To Heart 2 Side Story

リオン

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     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

「それは、多分、人間が死体に対して抱く恐怖や嫌悪感と一緒やないでしょうか?」

 長瀬からリオンの異変の事を聞かされた智子はそう答えた。弁護士を目指している智子は心理学に関しても知識が豊富で、一通りの取材を終えたあと、逆に長瀬からリオンの一連の異変とも取れる行動に関して何か原因に繋がるヒントはないかと質問を受けていた。

「しかし、フィールやマルチに会わせたときはなんともなかったんだが」

 智子は長瀬から視線を外してふっと考え込んだが、ものの数秒で視線を戻した。

「多分、フィールやマルチは抜け殻とはちゃうんやないかと思います。せやから、リオンの心に畏れが起きなかったんと違います? マルチが眠るとき、わたしも立ち会いましたが、あの子、とっても幸せそうに看取られたのを覚えてます。そして、眠った後も、いまにもあくびをしながら目を覚ましそうな生き生きとした表情でしたし」

「いまも、あのままだよ。君の言うとおり、いまにも『おはようございます』と言って、起きてきそうだよ」

「そうですか」

 智子は少し嬉しそうに微笑んだ。

「魂を持ったまま眠っているフィールやマルチには何も感じなくて、これから魂を吹き込む前のシルファの素体には死体と同じ恐怖を感じた、か」

 長瀬は半信半疑という表情だったが、なんとなく納得したようだった。

「それはそうと、どうだい、マルチに会いに行かないか?」

「え?」

 突然の長瀬の提案に智子はびっくりした。

「いや、単についでなんだけどね。ミルファが突然やってきて『義姉』に会いたいと言い出してね。まぁ、あの娘が突然来るのは珍しくないんだが」

 ああ、そういうことやったんか、と智子は思った。時間を決めてアポを取っていた智子は、『急用』で少しだが待たされたのだ。多分、ミルファが横入りしたのだろう。

−あの子がミルファやったんか。

 それは、智子が珊瑚達と研究所の入り口で会う少し前だった。リオンによく似た赤髪のメイドロボが、守衛で入門手続きをしている智子の後ろを、かなりのスピードで走り抜けたのだ。

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「こら、....ファ! 入門手続きをしないか!」

 智子の相手をしていた守衛とは別の人がそのメイドロボに向かって怒鳴っていた。咄嗟のことで、智子はそのメイドロボの名前を聞き逃していた。

「わたし、ここの所属やん! なんでいちいち書かなあかんのー。てきとーに書いといてー」

 そのメイドロボも守衛に向かって怒鳴っている。

「やれやれ」

 怒鳴った方の守衛があきれ顔でそう言った。

「な、なんですの、今のは? リオン、とはちゃいますよね? 関西訛りですし」

 智子はびっくりして自分の相手をしてくれている守衛に思わず聞いてしまった。

「リオン、知ってるの?」

「ええ、来栖川姉妹とは懇意にさせて頂いてますから、何度か会うたことありますよ」

 と、智子。

「あの子はリオンと違ってウチの問題児でしてね。まぁ、日常茶飯事なので、誰も気にはしていないんですが、一応ルールはルールなのでね。で、長瀬課長でしたね。アポイントメントは確認出来ました。今、メイドロボが駆け込んだ入り口のホールに内線電話があるので、長瀬課長に直接連絡して指示をしてもらってください」

「はい、わかりました」

 そして、入り口の自動ドアの前まで来たところで、後ろから珊瑚とリオンの会話が聞こえてきたのだ。

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「リオンと珊瑚くんも同行するけど、一緒にどうだい? 向こうでは綾香君が準備しているはずだ」

 このあと、特に予定がない智子に断る理由は無かった。

「そうですね、わたしも久しぶりにマルチに会いたいですし、余所の大学にも興味有ります。お言葉に甘えさせてもらいます」

 智子は長瀬の運転する車で、リオン、ミルファ、珊瑚の3人と同行することになった。

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「ほんまは、いっちゃんも居た方が良いんやけどな。なんで連れて来うへんかったんや?」

 助手席に陣取った珊瑚がリアシートの真ん中に座っているミルファにそう言っ た。

「珊瑚様が言わはるとおり、イル姉も引っ張ってこようと思たんですけど、瑠璃様を一人に出来へんて、頑として譲らへんくて」

 と、ミルファ。

「まったく、瑠璃ちゃんかてウチと同じ高校生やで。自分の面倒くらい見れるやん。いっちゃんが来る前はウチら二人きりやったし、別々に行動するなんて珍しくも何ともあれへんのに」

 珊瑚はあきれ顔でそう言った。

「案外、現実と向き合うのが恐いんとちゃうかな、そのイルファって娘」

 二人の会話に智子が割り込んだ。

「リオンはミルファ達を妹やと思うとる?」と智子。

「実際に会うまでは、わたしが末っ子でしたけど、いずれ妹は生まれてくるだろうとは思っていました。最初は抵抗がありましたが、今は彼女を含めてミルファ達の姉だと思っていますし、姉として恥ずかしくないようにしなければと、常に考えていますよ」

 リオンは言い淀むことなく、そう答えた。

「ミルファは元々次女だから、お姉さんが増えても抵抗は無かったんとちゃう?」

 智子は今度はミルファに話を振った。

「わたし自身は自覚あれへんのですけど、智子さんの言わはるとおりかも知れません」

 と、ミルファ。

「貴女達三姉妹は実際にフィールやマルチに会ったこと、あれへんのやろ?」

 と、智子。

「知識としては知ってます。せやけど、実際に会うたことは、確かに、ありません。せやから、会いたなって」

 智子はそこで、ふうっとため息を吐いた。

「多分、やけど、イルファって娘は無意識に自分のアイデンティティが奪われる恐怖と葛藤してるんやと思うわ。今までは、多分あんたら三姉妹の長姉として自分のアイデンティティを構築してたんやろな。それがいきなり、義理とはいうても、上に姉がゴロゴロ。オマケに初めて会うたときに怒鳴り散らされるわ、すぐ下の妹がその義理の姉にべったりになってまうやらで。『じゃぁ、今までのわたしの立場ってなんなのよ』。多分、そんなとこやろな」

「それって、まるっきりこの前の私じゃないですか」とリオン。

「ぷっ」

 誰かが吹き出した。

「笑ろたらアカンよ、みっちゃん」

 吹き出したのはミルファだった。

「す、すみません。でもイル姉らしいなって思たら、我慢出来なくなってもて」

「まぁ、あの娘、変なところ強情っ張りやもんなぁ。あとで、ごっついお灸据えたらなあかんかもな」

 珊瑚もそう言いながら笑っている。

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「あれ? なんで智子も居るの?」

 フィールとマルチを保管している部屋で、セリオと共に一行を待っていた綾香は、智子の顔を見るなりそう言った。

「あー、たまたま来栖川エレの研究所に偶然居合わせてな、一緒に行かへんかって、誘われたんや。まぁ、わたしかてたまにはマルチに会いたいし」

 事情を知って、綾香は苦笑した。

「ああ、長瀬さんに会いに行くの今日だったんだ」

 そういいながら綾香はマルチのカプセルに視線を向けた。

「ほんとに、マルチって人を集めるわね。この前の定期チェックの時も、姉さんとあかりが寄ってきたのよ」

「へえ。芹香さんや神岸さん、元気なん?」と智子。

「ええ。姉さん、今日はもう本邸へ帰ったけどね。あかりは浩之とデートよ」

「デートって、あの二人の家、ほとんどとなり同志やん」

 智子は半ばあきれ顔でそう言った。

「わたしもそう思うけどね。あの二人、両親居ないのをいいことに半分同棲状態だし」

 二人の掛け合い漫才にリオンはくすくす笑う。ミルファは初めて訪れる部屋に半分恐る恐るという表情だが、珊瑚は興味津々という雰囲気で眼を輝かせていた。

「珊瑚さん、その手前の私と同じ髪の色の方がマルチ姉さんです」とリオンが言った。

 珊瑚が先に立ち、ミルファが従う形で二人はマルチのカプセルに近寄った。

「ほんま、ごっつ幸せそうな寝顔や」

 珊瑚がぽつりと言った。そして、ミルファは泣きそうな表情を堪えながら、口を押さえてペタンと座り込んでしまった。肩が震えている。リオンはミルファが泣いていることに気づいた。

「ミルファ、どうしたの」

 リオンはそう言った。

「わたしにとっても、かけがえのないお姉様です。ほんまに、ほんまに満ち足りた笑顔。マルチ姉さんは、ほんまに幸せやったんですね。ご本人にお会いして、なんか滅茶苦茶感激してしもて」

 ミルファは震える言葉でそう応えた。悲しみの顔ではない。マルチと対面して本当に感激したという、くしゃくしゃの笑顔。すると、そこまで無言で成り行きを見守っていたセリオが近づいてきて、おもむろにミルファを抱きしめた。

「セリオ…義姉様」

 セリオはミルファの頭を撫でた。

「ありがとう、ミルファ」

 セリオの瞳にも大粒の涙が溜まっていた。

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「恐怖、ですか?」

 リオンは長瀬の言葉に、茶筒を持ったまま小首を傾げて、逆にそう質問した。

 ミルファ達と別れたリオンと長瀬は大学内の長瀬の研究室に来ていた。リオンにとっても勝手知ったる部屋だが、入るなり開口一番「明日から一週間ほど、ここに通っても良いですか?」と言って、長瀬を睨み付けた。リオンのおかげで綺麗に片づいていた研究室が、たった2週間の寺女でのフィールド・テストの間に元の魔窟に戻りかけていたのだ。

 長瀬は苦笑すると、「考えておくよ」と言って、かろうじて使えるソファにリオンを座らせた。最初は素直に座ったリオンだったが、すぐに「お茶でも淹れますね」と言って、用意を始めていた。

 長瀬はそのまま、リオンと智子から聞いた話を元に、リオンの異常反応の話を始めていた。

「あくまで保科さんの意見だがな。彼女は弁護士志望なので、心理学も学んで居るんだ。リオンの反応を、まぁ、伝えられる範囲で出来るだけ正確に伝えた結果、帰ってきた答えが『死体に対する恐怖』なんだよ」

「人間の方が死体を目の当たりにした時に起こす反応が、わたしがまだシステムインストールがされていないシルファの素体を見たときに起こした反応、と似ているんですね」

 リオンは急須にお茶っ葉を入れながら、半信半疑というような微妙な表情でそう言った。

 長瀬は黙って頷いた。

「わたし自身は、経験が無いので自己分析が出来ませんが、恐らくそうなんだと思います。神楽坂さんがわたしの背中をさすったのが、吐き気を催した人間に対する処置ですし、記憶内にある資料映像でも似たシチュエーションのものがあります」

 リオンは急須にお湯を入れて蒸らしながらそう答える。

「フィールやマルチは死んでいるわけじゃない。ただ眠っているだけだ。だから君は彼女たちには恐怖を感じなかったんだよ」と長瀬。

「ええ、あそこにはフィール姉さんとマルチ姉さんが確かにいらっしゃいます。言葉では具体的には言い表せないんですが、わたし、最初にあの部屋に入ったとき、確かに感じたんです。受け入れて貰えた、というか、とても不思議な感覚でした」

 リオンは湯飲みにお茶を注ぎながらそう言った。

「ミルファはどうだったんだろうな」と、長瀬。そして、リオンはお茶を注いだ湯飲みをお盆に載せて、長瀬の所に戻ってきた。

「さぁ、そればっかりはミルファ本人じゃないとわかりませんが…、多分あの娘なら大丈夫だと思います」

 リオンは長瀬の前に湯飲みを置きながらそう言った。

「問題はイルファだな。保科さんが言うように、無意識にでもいままでの自分のアイデンティティが否定されることと葛藤しているのなら、ちょっとやっかいかもしれないな」

 そう言うと、長瀬はずずっとリオンの淹れたお茶を啜った。

「ああ、やっぱりリオンが淹れるお茶は美味いな」

 リオンはにっこりと笑う。

「きっと、大丈夫ですよ。イルファ一人なら多分、時間がかかるでしょうけど、彼女にはミルファという妹が居ますから」

>> PART 7

作者註:PART 7はマルチが主人公です。