駿府城

≪人質時代≫
家康は今川家の人質として19歳までの12年間を駿府で過ごしました。
不自由な生活に耐えることで忍耐強い性格をつくり、この時の臨済寺住職雪斎から教えを受けたことで 天下人としての家康がつくられたともいえます。

≪東海一の大名≫
元亀三年家康は武田信玄と三方ヶ原で戦い、生涯で一度だけの敗戦を経験した。
その後信長と力を合わせ武田氏を滅ぼして駿河の国を与えられる。
そして信長の死後、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五ヶ国を支配する東海一の大名となり 天正十四年(1586)駿府城に移った。

≪徳川家康公大御所時代≫
慶長十年(1605)将軍職を秀忠に譲り、翌年家康は修築した駿府城に戻った。
この地で大御所として天下の実権を握り、大阪の陣で豊臣家を滅ぼし徳川の権力を確実なものとして、 翌年元和二年(1616)75歳で(鯛の天ぷらにあたり)その生涯を閉じた。

★☆ 見学して ☆★

  

平成になって静岡市が三十億円をかけて、二ノ丸東御門と巽櫓(たつみやぐら)を正確な資料を基に復元した。
中には色々な模型があるが、特に寛永時代の資料を基に五千万円かけて復元された駿府城模型は、 小さいがとても迫力が感じられた。
家康公は今川家の人質時代、太原雪斎から学問を学んだ「竹千代手習いの間」が臨済寺にあるが、 見学ができないため、駿府城の中に復元された。竹千代の勉強する姿が、想像できた。







二の丸東御門にのっていた青銅製の鯱矛(しゃちほこ)
静岡市指定文化財
高さ 約1.4m  重さ 約500s



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