映画「CASSHERN(キャシャーン)」
渾身の力(思い)を込めた作品

(メールマガジン2004年5月から)

 戦争は現実の経済的理由から発生して、人を死なせて傷付けて、「憎しみの連鎖」に至る。「憎しみの連鎖は何故終わりがないか?」 「憎しみの連鎖」に気付いた「わたしとあなた」が居ること、それが希望。だけど即効的な解決は無い。
 被爆体験により、「戦争そのもの」を考え続けた日本。剣豪の奥義は、「戦わずして解決すること」。争いを超える論理は東洋、日本から。

1 原作とは別の作品
 原作は1973-1974年に放送したテレビアニメ「新造人間キャシャーン」ということになっているが、全く別の作品。表題も「CASSHERN」と変えている。原作との再会を期待した人には不評だが仕方ない。例えばテレビゲームのシリーズで「ファイナルファンタジー」と映画の「ファイナルファンタジー」は全く別物。
 監督は、「自分たちを奴隷にしたから、今度はお前達を奴隷にする」という悪役の論理に、子供心に「自業自得ということだ」と賛同したことを挙げている。原作から得たものはこの一点に尽きる。

2 架空(フィクション)の時代、場所
 「ユーラシア大陸」「大亜細亜連邦共和国」とか出てくるが、基本的には架空の時代、場所が舞台。何故かと言えば、特定の事件を舞台にすれば、その事件の直接的な背景、賛否の議論になり、抽象的な「事柄そのもの」を扱えなくなるから。
 扱う「事柄」は、「人は何故争うか?」「憎しみの連鎖は何故終わりがないか?」

3 「敵」と味方
 戦争映画や報道は、カメラをどちら側に置くかで180度違うものになる。例えばアフリカのソマリアPKOで、国連の要請を受けてアメリカが内戦に軍事介入したが、その攻撃ヘリコプターが民兵、住民の攻撃を受けて墜落して市街戦になり米兵の遺体が車で引きずりまわされた事件を描いたアメリカ映画「ブラックホークダウン」は、10余人の米兵の英雄的な戦いと悲惨を描いたが、民兵、住民側にその何十倍、何百人の死者があったことには触れない。
 ほとんどの戦争映画は、味方の英雄的行為と人間性を描いて終わる。韓国の映画「JSA」は非武装地帯を挟む南北の兵士をやや均等に描いた。
 映画「CASSHERN」では、新造人間は戦争での人体実験から「新造細胞」により再生する。人間の追っ手から逃れるが反撃に転じる。主人公も戦争での戦死から再生して「CASSHERN」になる。ともに合い戦うときに、「もとの人間だったとき」が映像でフラッシュバックする。平穏な生活、ささやかな幸福感、それが戦争の中で交錯して、「殺す側、殺される側」の役回りが転変する。「連鎖」の中に絡め取られている。
 戦争が無くならないのは、「敵」も自分と同じ喜怒哀楽の中に生活していることを知らないから。

4 「戦争の理由」は何でもいい
 ここでは「戦争の理由」は特に描かれない、何故なら「この戦争の、あの戦争の当否」を考えようというのではないから。

5 「憎しみの連鎖」に気付いた新造人間
 映画「CASSHERN」の新造人間は「ただ生きようとした」それだけ。人間の中にはそれを認めない者と、区別せず受け入れる者とが居た。追い込まれ戦う中で、映像のフラッシュバック、望んでいたのは(もとの人間だったときの)平穏な生活、ささやかな幸福感、それだけ、他者を憎しみ傷つけることではなかった。
 もうひとつある。「ただ生きているだけ」ならば無罪と推定できるのか?毎日、生きている、魚を食べ肉を食べ、生命を食べて生きている。南北問題、暗いから電気をつけ、欲しいから買い、食べたいから食べる。先進国の消費生活が、他国で環境破壊や低賃金労働の原因になることもある。

6 ギリシャ戯曲「女の平和」
 「男が争い、女が平和を望む」、これは「そうでない現実がある」と言ってもそういうことではない。これは抽象概念として提示されていること。国防婦人会は銃後の守りを固めて兵士を送り出して提灯行列をした。イラク戦争を推進したアメリカ大統領補佐官は、黒人女性。新造人間のサグレーも戦っている。つまりこれは抽象。モナリザの微笑みのような。

7 「許すこと」は難しい
 「憎しみの連鎖」を断つ方法はあるか?映画で台詞として出て来るのは、唯一これぐらい。「そんなの無理だよ、現実には。相手もそう考えなければ何にもならない。」
そう、そのとおり。だから、気付きながら戦う、新造人間も、「CASSHERN」も。甘いのではない、リアリズム。  現実に、戦いながら結果を出したのは、南アフリカ(ANC)くらいか?

8 「時計」核兵器が使われるまでの残り時間
 ゲオルギウの小説「25時」、核戦争「24時」後の世界だったか?物理学者などが「核戦争の危機」が深まると「24時」に向けて針を進める時計もあった。「CASSHERN」は針を止めようと押さえるが。

9 終わりそうで終わらない、引く引く
 「CASSHERN」が戦う、決着が付く、「何か適当な締め括りの言葉を言って終わりそう」、終わらない。終わりそうで終わらない、別の展開、引く引く。悩む悩む、答えられない。それだけ即効的な解決は無いということ。甘いのではない、リアリズム。
 何が正しい?何が判断基準?拠って立つ根源的(ラディカル)な立脚点は?映像のフラッシュバック、望んでいたのは平穏な生活、ささやかな幸福感、それだけ、他者を憎しみ傷つけることではなかった。

10 「希望」は有るか?
 「憎しみの連鎖」に気付いた「わたしとあなた」が居ること、それが希望。だけど即効的な解決は無い、そこがリアリズム。

11 西欧(セム系1神教)の争いを超える論理は東洋から
(1)古代ユダヤ教を起点として、キリスト教が生まれ、さらにイスラム教が生まれた、同じ啓典(「モーゼ五書」「詩篇」「福音書」)を信奉するセム系一神教の系譜にある「啓典の民」。争いは現実の経済的理由から発生して、根源が同じ宗教の本家、分派の宗派対立になる。
(2)東洋でも争いはあったが、歴史から学んだこともあるのではないか?中国映画「英雄(ヒーロー)」の剣の達人の奥義は、「戦わずして解決すること」。映画「ファイナルファンタジー」は、中東での憎しみの蓄積を描いていた。
 そして、被爆体験により、「戦争そのもの」を考え続けた日本。平和憲法の下で59年間、直接的な戦争を回避してきた先進国日本。人類史上、珍しい存在。オンリーワンな日本。争いを超える論理は東洋、日本から。

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