情で視線を交わす二人。リオンは二人がお互い同様にマルチも深く愛していることがわかった。リオンは胸に熱い物がこみ上げてくるような不思議な感覚を味わっていた。言葉を交わしたこともない、初めて会う姉達に愛を注ぐ人間たち。彼女はずっと心の片隅でくすぶっていた割り切れない気持ちが嘘のように消えていくのを感じていた。

「ハードウェアには異常はないな。メモリのチェックサムも正常。バックアップ・コピーとの差も無し、と....」

 長瀬は、ログ・ファイルが記録されるのを確認すると「おやすみ、マルチ。また来月」と言って、端末を落とした。

「皆さん、これを毎月....」

 リオンはそう呟いた。それが聞こえたのか、綾香が優しい笑顔でコクンと頷いた。

「いつもはセリオも一緒なんだけど、きょうは彼女も定期メンテなの。いつも真っ先に来て、最後に帰るのよ、彼女。最初の頃は凄く辛そうだったけど、最近は変わりないマルチを確認するのが楽しみになっているみたいだったわ。あ、そうそう、彼女、貴女の事もとても心配していたわよ」と、綾香。

「ひょっとすると、この部屋のドアロックが何もしないで外れたのは、それとなにか関係が?」

「この部屋のロックは元々あなたのパーソナル・コードでも開くようにしてあるのよ。セリオがそうさせたの」

 その時、もう一人の人影が部屋に入ってきて、こう言った。

「いずれ、こういう日が来ると信じてましたから」

 声の主はHMX-13セリオだった。

「セリオ姉様」

 リオンはそう言いながら、涙を拭うと立ち上がった。

−セリオが笑っている....。

 綾香はセリオの様子を見てびっくりしていた。表情の乏しいセリオにとっては満面の笑顔とも言える微笑みを浮かべている。こんなセリオは綾香でもめったに見たことは無かった。

「リオン、よく頑張りましたね」

 そう言いながらリオンに近寄ったセリオは彼女を抱き寄せると、かつて浩之がマルチやセリオにしたように、優しく髪を撫でた。

「貴女はわたしの自慢の妹です」

 そして、セリオはマルチとフィールのカプセルに向かってこう続けた。

「フィール姉さん、マルチ姉さん。あなた達の遺した物はこの娘(こ)が立派に受け継いでいます」


 リオンを検体としたHM-16シリーズの開発は本格的な再開に向かって動き出したが、彼女本人が来栖川エレクトロニクスのHM開発課に戻ったのはそれから1ヶ月後だった。

 リオンは一度やりかけた仕事なので最後までやり遂げますと言って聞かず、その後も長瀬の研究室と1ヶ月間奮闘することになったのだ。

>>PART 3