To Heart 2 Side Story
リオン
イントロダクション<
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−あなたは、誰?
真っ白な無意識のプールの中を漂っていたわたしは、不意に知らない意識と出会いました。いつも来てくださる、セリオさんとは違う意識。 その意識はわたしの為に泣いてくださいました。最初は悲しさ、いえ、わたしに対して申し訳なさそうな、恥ずかしそうな意識。でも、それはすぐに消え、うれ しさと暖かな優しさに変わりました。
最初一つだったその新しい意識は、もう少しして、別の意識を連れてきてくださいました。その新しい意識は、最初から嬉しさに満ちていま
した。
そして、その新しい意識は更に増え続けました。
わたしにはわかっていました。それはわたしやセリオさんの妹たちだと。
「…ただいま…」
そして、もう一度、今度は大きな声で。
「ただいま!」
数年ぶりに現実のボディで意識を取り戻したわたしは、目の前に居る浩之さんやあかりさん、少し離れて立っていた綾香さんやセリオさんに そう言うのが精一杯でした。あとは、あふれ出る想いで、言葉になりませんでした。
そして、その半年後、わたしは新しい体。正確には元々の小さな体をコアにして、より人間の皆さんに近い黒髪の大人の女性の姿で生まれ変 わりました。
あれから7年、わたしが再び眠りに就いてからは6年の歳月が流れました。わたしが眠りについてすぐ後に生まれた直系の妹たちは残念なが らわたしと同じ感情システムは搭載されなかったそうです。でも、いまのわたしにはそれが正しい選択だったと間違いなく言い切れます。あの当時のわたしの アーキテクチャでは、多分、間違いなく、わたしと同じ悲劇が繰り返されたでしょう。
いま、わたしたち来栖川エレクトロニクス製のメイドロボット....あ、正式な商品カテゴリとしてはホームアシスタント・ロボットと言 うんでしたっけ、とにかく、私たちは大きな岐路に立たされています。意識と記憶とパーソナリティを新しいボディ、新しいアーキテクチャのシステムへ移植す る。わたしの妹たちが、ボディの耐用年数を過ぎても、アーキテクチャが時代遅れになっても、“生き続ける”ためには必要な関門なのです。
確かに実験レベルでは義理の妹であるイルファ達のように何体か実現しています。でも、それは本当に限定された条件下でのみしか実用出来 ないレベルのモノでした。
わたしは、その汎用量産試作実験に自ら志願しました。HMX−12R/22α、マルチ・リヴァイスドとして。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何か、おかしいと思うところはある?」
HM開発課々長の来栖川綾香は改装したボディで意識を取り戻したマルチにそう尋ねた。
「DIAは今までのあなたの思考を司るアーキテクチャとは全く異質のモノだし。そこに無理矢理あなたの記憶やパーソナリティを押し込んだ ようなものだから、どういう負荷がシステムにかかるか、わからない部分が残っているのよ」
綾香は本当に心配そうに聞いてきた。
「元々のわたしのアーキテクチャは5世代くらい前のモノですからね。システムエンジニアの綾香さんが心配するのもわかりますが、それを解 明するために志願したんですよ、わたしは」
マルチはそう言いながらクスクスと笑った。
「それに、そう簡単にわかればわたしの志願は必要ないじゃないですか。とりあえず今のところは、なんともありません。記憶容量とCPUを スペックアップしたときのショックに比べたら、何もないのと一緒です」
新しいシステムに更新したマルチは、意識を回復した直後に記憶容量とCPUを最新型のメイドロボットと同じレベルにまでスペックアップ を行った。急に意識の範囲が拡大し、モノを考えることの負荷が軽くなったショックは相当なものだったらしく、マルチは半日近く体を動かすことがが出来な かった。
マルチが体を動かせなくなったことで、研究所の所員達はパニック状態に陥りかけたが、二度も“死んだ”経験のあるマルチは人間で言うと ころの強靱な精神力を発揮した。所員達が本人の余裕綽々な「なんとかなりそうです」の言葉で平静を取り戻したくらいだった。
「あの時は、今にも土砂降りになりそうな曇天が急に快晴になったくらいに頭の中が変わっちゃいましたから。それに比べたら、ものの見え方 や物事を思い出すのに違和感がありますがたいしたこと無いです。すぐに慣れますよ」
マルチは綾香を安心させる意味もあってか、満面の笑みを浮かべた。
一通りの検査を受けた後、マルチは研究所を辞した。一応、彼女はすでに来栖川エレクトロニクスの“備品”ではなく、マスターを持つメイ ドロボットなのだ。マスターの名は来栖川エレクトロニクスのHM開発課に滑り込んだ藤田浩之。もちろん、新人に近い浩之にマルチ一人を引き取る財力は無い ので、マルチの再起動に尽力した成果プラス芹香と綾香からの結婚祝いという形でだった。
最初、マルチは浩之の家に行くことは、出来ちゃった結婚とは言え、新婚であるあかりに気を遣って断ろうとしたのだが、当のあかりから 「一緒に歩いていこう」と口説き落とされたのだった。あかりにとってはマルチは永遠のライヴァルに等しい。でも、それ以上に一人っ子の彼女には本当の妹以 上の存在だったのだ。
守衛所で手続きをして外に出ようとしたマルチを待っていた人影があった。
「姉さん」
その人影は小さく手を振って、マルチを出迎えた。
「セリオ…」
かつてのセリオしか知らない者なら、彼女があのセリオだとは気づかないだろう。耳のセンサーが小さくなった以外の姿形はそれほど変わっ ていないが、如何にも機械仕掛けという雰囲気は全くしなくなっていた。
マルチが再起動した後、セリオのシステムと改良されたマルチのシステムは完全に統合され、全く同じスペックとなった。マルチもセリオの サテライト・システムを使えるようになり、セリオは制限のあった感情表現の箍が外れた。感情を優先する偶数ナンバーと機能優先の奇数ナンバーの統合はリオ ンで実現されていたが、それは既存の機体にもフィードバックされなければ意味の無いことなのだ。マルチやセリオのような、Xナンバーを持つ機体はその実験 体としての役目を持っている。いまのセリオの型式はHMX−13RM。リヴァイスドを示すRの後ろのMはマルチのMだった。
マルチが大人の姿にスペックアップしてから、セリオは公然とマルチを「姉さん」と呼ぶようになっていた。マルチはマルチでセリオにあか らさまに「さん」付けを嫌がられ、いまでは普通の人間の姉妹のように呼び合うようになっていた。システムは同じだが、経験してきたことが違う彼女たちは性 格も微妙に似て非なる双子のような関係になっていた。
この日は、もちろん無事に事が済んだ場合の話だったが、マルチはセリオと一緒にある場所に行く約束をしていた。
「綾香は?」
セリオの変わった点。これもその一つだ。綾香を「様」付けで呼ばなくなった。これも感情が人間並みになったセリオが綾香に「友達なんだ から、いい加減『様』はやめてよ」と言われた結果だった。
「綾香さん、ちょっと忙しくて行けそうにないって。宜しく伝えてくれって言ってたけど」
「そう。まぁ、天下のHM開発課の課長だものね」
セリオはそう言うとマルチと並んで歩き始めた。
二人の目指すところは、かつてマルチが眠っていたあの部屋だった。
電車とバスを乗り継いで来栖大に到着した二人は、勝手知ったる校内をまっすぐに目的地に向かった。部屋のドアはマルチを認識すると自動 的にロックが外れ、スライド式のドアが開いた。
「あら、マルチにセリオ、早かったわね」
二人を出迎えたのは、この部屋と長瀬の研究室を管理しているHMX−11RLフィール。かつて、起動することなく眠りに就いていた彼女 も、リオンによるフィールドテストで完成した新しいハードウェアの環境下で遂に目覚めることが出来たのだ。公式には記録されていないが、かつて藍原瑞穂の 魂が乗り移ってマルチと邂逅したことのあるフィールは、「今でも母はわたしの中に居ます」と公言してはばからなかった。
いま、この部屋には一つだけカプセルが設置されている。その中には彼女たちの妹であるリオンのボディが安置されていた。
フィールド・テストを終え、本人の意志でHM開発課で働き始めたリオンはマルチが再起動した直後に、突然機能を停止したのだ。
モデルベースのアーキテクチャの限界に挑戦したリオンは、その限界を超えてしまっていた。幸い、事前に予測された事態だったので、セイ フィティ・インタロックがかかり記憶やパーソナリティは壊れることなく保存された。今ではこの部屋に来れば端末越しに会話も出来るが、市販モデルの数倍に なる記憶を含めたデータ量が人間型の筐体には収まらなくなってしまっていたのだ。
その日、リオンは自分が止まるのを自覚していたらしく、いつも一緒に仕事をしていた本多宏一にまとわりついていた。そして、倒れたとき は本多の腕で支えられていた。
リオン自身は自分の限界が近いことを周囲の研究者に公言していたので、身体の制御プログラムがフリーズして倒れたときも、一部のプログ ラムを待避させて最後まで動かした思考プログラム、人で言うところの意識を停止する前に仲間達から「安心して、ゆっくりお休み」と声を掛けられていた。
来栖大のシステムにデータが移動して端末越しに再起動したとき、リオンはマルチとセリオに自分が本多を好いていたことを打ち明けてい た。好きな男の腕の中で眠る。
「別に死んだわけじゃないけど、しばらくは動けないでしょ。だから。想いが通じるなんて高望みはしてないけど、結構幸せだったんだから」
リオンの顔の表情を再現するアニメーション・グラフィックは頬が真っ赤になっていた。
マルチはリオンの想いが痛いほどわかった。そして、優しい表情で頷いたのだ。
マルチがレトロフィットのDIAのテストに志願したのは、自分の大切な妹であるリオンが再び自由に動き回れるようにしたい、との思いも あってのことだった。本来はすぐにリオンの体でテストが行われるはずだったが「もし失敗したら」というリスクと、より古いアーキテクチャから始めるべきだ とマルチが志願し、今に至っていた。もっとも、その時にマルチが口走った「わたしは2回死んでますから、平気です」というのは笑えないジョークとして封印 されていた。
DIAベースの電子脳は記憶を連想方式で記録出来る。そのため、モデルベースの記憶よりも遙かに小さなメモリ量で記憶を保持し、更に人 間のように忘れることも出来るようになっていた。そのため、ハードウェアはよりパフォーマンスの高い物が要求されるが、記憶に関しては事実上限界が無いに 等しかった。また、モデルベース・アーキテクチャのメモリとは異なり、途中に欠損があっても不都合を生じないことから、記憶の一部を抽出して別媒体に待避 させ、必要なときに読み戻すという器用なことも可能になっていた。
マルチでのレトロフィット型DIAの試験の結果が良ければ、このアーキテクチャはリオンにも移植される。そして、耐用年数が近づいて来 ている市販のメイドロボット達にもサーヴィスが提供されることになるのだ。
「マルチ姉さん、お久しぶりです」
ディスプレイのリオンのアニメーションが笑顔でそう言った。
「リオン、ようやくDIAを搭載したわ。でもね…」
マルチはディスプレイのアニメーションに向かってそう言った。リオンの表情を伝えるディスプレイの上には目の代わりになるカメラユニッ トが搭載されていて、普通の姿勢で会話が出来る。
「なにか、問題でも?」
リオンは心配そうな表情で首を傾げている。
「うん。綾香さんには黙っていたけど、経験したことが無いノイズが多くて正直ちょっと辛いわ。それにまだ色々不都合が出てくる可能性があ るから、わたしでバグを潰さないとね。あなたに搭載するのはしばらく先になりそう」
「気長に待ちますよ。それはそうと、イルファ達は元気なんですか?」
イルファがマルチやフィールに会いに来たのはミルファが押しかけてきてから半年ほど後のことだった。最後まで怖がって居たらしいが、ミ ルファとシルファに半ば引きずられるようにしてこの場所を訪れていた。シルファはイルファよりももっと早く、ほぼ起動直後にミルファと共に訪れていた。
初めてマルチとフィールに会ったイルファは二つのカプセルの間の床にぺたんと座り込み、しばらく無言で微動だにしなかったが、帰り際に 「もっと早く来るんだった」とぽつりと呟いていた。
「イルファは姫百合姉妹とアメリカに旅立ったわ。しばらく日本には戻らないみたい。ミルファは河野さんの家に押しかけメイドロボとして、 居座っているみたい。毎朝新妻のこのみさんとやり合ってるらしいわよ。あの二人、わたしとあかりさんのような関係に成れると良いんだけど」
「あははは。あの二人の性格だとちょっと難しいかも。まぁ、ミルファ次第だとは思いますけどね」
リオンは複雑な表情で笑う。
「シルファは正式にあなたの後釜としてHM開発課に所属することになったわ。とは言ってもリオンの居場所が無くなるわけじゃないから、安 心して。それと…」
マルチはそう言って、ふっと視線を落とし、ちょっと考え込む表情を見せて、再び喋り始めた。
「これは、言おうかどうしようか迷ったんだけど....。あなたが再起動したら、本多さんが引き取りたいって言ってるのよ。彼、あなたの
想いに気づいていたみたいなの。研究所に復職するかどうかは、リオン、あなたが決めなさい。
わたしから言えるのは、お互い気持ちが通じているのなら、そのまま素直に腕に飛び込むのもありかなって、ことくらいね」
それを聞いたディスプレイの中のリオンは真っ赤になって俯いていた。
そして、1年後。
「おっそーい! いったい今までなにしてたんですか。研究所からは定時に出たってシルファから聞いてますよ」
午後9時。おたまを持った右手の腰に当てて、帰宅した主人に苦言を言うリオンの姿があった。服装はメイド服ではなく、耳を被うセンサ・ アンテナは無い。そして、髪もマルチと同じ光の加減で深い緑に見える黒髪になっていた。
「とにかく、突っ立ってないで、はやく入ってください」
主人を家の中に追い立てて、ドアを閉じようとしたリオンはふと星空を見上げた。その表情にはどこか嬉しそうな、そして満ち足りたものが 溢れていた。
「明日も、晴れるといいな」
『To Heart2:リオン』 完
◇ ◇ ◇
◇ ◇
『To Heart:6月の花嫁』につづく