切り捨てるか、企業再生するか、「バブル型不良債権」と
「デフレ不況型不良債権」処理の似て非なる方法

2009年5月現在、米国の市場原理主義、金融資本主義が崩壊して、オバマ大統領の下で、米国は産業を再生しようとしている。日本を含む各国が、自国の経済モデルを再構築しようと模索する。ちなみに米国流(アメリカンスタンダード)御用学者の竹中は、2002年当時の自説にまともに「説明責任」を果たしていない。不況が続く日本経済、緊張が高まる中東(イラク、パレスチナ)と東アジア。人間は 愚かだなと思いつつ、理性が力を発揮して何らかの解決をする以外にないと考える。

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(メールマガジン2002年12月から)
▲ 切り捨てるか、企業再生するか、「バブル型不良債権」と
「デフレ不況型不良債権」処理の似て非なる方法(2002.10.29)
▲ 第2の新生銀行を狙う米国資本に、戦略的対応を!!(2002.10.14)

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■ この国のかたち :切り捨てるか、企業再生するか、
「バブル型不良債権」と 「デフレ不況型不良債権」処理の似て非なる方法

1「不良債権処理はやる」でもやり方はひとつではない
(1)T金融大臣の「舌禍事件」を機に、議論が湧いている。首相は、「前からやれやれと言われていることをやろうとしているだけだ」と言う。また、あるテレビ番組では「不良債権が残っているのは、自民党の歴代政権と銀行経営者の怠慢のせいなのに、批判するのはおこがましい」とも。
(2)「不良債権処理」のやり方イコール「T金融大臣の提案」ではない。
10年前、日本経済はジャパンアズナンバーワンと持ち上げられて、米国を脅かすほどだった。米国の強い要求により、浪費型の経済政策を行い、新産業を育成するでもなく、従来型の公共事業を麻薬のように繰り返した。その結果に、米国からとやかく言われる筋は無い。
この政策と、そのバブル崩壊後の「バブル型不良債権」の処理を、気付きながら先送りしたことに、自民党の歴代政権に責任がある。税金の投入に批判的な世論もあったが、全容をきちんと説明していなかった。また土地を担保にリゾート開発やその他過剰な融資を続けた銀行経営者に経営責任がある。経営責任を棚上げ、先送りしてきた。そのとおり、しかし。
(3)本来なら預金者に入る利息を、銀行に残すための異常な低金利と税金投入(公的資金)により、「バブル型不良債権」は無くなった、処理された(一部、過剰投資した流通会社と、公共事業依存型ゼネコンが残っているとしても)。他方、デフレ不況で、新規の不良債権が発生している。これはまともな企業活動をしていた会社が、デフレで経営不振になっている。「バブル型不良債権」「デフレ不況型不良債権」は、分けて考える必要がある。
(4)「バブル型不良債権」は切り捨てるしかない。「デフレ不況型不良債権」は、まず「企業再生」を検討して、存続しても先々見通しのないものは「市場が淘汰する」に任せるしかない。

2 「デフレ不況型不良債権」は、「企業再生」か「市場が淘汰する」に任せる。
(1)「市場が淘汰する」のと、人為的に倒産させるのは違う。医者はメスで人を切っても刑事罰には問われない資格を持っている。それは何でもありではない。「病気を治療するという目的、根拠のある合理的な治療法、充分な注意義務」の要件を満たしているときに、刑事罰が非適用になる。要件のうち、後のふたつを欠くときは「業務上過失罪」になる。先の目的の要件を欠くときは傷害罪、殺人罪になる。カリウムを注射して心臓停止させれば、医療行為ではなく、殺人に過ぎない。
(2)「デフレ不況型不良債権」の処理は、「企業再生という目的、根拠のある合理的な方法、充分な注意義務」の要件を満たしている必要がある。医療で、末期癌の患者には痛みを和らげるなどの「緩和ケア」を行う。積極的な治療放棄になるが、「安楽死という殺人が認められている訳ではない」。「市場から退場させる」のは、与えられた資格を逸脱した、目的の要件を欠く単なる傷害罪、殺人罪に過ぎない。「デフレ不況型不良債権」で、存続しても先々見通しのないものは「市場が淘汰する」に任せるしかない。

3 「おこがましい」と映るのは、政治の構造改革が遅れているから。
(1)T金融大臣の「舌禍事件」を機に、指摘されているのは。「バブル型、切り捨て型の不良債権処理は、デフレ不況型不良債権を視野に入れていないもので、突出すれば産業を破壊して信用収縮を起こす」ということ。「企業再生という目的、根拠のある合理的な方法、充分な注意義務」の要件を満たしていないということ。医療行為とは似て非なる、殺人に過ぎないということ。「産業再生と同時に、不良債権処理・金融再生を進める必要がある」ということ。
(2)ところが、我が意を得たりと登場しているのが、「従来型の公共事業を麻薬のように繰り返した、自民党の守旧派」だったり、「過剰な融資を続け、経営責任を棚上げ、先送りしてきた銀行経営者」だったりするから、指摘して言っている内容と、言っている人に、ミスマッチがある。ミスマッチしてないのは、T自動車幹部くらい。
(3)政治の構造改革が遅れている。銀行経営者の経営責任を棚上げ、先送りしてきた。本来なら預金者に入る利息を、銀行に残すための異常な低金利を続けているうちは、「銀行の給料は、国家公務員の一般職なみに抑えるべきだ」。店鋪の統廃合をしているからと済む話ではない。製造業やサービス業の何割増しという給料水準自体が、構造改革の対象だろう。

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■ この国のかたち :第2の新生銀行を狙う米国資本に、戦略的対応を!!

1 バブル期の不良債権処理は終了を宣言し、不況による不良債権は新産業の育成で解決しよう
(1)10月11日の日銀「不良債権問題の基本的な考え方」のとおり、現在の不良債権問題は、もはや「バブルの負の遺産の処理」ではない。
(2)「産業構造の転換調整」を、「デフレ、不況の下で」同時に進めている。「デフレ、不況の下で」は、「産業構造の転換調整」は、漸進的に進めるしかない。
(3)所謂「インフラ経費、人件費の高止まり(=値下げ圧力)」にしても、企業活動の効率化で吸収可能な範囲で行うべきで、それを超えれば企業収益が悪化してその企業自体が不良債権化するだけだ。
(4)「不況による不良債権」は、「不良債権処理」ではなく、「新産業の育成」、「経済活動の活性化」によってしか処理できない。

2 現在必要なのは、「産業政策の観点から、政府による企業再生の総合的な取り組み」であって、意図的に行う「要転換業種の退場」ではない。優先順位を間違えてはいけない。

3 「米国資本に第2の新生銀行を公的資金付きのおみやげにして」用意することが、金融庁の仕事ではない。
(1)金融システムの安定性確保は、当面の方針と長期の方針に分けて、前記の漸進的に進める「産業構造の転換調整」、「新産業の育成」、「経済活動の活性化」と歩調を揃えて行う。
(2)金融システムの安定性確保の当面の方針は、金融機関の破綻が決済機能の不全から企業倒産に連鎖しないようにすることで、その仕組みは既に作ってある。
(3)金融システムの安定性確保の中長期の方針は、「金融機関の保有株の削減」、「証券化技術を使った企業金融の多様化」、「産業構造の転換調整圧力により進む債権価値の減価を引き当てに順次反映していく」などだ。

4 米国流(アメリカンスタンダード)御用学者の竹中は、株価の急落に「自己責任」「結果責任」を取れ。
(1)立場をわきまえない竹中の「舌禍事件」により、株価が急落した。「結果責任」を取るべきだ。
(2)竹中の方策は、「第2の新生銀行を公的資金付きのおみやげにして米国資本に用意して」いる。意図的に行う「要転換業種の退場、企業倒産」を進めれば、「不況下の新規不良債権発生」、「金融機関の財務内容悪化」、「公的資金の予防的注入」が、悪循環として繰り返し、最終的には日本の税収、資本では処理しきれなくなる。
結果として、金融機関の外国資本への売却が避けられなくなる。つまり、「第2の新生銀行」だ。
(3)仮に、みずほ銀行が米国資本に売却されれば、日本資本主義は、米国資本主義の軍門に下る。「国を売る」それ以外の適切な表現は無い。だからこそ、竹中の方策を米国は歓迎している。

5 税金の投入は誰の利益になるのか。少なくとも、米国金融資本に成果を根こそぎ持っていかれない道筋を明らかにする責任が当局者にある。意図的に行う「要転換業種の退場、企業倒産」が、「不況下の新規不良債権発生」、「金融機関の財務内容悪化」、「公的資金の予防的注入」という悪循環を繰り返し、繰り返し、最終的には日本の税収、資本では処理しきれなくなり、結果として、金融機関の外国資本への売却が避けられなくなる。つまり、「第2の新生銀行」になるというシナリオ、これ以外のシナリオを与野党の政策当事者が明確に示すべきだ。

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