岡崎城

大永四年(1524)松平清康(家康の祖父)が攻略し、以来松平家の本城となる。
家康が三河を統一して浜松城に移った後は、長男信康が城主となる。 だが、築山殿(家康正室)と共に武田勝頼に内通の疑いで信長の命令により自害させられた(21歳)。 家康にとって生涯悔やんでも悔やみきれない悲痛な体験だった。
関ヶ原の戦いの後は、本多康重が城主となった。


★☆ 見学して ☆★

現在の天守閣は、昭和三十四年に復元された。 それを含む岡崎公園内には、家康産湯の井戸があり家康が生まれた時の様子が想像できた。

産湯の井戸
天文十一年十二月二十六日(1542)徳川家康公が岡崎城内で誕生した。
この井戸の水を汲み、産湯に使用した。

ユニークなのは、カラクリ時計。毎時0分になると家康が現れ能を踊るのが見れる。




城の形をした公衆電話


目次 岡崎城 浜松城 小牧城 関ヶ原の合戦 駿府城 名古屋城 久能山東照宮