第七章 開かれた世界から
第6節 何が曖昧なのか

その三 文形式@中の-ed分詞句の特性

文形式@(S[=分詞の暗黙の主辞]+,分詞句,+V….)(第六章第4節「その三」参照)

   以下も《分詞構文》を先験的に副詞要素と見なす受け手の視点からの記述である。

This monkey, trained properly, will be able to do a lot of tricks.
(この猿はきちんと仕込まれれば,いろいろな芸ができるだろう。)
(江川泰一郎『改訂三版 英文法解説』、236)
(「§236 過去分詞の分詞構文(1)基本形」中の《分詞構文》が「文中にくる例」として挙げられている。斜体と下線は引用者)

The dog, properly trained (= if it is properly trained), will be a faithful servant.
(犬は正しく訓練されると忠実な召使いになる)(高梨健吉『総解英文法』、p.477)(斜体と下線は引用者)

   「カンマを伴う分詞句」に何らかの曖昧さを感じることがあるとしても、そこに潜む論理的関係という点では、身構えて解読に臨むには及ばない程度の曖昧さを体験し得るに過ぎないという立場から簡潔な文章体の発話を試みると次のようになる。

   "Though I had not seen him before, I could recognize him easily."([7−63]参照)をもとにした簡潔な文章体は、"Though not having seen him before, I could recognize him easily."("Though"を省略することはない)のようになる。「接続詞を用いて書き換えなさい」という練習問題中の"Being very old, he has a sharp hearing." ([7−64]参照)という課題文は、"Though very old, he has a sharp hearing."と改めるべきであり、"These explosives, not handled carefully, may blow up."という課題文も、カンマを伴う分詞句に"if"を標識とするような論理的関係を読み取らせたいのであれば、"if not handled carefully"と改めるべきであろう。

   《分詞構文》という了解の代わりに、「並置分詞句」という了解を提示してきた本稿は、上記のごとき孤立した発話しか与えられていない場合、"trained properly"も"properly trained"も直前の名詞句について現に語り得る(と話者に判断されている)ことがらの一端が展開されている並置分詞句であると判断する第一章第5節及び第六章第4節「その三」参照。「と話者に判断されている」という挿入表現については第一章第3節参照)。"This monkey, trained properly, will be able to do a lot of tricks."は、"This monkey, which is trained properly, will be able to do a lot of tricks."〈この猿はきちんと仕込まれており、いろいろな芸ができるはずだ。〉のことであると判断するし、"The dog, properly trained, will be a faithful servant."は、"The dog, which is properly trained, will be a faithful servant."〈その犬は正しく訓練されており、忠実な召使いになるだろう。〉のことであると判断する(ただし、これらの「カンマを伴う分詞句」が、脈絡次第では、直前の名詞句について語り得るであろう(と話者に判断されている)ことがらの一端を展開する分詞句である可能性までも否定するわけではない[7−65]。しかし、それ以前の問題として、"if " を標識とするような論理的関係を読み取らせたいのであれば、それぞれ"if trained properly"、"if properly trained"と表記すべきである)。"Though"や"if"に導かれる副詞節に置き換え得ると感じられるような《分詞構文》が極めて稀であることは周知の事実であるはずだ[7−66]。そこに潜ませたい論理的関係については「相当の融通性」(CGEL, 15.60) [7−67]が許容されるといった判断が示されることがあるとしても、受け手が変わるとまるで異なる読解が成立しかねない野放図な曖昧さにつながるような過剰な圧縮が許容されることはないというのが言語事実である(ある程度の用例蓄積をもとにした私のこうした判断がどの程度妥当であるのかは、用例の蓄積を進めていけば自ずから判明する。各自の臆見をぶつけ合って埒のあくことではない)。

  

(第七章 第6節 その三 了)


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© Nojima Akira