映画「永遠の語らい」
(ポルトガル、フランス、イタリア合作)

(メールマガジン2004年5月、通刊34号から)

 欧米人は「9.11に驚愕」するかもしれない、しかしそれは文明の対立などではない、単に「中東問題を解決できないのは、(西欧、米国が)パレスチナ独立国家を樹立できないから」と、率直に考える他ない。

「永遠の語らい」(ポルトガル、フランス、イタリア合作)(2004.4.26)

1 あらすじ
 ポルトガルの歴史学教授である女性が、仕事でインドに居る夫に会うために幼い娘を連れて、船旅で人類史の舞台を巡りながら行く。船ではたまたま同乗したギリシャ、イタリア、フランスの女性とポーランド系アメリカ人の船長が文明を語る。

2 見終わって
(1)ポルトガルは西洋が世界を「発見」した大航海時代の国で、キリスト教の布教にも努めた。3人の女性(ギリシャ、イタリア、フランス)はギリシャ文明、ローマ帝国、ナポレオンと、拡張した西洋文明を背景に持っている。夕食の食卓で人生や文明を語るが、それぞれ自国語で話しながら互いの国の言葉を理解して、文化的背景も尊重する。「アメリカは移民の国で、純粋なアメリカ人はインディアンしかいない」と語るほど目配りも効いている。
 見る前は、「無知なアメリカ人」が教養豊かな「古い欧州」から、コケにされる展開を予想したが、全くそうではなかった。
(2)私の感想としては、3人の女性も「一歩もキリスト教世界から出ていない」ということだった。ギリシャ人が「近代科学はキリスト教西洋文明から生まれ、そういったものを持たないアラブ人は原理主義に回帰する」という主旨のことを言う。確かに「近代科学の発展とキリスト教精神は不可分だ」という評論はあるし、日本の和算や中国の何がしがあったとしても、西洋文明が圧倒的な優位にあることは、イタリア、殊にローマを旅行すると実感する。白人の優越感にも根拠があるとさえ思う。しかし。
(3)イスラム教では「五行六信」と言い、五行(喜捨、信仰告白、礼拝、断食、巡礼)と六信(アッラ−、天使、啓典、預言者、最後の審判、神の予定)があり、啓典には「モーゼ五書」「詩篇」「福音書」があり、この「啓典の民」はユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリムであり、前2者が啓典を誤って理解しているのを正すための啓示がコーランだとするとのこと(「現代イスラムの潮流」集英社新書)。つまり「古代ユダヤ教を起点として、キリスト教が生まれ、さらにイスラム教が生まれた、同じセム系一神教の系譜にある」(「戦略思考ができない日本人」ちくま新書)。旧約聖書は共通。欧州で広くありアウシュビッツに帰結したユダヤ教徒への迫害(ポグロム)も、十字軍も、根源が同じ宗教の本家、分派の宗派対立になる。ギリシャ正教、ロシア正教も。
(4)「9.11で世界が変わった」というのは米国にとってのことで、「世界のどこで戦争を仕掛けても、米国本土は絶対安全」という前提が崩れたということ。他の国にとっては何も変わらない、「9.11以前も米国は米国だったし、以後も米国は米国であり続けている」。むしろ、この連続性が問題だ。この映画の監督はどう考えているか、定かではない。パンフレットに「西洋文明うんぬん」と出ていることからすると、3人の女性と同じとも考えられる。一方で歴史学者の女性は、「戦争の歴史、宗教対立、変遷を見るから」、一宗教を超えて歴史を捉えるのは当然だろう。
(5)結局、「9.11に驚愕」するのではなく、「(中曽根元首相も言うように)中東問題を解決できないのは、(西欧、米国が)パレスチナ独立国家を樹立できないから」と、率直に考える他ない。  日本は多神教、宗教的寛容もしくは無宗教だ。だから「宗派対立の渦中から」ではなく、「宗教の変遷、歴史の文脈の中で」問題を捉えることができる(十字軍に限らず、第一次大戦、西欧列強による領土分割、中東戦争といった最近の歴史も含めて)。
 にもかかわらず、キリスト教米国の(現代の米国経済の権益という問題も含めて)ただ尻尾を付いて行くというのは(一定の対米協調は現実的に必要だとしても)、日本の独自の可能性を放棄する愚行と言う他ない。

ここも見てね[随想]9.11で世界は変わったか?何も変わっていない
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