To Heart 2 Side Story

リオン

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 来栖大学であてがわれていた独身者用のアパートを引き払い、来栖川エレクトロ ニクスのHM開発課に戻ってきたリオンは、依然となんら変わらないエンジニ ア達の様子に安堵のため息を吐いた。

 久々に姿を見せたリオンに近しかったエンジニア達は「魔窟の整理、ご苦労さ ん」とか、「大変だったろう」とねぎらいの言葉まで掛けてくれる。

「とりあえず、システム・チェックはしないとね」

 リオンが来栖大学に行くまで担当していた女性エンジニアがそう言った。

「セリオと比べるとメンテフリーに近いあなたでも、あそこに3ヶ月も居たん じゃ、どこかおかしくなってるかも知れないし」

 その女性エンジニア、神楽坂くるみはそういうと、クスクス笑った。


 所員たちに長瀬の研究室の整理の時で得た笑い話や、フィールやマルチと会ったことなどを報告したあと、くるみと一緒にメンテナンス用の測定機器のある試 作筐体の検 査室に入ったリオンは、そこに見慣れないメイドロボットが居ることに気づいた。

「神楽坂さん、この子は?」

 自分自身と同じ頭部を持つが体格は自分よりかなり華奢に見える。そして髪の毛 が金髪のおさげなのが決定的に違った。

「ああ、リオンは初めて会うのね。あなたの義理の妹になる、HMX-17c、シ ルファよ。と、言ってもまだ素体だけで、システムの移植はこれからな んだけどね。イルファとミルファはもう起動しているわよ」

「わたしと、同じ、顔....」

 リオンは言いようの無い不快感に襲われた。その理由は彼女にもわからなかった が、とにかく、なにか、気持ち悪いのだ。

「そうね、ヘッド部は基本的にはあなたのコピーだから。シルファは末っ子なの で、外見を若干おさなく設定しているから、体格の方は寧ろマルチに近いかもね」

 そう言いながら検査の準備を始めたくるみの後ろで、リオンは口を押さえてうず くまってしまった。

「うぐっ」

 リオンは嗚咽のようなうめき声を出すのが精一杯だった。くるみはその声でリオ ンの異変にすぐに気づいて振り向き、うずくまる彼女に目線を会わせ るためにしゃがみ込んだ。リオンはまるで吐き気を抑えるように真っ青な顔で口を押さえている。

「リオン、大丈夫? どうしたの?」

 くるみは反射的に人間にするように背中をさすった。アンドロイドであるリオン には意味のない行為だが、彼女にはくるみの心遣いがありがたかっ た。

「神楽坂さん、わたしはメイドロボだから背中をさするのは意味無いです。でも、 もう大丈夫です。落ち着いてきましたから」

 リオンは蝋人形のような顔色でそう言いながら、呼吸を整えると、ゆっくりと立 ち上がった。

「いったい、どうしたの? リオン」

「わたしにもわかりません。こんなの初めてです。あの子を見たとたん、急に気持 ちが悪くなって」

 そう言いながらリオンはシルファの方に視線を向けた。

「とりあえず、今は無理ね。シルファのボディは移動してもらうから、それからに しましょう」

 くるみは直感的にリオンがシルファの素体になんらかの拒絶反応を示したのだと 判断した。

「こんなことが、あるのかしら....」


「それって、どういう事なん?」

 長瀬にリオンの異変を報告に来たくるみの話を一緒に聞いた姫百合珊瑚は信じら れない、という表情でそう言った。彼女はここしばらくミルファとシル ファの再起動のために、学校を退けるとそのままHM開発課に直行する生活をしていて、きょうもいつもと同じように“出勤”してきたところだった。

「さあ、わたしには『拒絶反応を示した』としか思えない挙動でした。わたし自身 もちょっとびっくりしてしまって」

「神楽坂君、シルファは君に言われたとおり、開発ラボの方に移したから、とりあ えずリオンのチェックを続けてくれないか」

「はい、課長」

「リオンは今回のテストの事を知らされていなかったので、自分の開発資源がイル ファ達の移植作業に回されたとき、かなり混乱していたからね。まぁ、 それがテストの重要な目的でもあったんだが」

「深層心理になにか異変が起きて居るんじゃないでしょうか? とにかく、あの拒 絶反応は尋常ではありません」、とくるみ。

「そうかもしれないな。とにかく、チェックを急いでくれ」

 長瀬はそういうと、難しい表情で自分の席に座ると、事のあらましを珊瑚に説明 した。

「おっちゃん、なんちゅーえげつないテストやったん? それじゃりっちゃんが可 哀想やん」

 ピンク色のセーラー服の上に、カーボンメッシュが織り込まれた防塵白衣を羽 織った珊瑚がそう言った。

「まぁ、確かにその通りだが、実社会でそういう事態に陥ることは必ずあり得るか らね。逆に言うと非常にラッキーな機会を得たと思っていたんだ。リオ ンには悪いがこれは予想以上に貴重なユースケースのデータが得られるかも知れない」

「おっちゃんの言うこともわからんではない、確かにそういう事態に陥ったときの 耐性は必要やと思うけど、そやけど、もっとやり方が....」

 長瀬を非難するような口ぶりだった珊瑚だったが、さすがに長瀬の言うことがわ かる年齢だ。実際、イルファも似たような状況に追い込まれて、苦悩し ていたのを目の当たりにしているだけに、それ以上の追求をしようとはしなかった。

「きっと、リオンの妹たちはより高いレベルに成長出来る。そのための試作筐体な んだから」

 長瀬はそう言ったが、まさかそれがあんな事態を引き起こすとは思いもしなかっ た。それは、リオンが帰還した翌日の事だった。

     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 来栖大学の独身者アパートに比べるとかなり狭い部屋だが、起動以来慣れ親しん だコンパートメントのベッドで再起動....目を覚ましたリオンは、自分自 身の体になんとも言えない違和感を感じていた。

 前日の検査では特に異常は見られなかったが、その前にシルファの素体を見たと きに感じた言いようの無い不快感。シルファの素体が引き金になったの は確かだが、リオン自身にもその理由自体はわからないままだった。それでも、行動に支障があるわけでなく、来栖大学に派遣される前の日常に戻りつつあっ た。

「おはようございます」

 研究所の所員達が出勤してくるのに合わせて、HM開発課のオフィスに顔を出し たリオンは茶坊主当番の所員と一緒にコーヒーの準備をしようと給湯室 に入った。

「お、リオンじゃないか。久しぶりだな」

 茶坊主当番は若手社員の持ち回りで、男も女も関係ない。今日の当番はくるみと いっしょにリオンのデータ解析を担当している本多宏一(ほんだひろか ず)だった。彼はHM開発課では割と古参の方で、今は亡き藍原瑞穂と同期入社だった。昨日は出張で不在だった宏一は、フレームレスのメガネの向こうで目を 細めて笑顔をなった。

「おはようございます。本多さん。昨日戻ってきまして、今日から現場復帰です」

 リオンも笑顔でそう言った。

「わたしが居ない間、大変だったんじゃないですか?」

「なに言ってるんだよ。リオンが手伝ってくれるようになるまでは、オレ達だけで やってたんだぜ。元に戻っただけだよ。それに....」

 宏一がちょっと言い淀んだので、リオンは小首を傾げた。頭の上にクエスチョ ン・マークが見えそうな雰囲気だ。その動作はリオンの癖で、現場の研究 者達にも可愛さ爆発で人気のあるポーズだった。

「やっぱリオンの方が可愛いわ。君の居ない間、姫百合珊瑚の持ち込んだサッカー ロボを移植したイルファとミルファが手伝ってはくれたんだけど ね....。あの二人、ちょっと妙でね」

「と、言いますと?」

「なんていうか、ちょっと違うんだよね。まぁ、思考ロジックが人間と一緒という のもあるんだろうけど。優秀だとは思うんだが」

「はぁ」

「たとえば、コーヒーの用意だって、君はみんなより早く来て一緒に手伝ってくれ るんだけど、あの子達は、何かというと珊瑚にべったりでね、彼女が居 ないとしないんだよ。彼女の為なら何でもするし、要領も良いんだが、それ以外は無関心というか。それが髪の色こそ違うけどリオンと同じ顔だろ、質が悪い よ」

 リオンはどう返事をして良いかわからず、苦笑するだけだった。

「リオンは髪がマルチといっしょだろ。体格はセリオと同じだけど、あのドジっ娘 が帰ってきたような錯覚もあるしね。やっぱり藍原が遺したアーキテク チャを継承しているから、俺にとっても娘のような愛着、あるしな」

 そのうち、湯沸かしポットの沸騰音が止まった。リオンは戸棚からコーヒーの袋 を取り出すと、素早くコーヒーメーカに仕掛けた。オフィスのコーヒー メーカは大型のペーパードリップ式で、2、3時間は保温も効くタイプのものだった。彼女は取っ手を持ってぶら下げると「先に行きますね」と言って、給湯室 を後にした。

 リオンは宏一の話になんとなく嫌悪感を感じていた。その嫌悪感の対象は宏一で はなく、自分と同じ顔をした日和見な義妹達の行動に対しての物だっ た。

     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

「いまさら、西園寺女学院にフィールド・テストに行くんですか?」

 リオンはあからさまに不服という表情でそう言った。

「わたし、つい2日前まで、来栖大学で教授....じゃなくて、課長の秘書をし ていたんですよ?」

「そう言うと思ったよ。だけど、これは命令だからね」

 長瀬は苦笑しながらそう言った。

「確かに順番は逆になってしまったし、君は確かに高校生というよりは大人の女性 と言っても差し支えないのは認める。だが、高校くらいの集団生活の経 験も必要だからね。手続きはセリオが全部やってくれるから、彼女から説明を受けてくれ。
 マルチやセリオは1年生のクラスに編入したんだが、君はその容姿相応に3年に編入される。それと、一応、セリオは寺女の先輩だからな。粗相の無い ように」

「はぁ....」

 リオンには長瀬が最後に言った冗談が聞こえなかったようだ。


「わたしからの説明は以上です」

 セリオは西園寺女学院でのフィールドテストに関する資料を収めたバインダー・ ファイルをぱたんと閉じるとそう言った。

「セリオ姉様、どうしても行かないとダメなんですか?」

「ダメです」

「はうう〜」

 自分より年下に見える姉の言葉にリオンはがっくりと項垂れた。

「そんなところは、マルチ姉さんにそっくりですね」

 セリオは項垂れるリオンに見つめながら、微笑みを見せた。感情表現の乏しい彼 女にとっては爆笑しているのに近い状態だ。

「不安があるのはわかりますし、一昨日まで大学に居たのですから抵抗があるのも わかります。でも、これはわたしたちの義務ですし、いつかは生まれて くる貴女の本当の妹たちの為でもあるんですよ」

 アーキテクチャが古いせいか、少し堅い口調のセリオの言葉だったが、そこには 長年活動してきた経験によって身につけた、どことない暖かさがあっ た。

「なにより、現在の最高レベルの技術の結晶なのですから、頑張ってもらわない と。設計段階で開発中止になったキアラやノミル、わたし、それにフィー ル姉さんやマルチ姉さんの全てを受け継いでいるんですから」

「そ、そんなぁ。プレッシャー掛けないでください、セリオ姉様」

 リオンはぷうっと頬をふくらませると拗ねるような表情を見せた。

「本当に表情も豊ですし、旧世代のわたしにとっては羨ましい限りです」

 そんな会話をしているうちに、部屋の外から聞き覚えのない女性の声が聞こえて きた。かなり激しい口調でやり合いながら、次第に近づいてくる。

「やれやれ、またやってる。仕方のない娘(こ)達です」

「セリオ姉様?」

「リオンは会うのは初めてですね。イルファとミルファです」

「え?」

 リオンがそう言うのと、バンとドアが開くのとはほぼ同時だった。

「…から、姉さんは出しゃばってこんくてええんよ。貴明さんのところには私だけ で充分なんやから」

 赤毛の少女が後ろを向きながら入ってくる。「姉さん」と言ってるところをみる と、彼女がミルファなのだろうと、リオンは思った。

「ミルファ、それが姉に対して言う言葉なの?」

 ということは、彼女がイルファね、とリオンは心の中で呟いた。不思議とシル ファの素体を見たときのような不快感は湧いてこない。

「姉って言うたかて、アプリケーション開発は同時やん、たまたま先にロールアウ トされたて事だけで、いちいち年長者面されたんじゃ、こっちがたまらへんわ」

 口論しながら入ってきた二人は、リオンとセリオの存在に気づいていないよう だった。

「んっ、んっ!」

 セリオが咳払いをして、ようやく二人は先客が居たことに気づいた。

「セ、セリオ義姉様」

 とっさにセリオの名前を言うミルファ。

「申し訳ありません、お恥ずかしいところを見せてしまって」とイルファ。

「貴女達姉妹の口げんかは今に始まったことではありませんから、気にはなりませ んが、場所をわきまえてください」

 自分に向けた物とは全く異なる、きつい口調にリオンまで背筋を伸ばす。

「セリオ義姉様、そちらの方は。シルファちゃん、じゃ無いですよね」

 イルファはセリオと向かい合って座っているリオンを見て、おそるおそるそう 言った。

「シルファはブロンドやん。この娘(こ)の髪は緑やない」

 妙に萎縮している姉を小突くように言ったミルファはそこで、はっとなった。

「もしかして、リオン義姉様....」

 リオンはすぐには口を開かず、僅かに頷いた。

「ええ、わたしがHMX-16、リオンです」

 リオンはそう言いながら、立ち上がり、二人の方を向いた。

 イルファとミルファは慌てて近寄ると深々と頭を垂れた。

「は、初めまして。わたし、リオン義姉様と同型のボディの改造版を頂戴して HMXシリーズの末席に名を連ねさせて頂くことになったHMX-17a、イルファ、で、こっちがHMX-17bのミルファです。先ほどは大変失礼しまし た」

 イルファは取り繕うようにまくし立てた。リオンはそれに対して表情を変えずに お辞儀で応えた。

「わたしは、昨日付けで来栖大学のフィールド・テストから戻ったのですが、お二 人を見かけませんでした。やはり、どこかでフィールド・テストを?」

 シルファは調整中だし、ミルファもロールアウトしたばかりだとリオンは聞いて いた。2ヶ月先にロールアウトしているイルファはともかく、ミルファが研究所に居らず見かけなかったことを、リオンは不思議に思っていた。彼女は来栖大学 に行くまで半年近く研究所でテストを繰り返していたのだ。

 その問にはミルファが応えた。

「いえ、わたしたちはフィールド・テストをすることなく、マスターの元にリリー スされてます。リオン義姉様とほぼ同型ボディなので必要あれへん、との判断で....」

−ちょと待って。それって、どういう事よ!
 リオンの中で何かが弾けた。

 リオンはこれから先も色々なフィールド・テストの予定が組まれている。先刻セ リオから説明を受けた西園寺女学院への一時編入もその一貫だ。

「リオン!」

 セリオは瞬間的にリオンの異変に気づいて、とっさに声を掛けたが、時、すでに 遅し。リオンの体表面のオゾン濃度が一気に跳ね上がったように感じた瞬間、リオンがキレた。

「わたしは、あなたたちの踏み台じゃない!!」


 爆発した叫び声に辺りはシンと静まりかえった。


 あなたたちと言われたイルファとミルファは、青ざめた表情でよろよろと後ずさりし、トンと壁に寄りかかった。

「わたしと同じ顔で、同じ体で、好き勝手やって。わたしは、わたしは、なんのた めに生まれてきたのよ!! なにがDIAよ。このセリオ姉様や他の姉様達の思いの詰まった体は、わたしと、わたしの本当の妹たちのものよ。わたしは、横入 りのあなたたちの踏み台なんかじゃ....」

 リオンはボロボロと涙を流しながら、ぺたんと座り込んでしまった。

 それを待っていたかのように、金髪の少女が近寄って、彼女の横にしゃがみ込ん だ。

「気は、済みましたか?」

「ねえさま」

 リオンは声を掛けて来たセリオの優しい表情を見つめると、わぁっと泣き出し た。

「....義姉様....。ご、ごめんなさい....わたしたち、そんなつもり じゃ....」

 ミルファと一緒に後ずさりして壁により掛かっていたイルファはそれだけ言うの が精一杯だった。

「イルファ、ミルファ、外してくれませんか。この子を落ち着かせたいので。それ と、シルファには絶対言わないように。あの子の心では耐えられないかも知れません」

 セリオは氷のような冷たい表情でそう言った。

「はい、申し訳ありません」

 イルファはそう言うと、ミルファを促して後ずさりするように部屋を辞した。


 リオンはその後も数分間に渡って泣きじゃくり、涙用の生理食塩水の低減アラームでようやく「涙を流す行為」を止めた。

 セリオはそんなリオンを胸元で抱きしめ、ずっと髪をなで続けていた。泣けると いう機能。リオンは後からイルファ達が泣く機能をスポイルされていることを知ったが、その時は逆に彼女たちを哀れんだ。


 リオンがようやく落ち着きを取り戻し、自分のコンパートメントに戻ったのは、それから更に1時間ほどしてからだった。


 それからしばらくして、何も考えることが出来ず、ぼーっとしていたリオンの元を尋ねてきた者が居た。

 それは、イルファ達の人格プログラム、そしてDIAの開発者である、姫百合珊 瑚だった。

 リオンは珊瑚の姿を見て思わず身構え、「出てって」と言いかけたが、それより 先に珊瑚が涙を浮かべた悲痛な表情で、頭を垂れながらこう言った。


「りっちゃん、いや、リオン。堪忍な」

>>PART 4


作者註:「神楽坂くるみ」が本名「神維くるみ」で、実は鋼鉄天使だという裏設定があるかどうかは、ご想像にお任せします。