To Heart 2 Side Story
リオン
イントロダクション<
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◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「りっちゃん、いや、リオン。堪忍な」
身構えかけたリオンに向けられた言葉は意外なものだった。
「ほんまに、アカン娘たちで、堪忍な」
いつもはどこか気が抜けた、この娘(こ)のどこがエンジニアなのだろうと思うようなふんわりとした雰囲気の珊瑚だったが、リオンにとっては初めて見る真剣な表情だった。その目にあるものは長瀬や本多、くるみ達のようなどこか鋭さがあるエンジニアのそれだった。
「あの娘たちは充分反省してると思うんやけど、でも、リオンにも、瑞穂お姉さんにも申し訳なくて」
珊瑚の口から出た意外な人物の名前に、リオンは戸惑った。「瑞穂お姉さん」、リオンたちの思考ロジックの基本設計を完成させた、いわば母とも言える存在、藍原瑞穂のことだ。
「貴女は、瑞穂さんと」
「よう知っとるよ。まだウチが小学生の頃だったけど、優しいお姉さんやった。いっちゃん....ううん、イルファたちのDIAも、元はといえば瑞穂お姉さんの理論を下敷きにしてるんや。『珊瑚ちゃんが瑠璃ちゃんのお友達を創りたいのなら、教えてあげる』って。当時のハードウェア技術やととても実現出けへんけど、ウチが大きくなった頃ならきっと実現出来る言うて」
涙で潤んでいた珊瑚の瞳から、雫が一筋頬を伝った。
「あんな事が無ければ、DIAはもっと早く実現出来た。ウチじゃなくて、瑞穂お姉さんの手で。ウチがダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャを“大根・インゲン・あきてんじゃー”って言うのは、まだ小学生でちゃんと発音出来なかったのを、瑞穂お姉さんがメチャメチャ気に入って、『それでも良いよ』って言ってくれたからなんや」
「…」
『あんな事』、多分瑞穂が他界した交通事故のことだろう。リオンは言葉を返せなかった。
「瑞穂お姉さんは、まんがチックなオブジェクト図、今見直すと、ちゃんとしたハレルチャートなんやけど、それを使ってDIAの基本概念をウチに教えてくれた。ほんま、凄い人やったんや。いまでも大好きやし、尊敬もしている。永遠に越えることが出来ない、ウチの目標や」
珊瑚がそこまで言ったところで、リオンは「とにかく、座ってください」と言い、ベッドサイドのスツールを彼女の前に置いた。珊瑚は「気い使わせて、ごめんな」と言うと、リオンが進めたスツールに腰掛けた。
リオンは珊瑚が座ったのを確認すると、「とりあえず、お茶でも煎れますね」と言って、部屋の隅で支度を始めた。彼女自身は飲食はしないが、たまに研究員が遊びに来たりするので、茶器のセットくらいは置いてあるのだ。
「紅茶で良いですか? 緑茶も....あ、玄米茶しかない.....」
「気にせんでええよ、あるもんでかまへん」
珊瑚はそう言うと、普段よく見せる笑顔を浮かべた。
「紅茶もティーバッグのダージリンしかなくて、こんなので申し訳ありません」
リオンはそう言いながら、湯気の立つティーカップをソーサーに乗せて珊瑚に勧めた。
「あ、ありがとう」
珊瑚はそう言いながらティーカップを受け取ると、ひとくち、口に含んだ。
「あ、おいしい。いっちゃんだと、こうは行かへんわ」
「わたしは、手抜きが出来ないように出来てますから」
リオンは嫌みとも取れる言葉を吐いた。
「そやな、いっちゃ....イルファたちはちょっと目を離すと手ぇ抜きよるし、ちょっとわざとらしいところがあるねん」
珊瑚は自嘲的な口調でそう言った。
「ほんまは、ウチがあの娘(こ)たちに自分の立場をもっとちゃんと言って置けば良かったんや。浩之のあんちゃんから聞いたらしいけど、あの娘たちを基にしたHM-17型のメイドロボットは量産されへん。だって、HMX-17の量産機はあんたの妹たち、HM-16なんやもん。ミルファが何を言ったのかも聴いたよ。元々ちょっとがさつな娘やけど、自分の今の状況があんたの犠牲の上に成り立ってるってこと、ちいとも気にしとらへんかったようなんや」
珊瑚はもう一口紅茶を口に含んだ。
「りっちゃ....リオンに怒鳴られて、みっち...ミルファもイルファもかなり堪えたみたいや。自分たちの今の生活がいろんな人の犠牲の上に成り立ってること、今頃気づいたみたいで。いっちゃ...イルファは....」
珊瑚がそこまで言ったところで、リオンが口を挟んだ。
「無理しないでください。いっちゃんにりっちゃんでかまいませんよ。そう呼ばれるのはわたしも嫌じゃありませんから」
リオンはそう言うと、微笑んだ。
「いっちゃんも言葉では言ってるけど、実感は無かったんやろうな、かなりしょげとったよ....。あっ....」
珊瑚は喋りながら改めてリオンの表情を見て、少しびっくりしたような声を出した。
「どうかしました?」と、リオン。
「同じ顔のはずなのに、りっちゃんの笑顔、いっちゃんと全然ちゃう」
「えっ?」
それはリオンにも意外な言葉だった。たしかに、イルファ達とは違う構造の心を持つ彼女だが、メイドロボットであることには替わりはない。いわば工業製品であるし、頭部はリオンもイルファ達も規格も構造も全く同一な筈なのだ。区別出来るのは若干差を持たせた体格と髪の色、かたちくらいなのだ。
「りっちゃんの笑顔、せっちゃんに似てる」
「せっちゃんって、セリオ姉様ですか?」
セリオの雰囲気にはあまりにも似つかわしくない呼び方に、リオンは苦笑した。
「そう、そのせっちゃんや〜。ほんまに、なんていうか、なんとなく似てる」
珊瑚のその言葉に、リオンは多分そうだと思えることを口にした。
「多分、心の構造が違うからだと、わたしは思います。わたしの心は、珊瑚さん、貴女が開発した多重クラスタ理論ベースのカーネルの上に乗ってはいますが、基本的にはマルチ姉様のものの発展型です。セリオ姉様にも、ハードウェアの制限でフルスペックとは言えませんが、マルチ姉様と同じ感情プログラムが搭載されています。きっと、その差なんだと思います」
珊瑚は考え込むような表情を見せた。
「長瀬のおっちゃんが言ってたの、思い出した。偶数系は感情優先、奇数系は機能優先にチューニングしているけど、基本的には同じアーキテクチャの双子やって。ウチはそのマルチっていう娘には会ったこと無いけど、多分そうなんやろうな」
眉間に皺を寄せた彼女の表情は普段の珊瑚とはかけ離れて、どちらかというと、機嫌が悪いときの瑠璃に近いものになっていた。リオンは瑠璃とは2回しか会ったことがないが、こういうところがやはり双子なんだな、と思った。
「そう言う意味では、わたしは初の融合型らしいです。でも意外です。マルチ姉様の不具合が見つかって、ご自分の意志で機能停止したのはほんの2年前ですよ? たしか、珊瑚さんはその頃すでに来栖大学を頻繁に訪ねられていたと聞いてい ますが」
珊瑚は少し考え込んだ。
「あー、そう言えば、家出メイドロボットの騒動があったような」
「その家出娘がマルチ姉様です」
「そやー、家出するメイドロボなんて、なんや凄いなぁって思った記憶があるわ。一度会うてみたいと思ってたんやけど、それはかなわんかったんや」
「マルチ姉様が自ら眠ることを選んだ為ですね?」
珊瑚はこくんと頷いた。
「確かに、いっちゃん達もその気になったら家出くらいはするやろうけど、2年前のハードウェアとアプリケーションのレベルやと、驚異的な事なんや。やっぱ瑞穂お姉さんは、ウチなんか足下にも及ばないとんでもない天才やったって、改めて思い知らされるわ」
「でも、珊瑚さんはその年齢で....」
「そんなことあらへん。ウチは先人が居たからこの歳で出来たんやけど、瑞穂お姉さんと同じ時代を生きてたら、絶対無理や」
珊瑚は首を振るとそう言った。
「さっきも言うたけど、ウチのDIAは瑞穂お姉さんの基本理論をベースに構築したものなんや。瑞穂お姉さんが居なかったら、実現したかどうかめっちゃ怪しい。それを知ってるのは、ウチと瑞穂お姉さんの二人だけ....ううん、いま話したからりっちゃんを入れて三人や。それに、まだウチのDIAは完成にはほど遠い状態や。今のままじゃ、自立させるまでに何年もかかってしまう。あの子た ちも、瑠璃ちゃんがいっちゃんを無理矢理外に連れ出さなければ、たぶんとっくに鉄屑や」
「そうらしいですね。わたしもお父様....長瀬課長からそう伺っています」
「でも、りっちゃんのような完成した思考プログラムにDIAを融合出来れば、もっと凄い娘が出来る。だから、あの娘たちを嫌わんといてほしいんや」
リオンは珊瑚がイルファ達を自分の娘として考えていることが痛いほどわかった。でも、リオンには理解出来ない部分もあった。
「別に嫌っているわけではありません。でも、珊瑚さん、それは望まれる形態なのでしょうか? わたしは行き過ぎだと思います。確かに、イルファ達は私よりも柔軟な思考を持っていると伺っていますし、珊瑚さんが何故彼女たちを開発したか、それは、瑠璃さんのお友達を創りたいからだったと聞いています。でも、人間はいずれ齢を重ね、土に還ります。その時、齢を重ねることが出来ないイル ファ達が残されてしまうじゃないですか。あるいは逆に耐用年数が過ぎて、突然壊れてしまうかも知れません。あなたや瑠璃さん、それにイルファ達にはその覚 悟があるんでしょうか?」
リオンのまっすぐな意見に珊瑚も真剣な表情を見せた。
「そか、歳をとるアンドロイド、面白そうやな」
「ヌニエン・スンですか、あなたは」
リオンはくすっと笑った。
「でも、りっちゃん、それはあんたかて一緒やん」
「それもそうですね。だからこそ、市販されるわたしの妹たちは過度の思考は持たないようになっているんです」
聞いている珊瑚の表情は緩んでいたが、目は真剣だった。
「イルファ達はわたしと同様に“生”を受けてしまいました。だからこそ、市販される妹たちのために色々な試験を受けるのは義務だと思うんです。ですから、わたしが彼女達を怒鳴ったのは、同じ来栖川製のメイドロボットとして、その義務を全うしていない事が許せなかったからです。でも....」
リオンはふっとため息を吐いた。
「でも、あの娘(こ)たちは、あなたの私物でもあるんですよね」
珊瑚はこくんと頷いた。
「りっちゃんの言いたいことはよーわかったよ。ウチも考えてみる。このまま話し続けてもすぐには答え、出そうになさそうやし」
珊瑚がいつものふんわりした微笑みを見せると、リオンは答える代わりにくすっと微笑み頷いた。
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