音風祐介の作品集 {下線の部分をクリックして下さい }

童話のある町

喜びのソネット

 Labyrinth

      哲学ファンタジー 海  

月の光

    名前が消える時

舟遊び

8混沌

 

音風祐介の文芸にある基礎哲学

* 人は成長の過程で、いつの日か自我を確立し、その頃から主観と客観を分離して、ものを考えるようになるらしい。目の前の花は自己とは違う客観の世界に属する花という植物であるという風に。

こうして自然を観察して、客観としての自然を理性の力で切り刻み、人は分子だの原子だの電子だのあるいはDNAというミクロの世界を発見したり、目を大空に向けてアンドロメダ星雲などの銀河というマクロの世界も知るようになつた。

  ところがこの手法では生命とか、いのちとかいわれることがうまく説明できない。人間が生き、自然などの森羅万象が光の中に現れてくるということの謎は深まるばかりなのである。科学の知識が増えれば増えるほど迷路の中で出口が見つからなくなつてしまつた様な状態になる。

*   その時 人は絶望したりあるいはいずれ科学が解決するだろうと楽観視したりする。中にはそうした科学の最先端で言われている理論が真理の影のようなものであると考え、過去の聖者が悟ったといわれる崇高な神秘に憧憬を抱き、その道に進む人もいる。量子力学を築いた世界一流の学者であるシュレンデイガーの様な人がインドの瞑想哲学に魅了されるのもそのためではないだろうか。

  ところで真理を知るのに、この瞑想などによる方法はインドだけでなく中国や日本などの東洋で重視されてきた。勿論 西欧のキリスト教世界にもあつた。

  つまり、主観と客観が分離する前の世界に入るという方法は禅宗などの座禅などに典型的に見られる。

  音風祐介の文芸ではどちらかというと、この後者の瞑想を重視する。主観と客観の融合によって直感されてくる世界には宇宙の永遠の生命とでもいうべきいのちがあると音風祐介は考えるのである。この永遠のいのちこそ、真理であるという所から、新鮮な物語形式を構築したいと思っている。

*  薔薇の花に神を見ると詩に書いたイギリスの詩人ブレイクの様に我々は物や植物などの自然を見た時 自己を忘れてつまり自己をその自然の中に溶かしこんでいく、その時 見える世界はこのブレイクの見た 神とでもいうべき逞しく永遠に創造の営みをしているいのちの世界なのではあるまいか。

                  音風祐介

メ−ルアドレス   karonv@hi-ho.ne.jp