ルクソール(東岸)


■ルクソール神殿
外から見るとかなり廃墟な雰囲気が漂っていたが、中に入るとそれほどでもなかった。第一塔門の前(写真中)にはオベリスクが建っていて、そのうち1本は現在パリのコンコルド広場(1819年〜)に建っている。第一中庭(ラムセス2世の中庭)には三つの礼拝堂(写真右)があり、その周りにはラムセス2世の立像と柱(砂岩)が交互に並んでいる。今では立像はかなり少なくなっているが・・・・。

像には左足を出している立像と、手をクロスにさせたものの2種類あるが、左足を出している像がラムセス2世が生きている間につくらせたもので、手をクロス(ミイラのポーズのよう)にしているのが死んでから作られたもの。

ラムセス2世の中庭で当時作られたものと違うものがある。それはこの遺跡が砂にうまっていた時、上のほうだけ使ってモスクがつくられました。今では、その入口は封鎖され、反対側に入口がつくられ、現在でもモスクとして使っている。また神殿の奥の部屋にも、キリスト教の絵が残っていたりする。

ルクソール神殿からカルナック神殿へは3000mの距離。そこを馬車に乗って移動(15分)この時に御者に写真を取ってもらうように頼んだり、一緒に写真を取ろうとしたら、チップを要求されます。まったく商魂逞しい!!

■カルナック神殿(アメン神殿)
王が上となっていた古王国時代、アメン神は太陽神ラーと結びついて、アメン・ラーとなり国家信仰の最高神として信仰される。ラムセス2世は 14の奥さん、107人の子供たちがいた。大列柱室には134本の柱が立っていた。上部には少しだけ、柱に色がついていたのが残っている。ほとんどの部分がナイル川の氾濫のために色が剥げ落ちているのである。

トトメス1世とその娘のハトシェプスト王女のオベリスクが2本立っている。実際はハトシェプスト女王のオベリスク(右)のほうが大きい。少し進むと、横たわるハトシェプスト女王のオベリスクがある。トトメス1世が死んだ時、第一夫人の娘 当時20才のハトシェプストを女王にしました。第2夫人の息子が6才だったため、王位にはつけず、ずっとハトシェプスト女王を恨んでいたので、姉さんを殺して自分が即位した時に、オベリスクを倒したのだ。どうやって倒したかというと、火で焼いて、その後水をかけてオベリスクを割ったのだそう。

聖なる池の前には、スカラベ(フンコロガシ)の大石像(写真右)があり、このまわりを5回まわると幸せになり、7回まわると結婚してない人が結婚ができるのだという。もちろん7回まわった。後で他のツアーガイドが3回で幸せになり、5回で結婚でき、7回で元気な子を授かると言っていたのを聞いた。私たちのツアーガイドにその真相を問いただしたところ、回数は関係ないとのこと、要は奇数回数まわればいいとのこと。なんかいい加減だ。

■カルナック神殿 音と光のショー
英語でのストーリー説明があるのですが、ちんぶんかんでした。神殿に照明があてられ、歩きながら照明が当たられるほうに進んでいく。最後は、聖なる池の観客席に座りながら、ストーリーを聞くのだが全然わからなかったし、だんだん寒くなってきたので、早く帰りたかった。



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アブシンベルルクソール(西岸)アレキサンドリアとナイル川クルーズ
カイロちょっと補足


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